ゆるやかな性 来生優

2020.12.2

15メディカル・ツーリズムと「性同一性障害」:歪められるイメージと、現実のはざまで

 

 受付から、なにやら疑いと好奇の視線を浴びる。後方にいるアルバイトと覚しきスタッフのひそひそ声も。学生時代に付き合っていた当時の恋人とわたしを、一瞥して。傍から見ると「女性同士」で「普通のカップルではない」からだろう。ふたりでこうした有人受付のホテルに入ろうものなら、こうした洗礼を覚悟しなければならなかった。
 この日は、無人受付のいわゆるラブホテルが満室だったので、一般的なカップルも多く利用する新宿にある某有名リゾート風チェーンに仕方なく入店したところ、ハレモノに触るかのような対応を受けた。「まあ、そうだよな……」と、半ば諦め半分で、世間一般の前提が自分たちのそれとは異なることに、改めて気づかされる。慣れてしまえばいい話、と言えばそれまでなのだけど。
 周囲に話を聞いてみると、国内外、ホテルの種別も問わず、セクシュアリティのことで宿泊するだけでもひと苦労、というひとは少なくないみたいだ。友人のゲイカップルは、国内の宿泊施設を予約し、いざ当日受付を済ませようとすると、こう言われた。「あの、手違いでダブルのお部屋になっているみたいで……。あいにくツインのお部屋も満室で、変更を承れない状況でして……」。男友だち同士の卒業旅行と思い込んだ受付による、ホスピタリティあふれる一言。自分たちは、世間からすれば想定外の存在であることを痛感させられたと、彼らは漏らしていた。

 一方で、タイのホテルに宿泊した友人やカトゥーイのひとたちから話を聞くと、タイのホテルでは特別扱いをしないところも多いという。とくにさまざまなセクシュアリティの外国人観光客も訪れる都市部では、なおさらのようだ。「ツインに変更しますか?」と一方的に提案するのではなく、「まずは予約通りの部屋に通す。もし間違っていたとしても、その場合にはお客さんのほうから指摘するだろう」と、過度な詮索はしない。「身近にそういうひともいるよね」という感じで、中途半端な好奇心や覗き見趣味で接してこないあたり、なんとも居心地がいい。
 多くのセクシュアルマイノリティが自国で感じがちな緊張感や窮屈さから解放してくれる観光地としても、タイは好かれているのかもしれない。こうしたことなども踏まえて、タイの政府観光庁は「LGBTQフレンドリー」を掲げ、特設サイト「Go Thai. Be Free」(1)を制作。「LGBTQフレンドリー」な宿泊施設や挙式会場から、カフェ、イベントなどを紹介している。
 株式会社LGBT総合研究所(博報堂DYグループ、2019年)によるとLGBTQ+をはじめとするセクシュアルマイノリティの人々の割合は約10.0%。(※2)10人に1人の割合というと、AB型や左利きの人々とほぼ同定数。そのことを考えると、決して遠いどこかの誰かの話ではなく、身近なことだとわかる。
 わたし自身、親しい相手から聞かれた場合や付き合う相手に対しては、「強いて言うなら、パンセクシュアル(一般的には、好きになる対象の性別を問わない)だったり、ノンバイナリー(一般的に、自身の性別を男女どちら一方に限定しない立場を取ることを指す。日本では「Xジェンダー」とも)だったりするのかな……」と、こたえる。すると、「こいつ、なんだか面倒くさそうだな……」と敬遠されることも多いので、必要に迫られない限り口外しないようにしている。しいて「LGBTQ+」に自身を位置づけるのであれば、「Q」「+」のあたりかもしれない。でも、こうやって周囲や自身にラベルをペタペタ貼っていく作業というのは、対外的に端的に公言する際にはわかりやすく、あくまで便宜上の棲み分けにはなったとしても、そのひとすべてを形容し得るものでもなんでもない、とも思ってしまう。

  日本でセクシュアルマイノリティとされる人々が救いを求めてやってくる、タイ。なかでも、「性同一性障害」の診断を受け、性別適合手術を目的に訪れる外国人が後をたたないことからも「メディカル・ツーリズム」が盛んな国だと言われる。日本では、2004年から手術を受けるなどの諸条件を満たせば戸籍上の性別を変更できるようになったものの、戸籍の変更要件に手術が含まれていることに対しては、依然として厳しい批判も受けている。

 昨今では、毎年約1000人が性別を変更。2019年末までには9624人を超え、過去最多の許容数となり、そのうち半数以上がタイで手術を受けていると推察されている(※3)。『性転師』(柏書房、2020年)では、日本では手術可能な病院が限定的であることからも、数年待ちともなる性別適合手術をタイで受ける人々や、パッケージプランを組み、現地での送迎や付添などを担当するアテンド業者についての実態が記されている。性別適合手術で名高いタイのヤンヒー病院は、20年ほど前から性別適合手術について宣伝をはじめ、術後の補償についても公に打ち出したことから、国内外の希望者が増えはじめたという。

 同病院のある医師によると、長らくトランス女性への手術は盛んだったものの、トランスジェンダー男性に対するペニスの形成手術の発達は、ここ10年ほどのことだという。一定の市民権を得て、それまでは女性の身体のままでも比較的堂々と生活できていたトランスジェンダー男性のなかから、タイ国内で外国人の手術例が広まるにつれ、手術を希望するひともでてきたそうだ。現在、日本では戸籍の変更要件に「子宮・卵巣の摘出」が含まれていて、国によっては形成ペニスが戸籍の変更要件にもなっている。残念ながら、タイでは手術の有無にかかわらず、戸籍の変更自体が認められていない。
 わたしの友人、南もタイで性別適合手術を受けたトランスジェンダー男性のひとりだ。学生時代に知り合った南は、「戸籍上は女だけど、中身はずっと男だし。男っぽい女じゃなくて、身体も男にして、正真正銘の男として生きていきたいんだよね」と、まっすぐ話す目が印象性的だった。短髪が似合い、佇まいがなんともかっこいい。「性同一性障害(GID)」で、心と身体が噛み合わないことで苦悩が続いてきたことも打ち明けてくれた。同学年、同郷であることもあってすぐに親しくなったわたしたちは、社会人になったいまでもよく会う間柄だ。当時、南とおなじFtM(女性から男性)トランスジェンダー活動家の杉山文野さんの講演会を聴きに行ったり、仲間と連れ立ってプライドパレードに参加したりするようにもなった。わたしは当時「南」(当時の本名/仮名)と呼んでいたのだけれど、大学3年目の頃、「大学で名前変更してもらえることになった! よかったら、こっちの男性名で呼んで」と言われ、その日から彼をそう呼ぶことにしている。大学で名前を変更する際、戸惑った職員も多かったそうだけれど、「はじめての経験でわからないことも多いけど、少しでも希望の形に近づけるようにサポートさせてもらいたい」と、理解ある大学の姿勢に救われたようだった。

 彼は、大学2年時から都内のクリニックに通い、「性同一性障害」の診断を受けた。以降、ホルモン治療を続けながら、診断の翌年には、長年わずらわしさを感じてきた胸部の修正手術を国内で受けた。その後、大学4年には状況が一変した。本格的な就職活動がはじまると、男性的な表装と戸籍上の性との不一致を指摘されたり、面接官から明らかに困惑した表情を見せられたりして、その都度一から説明するのに疲れ切ってしまったという。
 せっかく男性名に変更した学生証の表記も、しかたなく、戸籍上の名前と合致する本名に変更。「ただただ、『就活生』『大学生』って見てくれたらいいのに、『障がい者』って見られたり、言われたりするんだよね。『病気でかわいそうに』『病気なんだから仕方ない』なんて視線もいやでも感じちゃうし、しんどい」。そう話す彼に、世間からみれば、いわゆる「女子大生」に紛れ込み、擬態しているような中途半端な自分がずるいような、うしろめたさも感じた。ただ、なんて声をかけたらいいのか、そのときはわからずにいた。

 この頃の彼は、ホルモン治療のため定期的にクリニックを受診する必要があった。ホルモン切れで不調が続く際には、胸部に水が溜まってしまい、通院しても何時間も待たされたりすることも多く、結局その日の授業に間に合わないこともざらだった。希望する身体に近づくしんどさと、気持ちを強くもとうとしても追いつかない精神的な波に揺さぶられ、南は留年を決めた。どこかに理解を得られる職場がきっとあるはずだと、希望は捨てず、アルバイトをしながら、就職活動を続け、クリニックにも通う日々が続いた。担当医とは、治療方針で意見が食い違うこともあったそうだ。「卵巣は摘出せず、子宮だけを摘出して、ホルモン治療をやめたい」「完全に手術をしたいひとはもちろんすればいいけれど、手術したくないのに『戸籍を変えるために、さあ、子宮と卵巣を取ろう』っていうのには違和感がある」と、彼は訴えていた。だが医師からは「子宮だけじゃ戸籍変えられないし、意味ないよ」と諭されるばかりだったという。救いを求めた場所でも無機質な対応ばかりで、もどかしいし、悔しい。「胸をとって、子宮・卵巣もとって、戸籍を変えることが性同一性障害者全員の共通ゴールじゃないってことを、わかってほしかった」のだと。

 現状、日本での性別の戸籍変更要件には「生殖腺がない事又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」が含まれている。つまり、手術をして生殖機能を取り除くことが前提条件とされており、性別適合手術は、まず生殖機能をなくすことからはじまる。(※4)トランスジェンダー活動家の杉山文野さんは、28歳のときにタイで乳房切除手術を受け、同時期からホルモン療法を開始。現在も、月に1回程度のペースで続けているという。子宮・卵巣の摘出手術は受けていないため、戸籍上の性別変更はできず、女性のまま。友人から精子提供を受け、現在は女性パートナーとお子さんと暮らしている。一見、「ごく普通の家族」にみえても、厳密にはシングルマザーとその子どもと、パートナーという関係性になる。公的に認められた「家族」ではないため、いざというときにその場に立ち会えないかもしれない、不安定な状態にもあるそうだ。

 手術要件はあまりにも心身への負担が大きいとして、改正を求める動きも続いている。戸籍変更をとるのか、現状の健康をとるのか。南は当時、日常生活に支障をきたさないよう、自身の健康を優先したいと言っていた。努力の甲斐あって、海外との取引が多いことでも知られる企業とであい、無事に就職した。働いた貯金で、昨夏、タイで念願の手術を受け、子宮を摘出した。日本からも多くのひとが訪れることで有名なバンコク市内の病院に数週間入院。術後は、下腹部に激痛が走り、一人で歩くこともままならず、歩行器につかまるのもやっとだったという。食事はおかゆやスープが主で、徐々にリハビリもはじめた。術後、現地タイからこんなメッセージをくれた。「無事に終わったよ。今回の手術は、傍から見たら何も変わらないし、痛い思いをして、たくさんのリスクを払っても、やっぱり本当の男にはなれないんだって、改めて思った。正直、嬉しさよりも、虚しさに襲われてる」

 帰国後の彼は、最後に会ったときとずいぶん変わっていた。うっすら髭も生え、声は以前より低くなっていた。仕事終わりのスーツ姿がよく似合っていて、すごく嬉しそうだった。「またまた、こんなにかっこよくなっちゃって〜」と言うと、まんざらでもなさそうに笑いながらも複雑な胸中を打ち明けてくれた。
「前は胸がなくなっただけで違う自分になれたみたいで嬉しかったのに。ないものねだりっていうか、きりがない感じがして、複雑なんだよね」。命を落とすリスクも覚悟のうえで受けた手術。男性的な特徴が目立ちはじめ、かねて望み続けた身体も彼にとっては「あたり前」の一部になってきた。今後は、結婚という選択肢をもてるスタートラインに立ちたいと話す彼は、不完全な自分にもOKを出すことの大切さを噛み締めたという。手術費用をはじめ、今後の治療でも多額の支払いが必要なことから、健康で働きたいと意気込む彼はどこか晴れやかだった。

  日本では1995年以降、「性同一性障害」(Gender Identity Disorder=GID)という精神疾患カテゴリーが急速に広まったものの、診断基準を厳密に解読すれば、「性同一性障害」とは、「性別違和感に起因する著しい苦痛や、社会的な機能障害を生じている状態」を指すとも指摘される。性別違和感があること自体が「障害」なのではなく、それに由来する苦痛ないし社会的不適応が「障害」であるという点に注意したい。性別違和をもつ人々、全員が必ずしも「性同一性障害」であるわけではない一方で、マスコミ報道を通じて、「心の性と身体の性に不一致があること=『性同一性障害』という病気」という単純化された認識が広く社会に流布してしまった感も否めない。

 「わたしは病気なんかじゃない」「あくまでも個性のひとつ」「前世が女性だったんだから(仕方ない)」。このように話すタイのカトゥーイをはじめ、性別違和を感じながらも、診断名や性別適合手術を必要とせず、自分なりの方法で折り合いをつけながら社会生活を送る人々も多く存在する。実際、一般的には「MtFトランスジェンダー」とひとくくりにされてしまいかねないカトゥーイと呼ばれるひとたちに話を聞いてみると、そもそも性同一性障害について知らないひとが大半だった。「GID(性同一性障害の略)ってなに? ブランド名?」と聞き返されたこともある。
 一方で、日本のように、メディアの影響から「性別違和があること自体が病気」という認識が強調されると、「病気なのだから適切な治療がなされてしかるべきだ」、心の性と身体の性の不一致を放置せず、必ず「治療」しなければならないという、「医療制度による身体の解釈の独占」(※5)を全面的に支持するような短絡的な考え方にもつながりかねない。それは、医学的「治療」の形をとった、性規範の強制にほかならないのではないだろうか。

  実際に、当時中学生だった南が「性同一性障害」を知り、手術願望を抱きはじめたのは「3B組金八先生」(TBS系列、第6シリーズ、2001年)の再放送がきっかけだったという。そして、わたしたちが高校生の頃に放送され、人気を博したテレビドラマ「ラスト・フレンズ」(フジテレビ系列、2008年)では、上野樹里さん演じる瑠可が「性同一性障害者」として描かれ、演出された。瑠可が病院の情報をネットで調べたり、精神科医から「性同一性障害」の可能性を指摘されたりするシーン。一方で、「わたしは男のひとを好きにならない。なれないんだ」と性的指向に触れた、瑠可から両親への語りは、典型的なレズビアンのカミングアウトと捉えられる。にもかかわらず、本作では、あくまでも「性同一性障害」としてのイメージづけがなされたことで、レズビアンと性同一性障害の描かれ方に混乱した視聴者も多く、わたしもそのひとりだった。仮に瑠可が性同一性障害だったとすれば、上の語りは、「わたし(の心)は女じゃない。男なんだ」と、性自認に触れたものになっただろう。

 「瑠可ってレズビアンじゃん。レズビアンだと何でいけないの?」。ドラマの監修をしていたFtMトランスジェンダーの指摘を見送り、のちに脚本家自身が「『性同一性障害』のほうが『レズビアン』よりも共感を得やすいと考え、あえて戦略的に『性同一性障害』という言葉を残した」と発言していることからも、本作での描写は実態に即したものとは言い難い。わたしが当時通っていた女子高でも、レズビアンの友人や、どこか「男っぽい女学生」のわたしに対して、「ちゃんと病院に行って、診てもらったほうがいいよ。瑠可も行ってたし……」と同級生が忠告してくるほどだった。正しい理解をもちあわせず、影響を多大に受けてしまう学生にとって、テレビドラマをはじめとするメディアの影響力がいかに大きいのかをまざまざと実感させられた。同時に、イメージはこうして意図的につくられていくのかもしれないと、大きな何かに動かされていくような恐怖と、不快感を覚えた。その後、理解ある保健室の先生の言葉や、すすめられた本のおかげもあって、友人とわたしは、同級生とそのドラマの呪いから、かろうじて逃れることができた。

  世界標準的にみると、MtFFtMの比率は3:1もしくは2:1ほどで圧倒的にMtFが多い。他方で、日本の場合はその逆。おおよそ1:2の割合で、FtMの受診者が圧倒的に多いという。上記のような日本特有のメディア描写による影響から、本来は、より慎重になるべき手術に早急に踏み切ってしまった若年層の存在を指摘する声もある。実際に、性同一性障害を専門とする「はりまメンタルクリニック」(6)で執筆された戸籍変更診断書によると、男性から女性(MtF)へ性別適合手術を受けたひとのうち、国内で手術を受けた人が約3割、タイでの手術が約6割、それ以外の国での手術が約1割だった。一方、女性から男性(FtM)への手術を日本で手術を受けたひとはMtFのほぼ3倍強にあたる495名、タイで手術を受けたひとは、MtFの約3倍にもあたる773名だった。

  いわゆる「性同一性障害特例法」が果たした功績も、少なからず認められてはいる。一方で、一見、福祉的な法律がトランスセクシュアルや「あいまいな性」のもち主を「性同一性障害」として囲い込み、「男/女」の性別二元制に回収し、その存在を無化してしまうような性格をもちあわせていることも、忘れてはならない。「治療」することで「正常化」し、男女のどちらかに強制的に矯正され、期待される像を演じられる人々だけがマジョリティに組み込まれるという構図では、本質的な解決はなされない。性社会史研究者の三橋順子氏が述べるように、「『病者救済』という発想ではなく、同性愛者や性別越境者、さらにはサード・ジェンダー的なあり方も含めて、性の多様性を承認し、性的少数者の人権=性的自己決定権を尊重する、つまり、性的マジョリティと性的マイノリティの共生という視点から施策を進めることが必要」(※7)なのではないかとも思う。

  性同一性障害に関する治療費も決して安いとは言えず、南も学生時代からいくつもアルバイトをかけもちしながら、大学に通っていた。主に、精神療法、ホルモン療法、手術療法の3つがあり、このうち、精神療法と手術療法には公的医療保険が適用された(2018年4月)ものの、長期的な継続が必要なホルモン療法については、現時点で不認可のまま。それに、自由診療であるホルモン療法を受けていると、混合治療という扱いになり、手術療法も健康保険適用外になってしまう。こうした実態に合わない制度により、経済的な面での自己負担は続くため、南のように少しでも手術費用を抑えようと、国外での療法を決意するひとも多い。20186月、WHO29年ぶりに国際疾病分類「ICD-11」の規定を発表。「精神疾患」に分類されていた「性同一性障害」は、性の健康に関連する状態・病態として「性別不合(Gender incongruence)」となり、実際に適応される20221月以降にはさまざまな場面での名称も改められる可能性が高いという。それでも、字面からして「不合格」の烙印を押されるような印象を受けずにはいられないあたり、なんだかもやもやしてしまう。

  当時、日本ではまだ珍しかった性別適合手術をモロッコで受けたタレントのカルーセル麻紀さん。1973年当時は手術についてネットで知る術などはなく、フランスの友人に聞いたモロッコの病院へ直接問い合わせの手紙を送ったそうだ。手術費用は、現在の価格でおおよそ600万円ほど。術後の経過や形状に満足できず、病院でこっそり隠れてハサミで局部の後始末をしてしまうなど、望む身体と引き換えに得た代償や、想像を絶する痛みを伴う経験だった。1970年代にはモロッコ、続いてシンガポール、1995年頃からはタイでの性別適合手術が主流になったとされ、アジア通貨危機後の1997年以降には、外貨獲得も視野に入れ、タイのヤンヒー国際病院をはじめ民間医療機関が医療ツーリズムに注力し始めたという(※8)。彼女の自伝的著書の終章「病気じゃないのよ、私たち」で、カルーセル麻紀さんは「性同一性障害」という言葉について、こう述べている。「でも、私、この言葉あんまり好きじゃありません。だって、私たち、『病気』なんかじゃないもの。とはいえ、『病気』にすることで、性の不一致に悩む人が社会に受け入れられるのなら、大歓迎よ」(※9)。

  皮肉な言葉に思えるかもしれない。けれど、これまで周囲と、そして何より自分自身と闘い続け、常に「わたしらしさ」を追い求めてきた彼女だからこその言葉だと思う。奇しくも「病気ではない」という語りは、タイの多くのカトゥーイからも聞かれた。「病気」として、診断名をくだされることで安堵できることもある。わたし自身、精神的な揺らぎが続くこともあり、学生時代、当時の恋人に連れられて精神科を訪れたところ、「双極性障害」という、一種のうつ症状にあると診断された。つかみどころのない、自分でも説明し得ない状態に、どこかで聞き覚えのある名が付けられたことで、安心もした。のちに『性の政治学』で知られるケイト・ミレットはじめ、よく知る著名人たちも双極性障害と診断されていたことを知り、「なんだ、わたしだけじゃないんだ」と、妙に冷静になれたのを覚えている。と同時に、自分自身に「障害」というラベリングがなされた自覚は、一向にもてないままでいた。

  カテゴライズされ、「患者」として「治療」すべきだというラベルを張られ、意図せぬ文脈に巻き込まれながら、戸惑ってしまうひともいる。なかには、術後にも続く違和や、容姿の変化に対する周囲からの視線に悩み、戸籍上の性別の再変更をもとめたり、死を選ばずにはいられなかったひともいる。「『性同一性障害』は、かわいそうでもなんでもない」。南が話していた言葉を思い出す。戸籍の性別を変更するのに必要なんだったら、一種の方便として、世間や医師がいう「障害者」ということにしておいてやろう、と。たとえ通称が「性別不合」になったとしても、手術を済ませたとしても、すべてが解決するわけでもない。痛みを引き受けながら、絶え間ない治療を続けながら生きていく彼らの日常には、終わりなき性別移行の過程が待っている。

  2013年、GID(性同一性障害)学会主催のイベントに参加した際、戸籍上の性別変更を終えた30代のMtFの発言が、いまでも忘れられない。「わたしは女装とか、趣味でやってるひとたちとは違うんで」。その場に参加する当事者をはじめ、わたしを含む非GIDとの差異をあえて強調するような発言に、あ然としてしまった。診断名という専門医からのお墨付きを得て、私と他者を差別化することもできるのが、「性同一性障害」なのかもしれない。例えば、トランスジェンダー志向のあるひとが不定期的に女装する場合には不自然で、病気を抱える患者が女装することは自然。こうした線引きは、どこでなされるのだろうか。

 「男っぽい女ではなく、正真正銘の男になれた」「女っぽい男ではなく、正真正銘の女になれた」というような典型的な語りは、性別適合手術の全過程を終え、戸籍上の性別を変更したひとからよく聞かれる。「完全に移行を終えた」というようなの語りを紐解いていくと、むしろ現在進行系で続く、終わりなき越境の過程の只中(※10)に自らの生を置き続けなければならない現実もみえる。望む性として公的承認が得られたとしても、厳密に言えば、男でも女でもない身体的性を生きるために、障害者としての自分を引き受けながら治療を続け、ときとして周囲から期待される性同一性障害者像を演じなければならない。果たして、自由を手に入れることができたと言えるだろうか。完全な移行ではなく、術後の終わりなき越境の過程に束縛されてしまう現実を、不自由と捉えるべきだろうか。

 私は、必ずしも医療的手段をとらずとも、社会や周囲からの「こうあるべき」よりも、自身の「こうありたい」を体現し、強制的に矯正され得ない、あいまいな性を生きるタイのカトゥーイの人々に、しなやかな生のあり方を見いださずにはいられない。「わたしは、そういうひとたちへの偏見はない」だけでは差別はなくならないし、「病気なんだから、しかたない」という前置きなしでは相手を許容できないとすれば、なんて窮屈だろう。
 日本で生まれ育つなか、他者から言われもない審判をくだされる理不尽さを、少なからず経験してきた。一見、男性(女性)に見えるそのひとは、実は戸籍上は女性(男性)かもしれないし、そのどちらでもない場合だってある。実際に話してみない限り、目に見えないもののほうが圧倒的に多いのかもしれない。二項対立的などちらかにおさまることを強要するのではなく、カミングアウトを歓迎できるような「ウェルカミングウト」(※11)な場。属性でひとくくりにせず、ただ目の前のそのひとをみつめられるような社会。「そういうひとたちがいたって、いいじゃない」。曖昧さを許容するまなざしをもち合わせるひとが少しでも増えた世界は、どんなだろう。「タイは、さほど他人に構いすぎず、気をつかいすぎないから楽」という声も聞かれるように、ときには、ある種の「寛容なる無関心さ」にこそ、救われることもある。中途半端な興味関心や同情なんかよりも、それは、きっと、ずっと優しいにちがいない。まずは周囲に、そして誰よりも自分自身に、どんなセクシュアリティだって、「マイペンライ」(大丈夫だよ)を伝えられるひとでありたいと思うのだ。

同性間での性行動が確認されている動物たち(筆者撮影)

 

(※1)タイ国政府観光庁「Go Thai. Be Free」公式サイト
(※2)株式会社LGBT総合研究所公式サイト
(※3,8)伊藤元輝『性転師:性転換ビジネスに従事する日本人たち』柏書房、2020年
(※4)奥野克巳・椎野若菜・竹ノ下祐二:編『セックスの人類学』2009年、市野澤潤平「越境としての『性転換』―『性同一性障害』による身体変工」
(※5)鷲田清一『悲鳴をあげる身体』PHP研究所、1998年
(※6)「日本性同一性障害・性別違和と共に生きる人々の会「性同一性障害特例法による性別の取扱いの変更数調査」2019年版
(※7)三橋順子『女装と日本人』講談社、2008年
(※9)カルーセル麻紀『私を脱がせて』ぶんか社、2002年
(※10)ボーンスタイン、ケイト『隠されたジェンダー』筒井真樹子訳、新水社、2007年
(※11)杉山文野『元女子高生、パパになる』文藝春秋、2020年

 

(第15回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回、2021年1月26
日(火)ごろ掲載