ゆるやかな性 来生優

2019.7.27

05微笑みの国のマイペンライ

 タイは、わたしが想像していた以上に微笑みにあふれた国だった。「微笑みの国、タイ」とはよくいったものだなあと思う。タイでは暑い日が続いていた。風に吹かれ、舗装されていない道を走る移動中の車内。地面を伝ってくるその振動が心地よく、ついついうたた寝をしてしまった。隣に座るタイ人スタッフの肩に、ごつんとわたしの頭があたり、その衝撃で飛び起きた。「しまった!寝てしまった」。よりによって、わたしたちより多忙で疲れているだろうスタッフが運転してくれているというのに。申し訳ない気持ちで隣に目を向けると、彼女は微笑み、そして「マイペンライ〜」と言った。「マイペン(私のペン)……ライ?」。光が照らすその笑顔はなんとも神々しく、夕日が後光に見えるほどで、ついつい見入ってしまった。寝ぼけていたからだろうか。このときからさまざまな場面で「マイペンライ」という言葉を耳にした。日本語に直訳すると「気にしない」という意味だそうだ。日本でいうと、どことなく沖縄の「なんくるないさ~」のようなニュアンがあって、気づくと自分でも「マイペンライ〜」と口にするようになっていた。自分でも相当気に入っていたのだろう。調子にのり、あまりにも多用するわたしを見ては、皆笑っていた。
 タイに来てからというものの、タイ人ならではの大らかさというのか、ゆるやかさのようなものが異国の地でのわたしを安心させてくれた。どの人の佇まいも、必要以上に圧を与えてこない。「おかえり」と優しく微笑んでくれる実家の母のような眼差しを持ち合わせていた。国民性に加えて、会話中に飛び交うタイ語の音や響きも関係しているように思う。「サワッディーカァ」(こんにちは)、「コォープクゥンカップ」(ありがとう)など、どの音も語尾の響きが心地いい。現地のタイ人に聞いてみると、語尾は男女で変わるらしい。一般的に、男性の場合には「カップ」、女性の場合には「カァ」のように、話者の性自認によって語尾を使い分けるのだと言う。確かに、よくよく聞いてみるとぺーの発する言葉の語尾も「カァ」だった。日本語でいう「です」「ます」にあたる語尾が話し手について知るヒントになるなんて思いもしなかった。
 それからと言うもの、はじめて会う人の話を聞く際には語尾を聞き逃すまいと、意識するようになった。語尾と同じように、主語にも特徴があった。男性の場合、主語の「わたし」を「ポム」、女性の場合は「チャン」を用いるという。日本では男女問わず「わたし」を用いることもあるし、英語の「I」では隠れてしまう何かがタイ語にはある。まだまだタイ語が話せない手探りの状態なので、英語が話せる現地スタッフの力を借りては、訪問先や行き交う人々によく質問をしたり、話したりしていた。わたしが英語でスタッフに質問をし、スタッフがタイ語で現地の人たちに尋ねる光景は日常茶飯事になっていた。相手からはよく「カァ」「カップ」(そうです、はい)という返事やあいづちがあり、その音がなんともかわいらしかった。


 農村部で出会った人たちのなかに、ほがらかな顔つきで40代ほどの男性がいた。日に焼けた肌と、やわらかな笑顔が印象的だった。短髪で、Tシャツに短パンいう出で立ちの彼はニーさんといった。ニーさんの自宅を訪れると、合掌をしながら「サワディーカップ」と挨拶をしてくれた。わたしはタイ人が挨拶をするときに両手を合わせる仏教国ならではの所作が好きだ。相手への敬意を表する伝統的な挨拶「ワイ」。バンコクなどの都心部では、このように挨拶をすることも少なくなってきているそうだが、農村部の年配の方は皆こうしてくれたのだ。どこかで見たタイのマクドナルド店頭に立つキャラクターも、合掌をしていた。ふとそのキャラクターを思い出し、見よう見まねで両手をピタッと合わせ、挨拶をした。すると、よくわたしの面倒を見てくれていた現地タイ人スタッフのノーイが笑いながらわたしの手を取った。「違う違う! こうよ、こう。両手は蓮の花を意味するの」と、少し手を膨らませるようにするのだと、その場で手の形を直してくれた。それを見て笑う近所の子どもたちにも、同じように合掌すると、またニーさんとノーイは笑う。「ルイ、子どもたちにはしなくてもいいのよ。普通は目上の人やお客さんにするものだから」とノーイから説明された。日本でいうと、子どもたちに深々とお辞儀をしている大人という感じなのだろうか。挨拶一つとっても難しいものだ。
 ニーさんの自宅で話をする。はじめのうちはニーさんの語尾が「カップ」だったのに、徐々に打ち解けてくると、ところどころで「カァ」という言葉がちらほらと出てきた。その後、生い立ちを聞いてみると、教師をしている厳格な両親のもと、厳しく育てられてきたと言う。幼い頃は、女の子たちと髪あそびをしたり、おままごとをしたりしては、注意されていたそうだ。さまざまな性に対するまなざしが比較的あたたかいタイでも、当時の農村部ではまだまだ理解されていなかったようだ。「そんなことじゃ、農家にもなれないよ」「一度、お坊さんに相談に行かせてみてはどうか」。ニーさんとご家族は、近所の人からよくこんなことを言われたという。タイでは、各地域にお坊さんがいらして、人々は日頃から説法のために寺院を訪ねるそうだ。タイ人にとって身近な存在であり、尊敬してやまない存在なのだと聞いた。
 自身の性自認に反して、周囲から求められる言動に戸惑ってきたというニーさん。好きになる相手はいつも男性で、「なんで自分は女性に生まれてこなかったのか」と悩んでいたという。思春期に、性転換手術をした人を偶然テレビで観ては、「自分もこんなふうになれたらなあ。お金があったらなあ」と、羨ましく思ったそうだ。幼少期から周囲の反応を気にして、言葉や行動を細かに使い分けてきたからだろう、見ず知らずの日本人にも、無意識のうちに気構えてしまったのだと思う。話を聞きながらも、ニーさんが勧めてくれたお手製のソムタム(パパイヤサラダ)が美味しすぎて、一向に手が止まらない。気づくと「セーブライドゥー!」(タイ東北部の言葉で「とっても美味しい」)を連呼していた。そんな食いしん坊を見たニーさんは「そんなに美味しそうに、たくさん食べてくれるなんて」と、笑いながら話を続けてくれた。あとでノーイから聞いたのだが、タイ農村部では分け合い、共有することで心を通わせていくのだという。なかでも食事はとくに大切なコミュニケーションなのだそうだ。
「わたしたちがよくテレビで観るような、おネエタレントのような人たちばかりではない」。ニーさんと話していると、そう感じる。メディアでからかわれたり、いじられたりしているタレントさんにも、さまざま葛藤があるだろう。何気なくバラエティ番組のタレントさんのやり取りを見て笑っていた、無知な自分が恥ずかしく思えてくる。ニーさんもよく学校ではかわかわれたり、いじめられたりしたと言う。タイでもいわゆる「おネエタレント」のような人がテレビ番組に出演しては、ゲストのイケメンに群がったり、「かっこいい〜」と照れながらもボディタッチをしたり……。そんな反応を求められている姿を観た。テレビ越しの「おネエ像」に、幼少期のニーさんも戸惑ったと言う。そんな「おネエ」にカテゴライズされ得ないひとたちは、たくさんいる。
 わたしはとっさに江藤くんを思い出した。小学校のときクラスメートにからかわれて不登校になってしまった江藤くんと、ニーさんが重なった。江藤くん本人のパーソナリティにかかわらず、周囲の作り出した像やステレオタイプに引っ張られ、本来の自分とは遠くかけはなれた言動を求められていたのかもしれない。ちょうどミッツ・マングローブさんが「『おネエ』は面白くも、かわいそうにも扱える『有能な弱者』」と発言されていたのを思い出した。タイでニーさんの話を聞きながら、江藤くんを思い、心がちくりと痛んだ。
 そんなニーさんは、バンコク市内で教師をしているという。ちょうど帰省中で、実家に戻ってきていたそうだ。「教師になってからは、周囲の見る目も変わってきてね。昔、教師をしていた両親は喜んでくれたし、親戚からも『立派に育った』て言われて。親もまんざらでもなさそう」と笑う。何かから解放されたようなその笑顔は清々しく、美しかった。「教師をしている息子」になった自分を見て、幼少期のニーさんは何を想うのだろうか。「いまが楽しいし、幸せ」だと笑うニーさんを前に、わたしも思わず微笑んでいた。ニーさんに会ったその日の夜、ホームステイ先の家に戻り、わたしは手紙を書いた。
「江藤くん、元気ですか? わたしはいま、タイに来ています。今日はニーさんという人に会いました。どことなく江藤くんに似ていて、思い出して。思わず手紙を書いてしまいました。帰り道によく一緒に寄り道していったような田んぼがたくさんあって、すごくいいところです。いつか江藤くんにも見せたいし、紹介したい人たちがたくさんできました……」。
 いつか江藤くんに会ったら渡せるように、今日の感覚をしっかりと抱きしめながら、わたしは筆を走らせた。その手紙はまだ、江藤くんに渡せずにいる。

(第5回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年8月13
日(火)掲載