ゆるやかな性 来生優

2019.7.13

04“わたし”を生きる場所

 タイは想像以上に暑かった。はじめて降り立ったスワンナプーム国際空港は、世界各国からの観光客や地元の人たちで朝から活気にあふれている。興奮からか一睡もできずに眠気を引きずっていたわたしの目もすぐに覚めてしまった。わたしたちスタディーツアー一行はタイ東北部のウボンラチャタニーに向かうため、国内線の乗継便に急いだ。バンコクから約1時間ほどの県で、ラオスとの国境沿いに位置し、農業が盛んなところだそうだ。簡単なタイ語は覚えたものの、果たして通じるのだろうか。行きつけのタイ料理店でしか会ったことのないタイの人への想いをはせながら、乗継便の機内でも仮眠をとることができないまま、あっという間に現地のこじんまりとした空港に到着した。
 空港から、今度は車移動だそうだ。数名の現地スタッフがちょうど空港まで迎えに来てくれていた。その屈託のない笑顔と熱烈なる歓迎に圧倒されてしまい、思わず笑みがこぼれた。メンバー一行を乗せたバンは、舗装されたコンクリートロードをひた走る。空港から離れるにつれ、田園風景が増えてきた。タイ農村部特有の鮮やかな深緑に目を奪われ、思わず窓を開けた。大きく息を吸い込むと、濃い草の匂いとともに屋台からの匂いが鼻をくすぐる。地元の風景とも重なり、どこか懐かしい感じがした。走り続けること約3時間ほどして、ようやくオフィスの事務所に到着した。わたしたちを待ってくれていた他の現地メンバーは4名ほどで、「日本人がきた!」と大騒ぎで迎えてくた。
「スタディーツアー前だし、オリエンテーションでも始まるのかな」と思っていると、「さあ、まずはご飯にしよう!」という声が聞こえてきた。続々と近所の村人たちが手作りのおかずや果物をオフィスに持ち寄り、裏庭にござを敷きはじめている。あっという間にランチ仕様になった裏庭に見入っていると、右腕に生暖かい何かが触れた。ニヤリと笑う村人が私に押しつけてきたのは、なんと締められたばかりの鶏だったのだ。やけに鶏の鳴き声が聞こえているなとは思っていたが、まさかこんな姿での対面になるとは思いもしなかった。家畜として育てていた食用の鶏を持ってきた村人の手により、手際よくさばかれていく鶏。唖然と見つめる日本人の姿が面白かったのか、タイ人からどっと笑いが起きた。
「もう、やめてよ〜」どこからともなく聞こえてきた声のほうに目をやると、ある男性スタッフが嫌がっている相手にかまわず、これから一緒に鶏をさばくよう促している。その相手は物腰が柔らかく、どこか語感もほかの村人のそれとは違う。のちのちわかったことなのだが、その人はいわゆる現地で”kathoey”と称されるトランスジェンダーだった。名前を聞くと、ぺーだと言う。タイの人の本名は長く、覚えづらいためニックネームを用いるのが一般的だと聞いていた。わたしは、現地のNGO団体でスタッフとして働くぺーと村の一般家庭にホームステイをしながら、2週間現地での活動に参加させてもらうことになった。お世話になる家庭は、自宅で美容室を営むお母さんとおばあちゃん、双子の娘さん、息子さんの4人家族だった。お母さんいわく、出稼ぎでラオスに行ったお父さんはそのまま別の女性とどこかへ出て行ってしまい、数年前に離婚。現在は女手一つで子育てをしているという。はじけるような笑顔がまぶしいお母さんで、いつもわたしに「お願いだから、タイ人男性だけはやめておきなさいね」と、おどけて釘をさしてくるようなひとだった。
 タイ農村部での生活はどこか懐かしく、そして新鮮だった。毎朝裏庭で飼われている鶏の声で起きる。もはや持参したアラーム付きの時計は不要だった。家族全員でござを敷いて朝食をとり、お母さんは仕事の準備。子どもたちは学校へ行くため、バス停に向かう。わたしも日中はNGO団体の活動に同行させてもらい、保健所や病院、一般家庭、学校などさまざまな場所へおじゃまさせてもらった。なかでも印象的だったのは、「カラオケバー」という場所だ。いわゆるカラオケを楽しめる場所なのだが、日本とはかなり異なる。屋外にテントのようなオープンブースが複数あり、各持ち場ごとに担当者がついて接客にあたる。メインの客層は3040代の現地男性と思しきひとたちで、どの子のブースに行くか事前に受付で相談しあっている様子が見えた。その後、ブースに入りひとしきりカラオケを楽しむと、ブースにいた子を連れ立ちホテルへ向かう人もいれば、アフターとして食事に連れ出す人もいた。
 団体の活動として、そんな場所で働く人たちにコンドームを無料配布し、適切な避妊ができるよう呼びかける活動をしているのだと言う。「うちは大家族で生活が厳しいから。実家に仕送りをするの」とラオスから出稼ぎに来て、お店で寝泊まりをするラオス人の女性もいた。ラオスの言葉はタイと似ている点が多く、それほど不自由はしないそうだ。また、「男性に生まれたのに女々しくて頼りない」「力仕事の農家には向いていない」と、家業の跡継ぎにはなれず、家族に見放され、仕方なく縁もゆかりもないこの土地で働き、なんとか生きていかなければいけないというトランスジェンダーのタイ人にも会った。「カラオケバー」というなんとも楽しそうな響きとは裏腹に、働く人たちの胸中は複雑で、故郷を想うその表情はどこか哀しかった。それでも、そんな自分を許し、誇りをもちながら自分らしく生きる姿はかっこよかった。自分にはないまっすぐなプライドがまぶしかった。「望んでここで働くことになったわけではないけれど、ここでの自分と生活が好きなの」。流れ着いたその場所が、たとえ本来望んでいた場所ではなかったとしても、そこに自分を見出し、生きる彼女たちは美しかった。
 平日は一日中NGO活動に同行していて、日中はなかなか家族との時間をもてずにいた。はじめてタイで迎える週末。わたしたちは、家族とペーと一緒に近所の市場へ出かけた。築地市場のようなイメージを抱いていたわたしは、到着早々呆然とした。まず、陳列されているものが圧倒的に違っていた。果物や野菜、肉はわかる。だがその反対側の通路では日用品や服、さらには下着までもが野ざらしで、オープンな状態で売られている。屋外の市場でまさか下着を目にするとは思ってもいなかったわたしは、呆気にとられた。「ねえねえ、こんなのいいんじゃないの?」ふさげたぺーがどこからともなくセクシーな下着を持ってきては、からかってきた。彼女は実にユーモアのある人だったので、いつも周囲は笑いに包まれていた。


 そんな市場でもっとも衝撃的だったのは、蛙だった。焼いたカエルやカエルスープはいつもの食卓で見慣れていたものの、生きている蛙がごくごく当たり前に売られている光景はショックだった。ビニール袋に1匹ずつ詰められた蛙が、早くここから出せとばかりに飛び跳ねていて、今にもビニールを突き破ってきそうな勢いだ。そんな袋が店頭一面にびっしりと陳列されているので、見ているだけでぞっとした。
 その光景に見入っていると、右手になにかひんやりとしたものが触れた。ぎょっとして手のほうに目をやると、ついさっきまで目の前で売られていた蛙だった。お母さんはいつのまにか何匹か購入していたらしく、わたしを驚かせたのだ。あまりの衝撃に飛び跳ね、恐れおののくわたしを見て市場がどっと湧いた。「これ、どうするの?」と聞くと、「スープにして食べるのよ!」とお母さんは満面の笑みで答えた。ぺーはどうやら生きた蛙が嫌いらしく、一方的に袋をもたされたわたしに向かって「あっちにいけ!」とジェスチェーをする。買い物を済ませ、バイクに乗って帰ろうとしていると、お母さんから「よろしくね!」と追加で蛙の袋を渡された。いつの間に買い足していたのだろう(日本人へのご馳走と言えば聞こえはいいが、ここは丁重に遠慮したい)。帰りもお母さんが運転してくれるバイクの後部に乗り込み、「安全運転でいかないとね!」と手ぶらのわたしが袋を持たされる羽目になった。タイ東北部の農村で両手一杯に蛙の袋をもち、タイ人が運転するバイクの後ろに座る日本人。なんとも滑稽な光景だったのだろう。道行くタイ人たちがわたしを指差し、ケラケラ笑いながら走り去っていく。まさか蛙もこんな形で日本人にもらわれていくなんて思いもしなかっただろう。わたしの手の先では、ジャンプする蛙がその勢いを増している。「早く家に着いてくれ!」これから一体どんな日々が待ち受けているのだろうか。なんだかすごいところに来てしまったようだ。

(第4回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年7月27
日(土)掲載