ゆるやかな性 来生優

2019.6.27

03「ゆるやかな性」の国へ


 大学入学後、はじめての夏休みが終わり講義が再開された。周囲はみんな、海外旅行や帰省を満喫したようで、親友の褐色の肌はその充実ぶりを物語っていた。ひとりだけ、また少し重くなった身体を引きずって学内を歩いていると、掲示板のある講演会のポスターが目に入った。宝塚歌劇団出身のレズビアンの方(東小雪さん)の話が聞けるという。何かがひっかかり、気づくと申込みを済ませていた。当日は50名ほどの学生が集まり、教室は賑わっていた。いよいよ講演会がはじまる。彼女の口から次々と発せられる「LGBT」「アライ」「アウティング」など、聞き慣れない言葉たちが、ここにいていいのだろうかと、わたしをそわそわさせた。そんななかでもクールで、どこか落ち着いた様子だったのが隣に座っていたある学生だった。同じ学年だろうか。講演会中もなんだか気になり、終了と同時に、わたしは会場を後にしようとする彼女にとっさに声をかけた。「あの……よかったらこのあと、お茶とか。どうですか?」。思いがけない誘いにびっくりしたのだろう。沈黙が少し続き、ほどなくして「はい、わたしでよければ!」と満面の笑みが返ってきた。
 それが那月との最初の出会いだった。わたしよりひと学年下の彼女は、170センチほどの長身でショートヘア。スラッとしていて、どこか洗練された外見はかっこよく、アパレル店でアルバイトをしているという。その後、すっかり意気投合したわたしたちは学内であまり会える機会もなかったので、週末よく遊びにでかけるようになった。「ニチョ」(新宿二丁目)にあるLGBTフレンドリーなカフェやバーに出かけては、いろんな人たちと知り合いになった。ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーをはじめ、ホルモン治療費のためにアルバイトをしているというGIDの学生さん……。はじめは独特な雰囲気の街や空間に緊張していたものの、那月が知り合いの店に連れ立ってくれたりして、慣れるまでにそう時間はかからなかった。
 そんなある日、那月と仲良くなったバーのマスターに思い切って、自分の過去や性自認について打ち明けてみた。「それって……世間的に言われているバイセクシャルっていうより、パンセクシャルなんじゃない?」。「パン…セクシャル……?」なんだか美味しそうな名前だ。いわゆる、「男/女」のような二元的な文脈で語られることが多いバイセクシャルに対し、二項対立的な性を前提とせず、どんなセクシャリティの人でも恋愛対象になるのがいわゆる「パンセクシャル」なのだという。不思議そうにしているわたしにマスターは優しくこう言ってくれた。「まあ、聞いた話から一番そうっぽく表現する言葉をあてがっただけだから。無理に、その概念にあてはめようとしすぎなくてもいいんじゃない。自分でカテゴライズしすぎると、かえって自分の首をしめることもあるから」。
 その後も、毎年代々木公園で開催されるLGBTのイベントTRP(東京レインボープライド)に参加したり、新宿や歌舞伎町界隈のお店に出入りしたりすることが多くなった。さまざまなグラデーション、立場をとる人たちと仲良くなる一方で、どっちつかずで宙ぶらりんな自分に落ち着かず、苛立った。実際に、那月はマッチングアプリやオフ会に参加しては、自分を理解してくれるパートナーとの出会いを求めていた。厳格な両親に育てられた長女として、教師を目指し、身内へのカミングアウトなんてもってのほかの環境に置かれていて苦しいのだと笑っていた。
 ある日、ゲイやレズビアンの知人から、酔っ払ってこう言われた。「いいよね〜、どっちにもふれるから。二刀流っていうか、いいとこ取りっていうか。こっちは出会うにも、付き合い続けるにも必死なのにさ〜」。ショックだった。彼らならわかってくれるんじゃないかと、どこか甘えていのだろうか。急に、目の前で立ち入り禁止線を引かれたようで悲しかった。いわゆる「マイノリティ」と称されるコミュニティにおいても、内部での偏見や抑圧はないとは言えなかった。分断される環境から逃れて行き着いた、安全圏のはずだったのに。たいしてお酒も飲めないくせに連日連夜、飲んでは、来る者拒まず、去る者は追わずとでも言うかのように、いろんなひとたちと一夜を過ごした。そんなことをしても、満たされないことはわかっている。でも、誰かと肌を重ねていなければ、自分がいまここにいる感覚さえも忘れてしまいそうで、ただただ怖かった。今思うと、いろんな人を傷つけただろう。夜が明けて、穏やかな表情で眠るその人とどう向き合ったらいいかわからなくなる。音信不通気味になり、相手に愛想をつかされたこともあった。また、当時在寮していた大学まで相手が押しかけてきて、門前でひと騒動なんていうこともあった。いま、もし彼らに会うことができるなら、まっさきに謝りたい。そして、まっすぐに向き合いたい。
 大学1年目からそんなことをしているうちに、あっという間に大学生活も2年目を迎えようとしていた。欠席がちでさすがにまずいと感じ、学生生活課に単位の相談をしに行くと、2年目で挽回しないと卒業も危ないという。そんなこともあって、必須科目になった国際協力に関する講義を受講することになった。その講義のある回で、国際保健のNGO団体の職員さんが話にきてくれた。タイやカンボジアで国際保健にまつわる活動や、国内では在日外国人向けの健康相談活動をしているという。よくありそうなNGOの話かと思い気持ち半分に聞いていると、その職員の人がこう話しはじめた。「タイ、特に東北部ではMSMMen who have Sex with Menと言って、男性と性行為をする男性たちがいます。彼らのなかには、知識なしに性行為をしたためにHIVAIDSに感染し、いまも治療を続けながらも、差別に苦しんでいる人がいます。また、タイには、東南アジアの中でもさまざまなセクシャリティの人がいて、セックスワーカーとして働くトランスジェンダー向けにも予防・啓発活動をしています」いままで聞いたことがない人たちの存在に、聞く耳を疑った。「わたしたちのNGOでは、国際保健について知ってもらうために毎年スタディーツアーを開催しています。興味のある方は、このあとぜひ聞きにきてくださいね」。「……あの!」公演後、わたしはまっさきに彼女のもとに走った。
 その後、いろいろと調べたり、NGOの事前学習会に参加したりして、わかったことがある。タイには「第三の性」と呼ばれる人や性別越境者が多く、世界有数の性別適合手術数を誇ることから、海外から手術を求めて訪れる人が多い国としても著名であるということ。そして、タイでの性別越境者は、航空会社の客室乗務員や教師として働くなど、社会的認知度も高い。とくに、そのNGO団体の活動地ともなっている東北地方では、生得的な身体は男性だが、心は女性だという人々をKathoey(カトゥーイ) と称することもあり、必ずしも手術という手段をとらなくとも、自らの性と生を楽しむ人々や、徐々にその理解者も周囲に増えているということ。病気や治療すべき対象、弱者、性的少数者、マイノリティとして多様な性のあり方を捉えがちな日本と、病気ではなく、むしろ個性のひとつなのだと自身や他者の性のあり様を肯定する傾向にあるタイ。双方の性に対する認識の差異は一体どのようにして生まれるのだろうか。Kathoeyとはどのような人々なのか。また、周囲の人々のKathoeyへのまなざしは実際にはどのようなものなのだろう。古くから、歌舞伎にみられるような女装文化が存在し、曖昧な性がある程度許容されてきた日本。昨今、メディアでオネエタレントの活躍も目立つ一方、一般的な社会では排除されることも多い存在のトランスジェンダー。歴史的かつ宗教的にも接点のあるタイと日本――どこか無関係ではない。そんな気がして、しょうがない。こうして、タイの性と生に触れる時間が、次第にわたしの救いになっていった。
 なんとか夏休み前の試験もパスし、いよいよタイに旅立つ日がやってきた。大学1年目の夏休みとはちがって、なにかいい意味で、大きな何かに動かされている気がする。MSMって、kathoeyってどんなひとたちなんだろう。タイって、いわゆるニューハーフの人が多いって聞くけど、本当なのかな。もしかしたら、わたしみたいな人もいるのかな……。高鳴る気持ちとともに、わたしはタイ行きの飛行機に乗り込んだ。

(第3回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
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日(土)掲載