ゆるやかな性 Heshe Ləəy

2019.11.8

08“家族”というしこり

 

 タイ、とくに東北部では、男性から女性へのトランスジェンダーを“Kathoey”(カトゥーイ)とも呼ぶそうだ。タイの国立大学でトランスジェンダーについて研究していたタイの知人、ノイによると、明確な使い分けがあるわけではないものの、似たような意味のタイ語「プアンサーオ」というものもあるらしい。2000年代以降から、タイ国内でも徐々にLGBTという言葉がちらほら聞かれはじめたがなかなか浸透せず、以前から馴染みのある“Kathoey”や「プアンサーオ」を用いる人のほうが今でも多いという。
 そんなKathoeyと称される人々に、ノイの紹介で出逢うことができた。ラフな出で立ちの人もいれば、タイトなワンピース姿で露出の多い服装をしている人もいる。それぞれのKathoeyの語りからは、想像以上に家族にまつわる話が多く聞かれた。私が家族という切り口で質問した訳でもなく、話をしているうちに自然と家族にまつわる話に行き着くことが多くなってしまい、「家族」というものが彼女たちを知るうえでどうしても避けては通れないものなのではないかと感じるようになった。

 農村部で働くKathoeyのヤイさん(40代)と話したときのこと。「女性ばかりの環境で育ったせいか、憧れるのはいつも周りの女性ばかりだったの。母やふたりの姉に近所のお姉さん。姉ふたりとの仲は良好だったけど、当初母との関係はあまりよくなくて……。そんなわたしを見かねて、姉がよく母との間をとりもってくれたの」。女系家族で、待望の長男として生をうけたヤイさん。農村部で暮らす家族や親戚からは跡継ぎとしての期待も大きく、次第に自身の性自認に違和を感じはじめてからの日々は、罪悪感でいっぱいだったという。Tシャツにジーパン、サンダルというラフな出で立ちで、日に焼けた顔に短髪が似合う。
 ヤイさんは、わたしが飲み物をきらしているとすぐさま勧めてくれるような、細やかな気遣いが印象的なひとだった。お姉さんのおかげもあり、今では家族と同居を続けつつ、つかず離れずのいい感じの距離感で付き合いを続けているらしい。ヤイさんは、どちらかというと周囲のKathoey仲間のなかでも、さほど女性的な表装にはこだわりや興味がないと言う。以前からタイでは、高度な医療技術とその費用の割安さから、性別適合手術(SRS)を国内外から受けにやってくる「メディカルツーリズム」の動きも顕著だ。ヤイさんより若い20代のKathoeyのなかには、ホルモン治療のためにいくつも仕事をかけもちして、お金を貯めている人もいるという。バンコク市内のとある病院では、日本円にして数百万円台から受けられるコースもあり、アテンド会社を利用して病院を訪ねる日本人も多いようだ。現地タイ人にとっては決して安くはない手術費用ということもあり、そうした手術にもさほど興味がないヤイさんは、純粋に好きになった相手との時間を大切にしていきたいと言う。「格好もこんな感じだし、安上がりでいいでしょ?」と笑った。いつか両親にも認めれてもらえるようなパートナーと一緒に暮らすという夢をもちつつ、農業はこれからも続けていくみたいだ。

 タイ東北部出身で、現在はバンコクで教師をしながらゲストハウスを営むティーさん(40代)もまた、家族との関係性に悩んだひとり。「家族は当初、思春期の私にいつも聞いてきたの。『なぜあいつには彼女ができないんだ?』『周りにかわいい子はいっぱいいるだろう?』って。とくに、父親からはよく。当時、兄はさまざまな性のあり方について教育もうけていなかったし。兄からは『なんでこんなやつが弟なんだ』ってよく言われた。そう思うと、母は違っていて、私が積極的に家事や洗濯、掃除なんかで助けていたこともあってか、とくに女性らしい言動をどうこう言われたことはなかったかな」。ティーさんは父親や兄を見返そうと必死に勉強し、タイの東大と呼ばれるチュラーロンコーン大学に入学。優秀な成績で卒業した秀才だ。幼少期から、手に職をもち自立して生きたいという想いがティーさんの原動力になっていたようだ。しがらみが多く、息が詰まるような実家を離れるために必死に勉強した高校時代の自分と、ティーさんの姿がどこか重なった。ティーさんとは初対面だったのに初めて会った気がせず、旧知の友と再会したような不思議な時間を過ごした。先生と経営者という二つの顔をもつティーさん。当時を振り返りつつ、辛かっただろう経験もいまでは笑い話にしてしまうような強さをもつ人。家族との不和も原動力にしてしまうその強さが羨ましくもあり、わたしもまだまだだなと感じずにはいられなかった。今では、家族もティーさんを誇らしく思ってくれているそうで、たまに会ったり連絡を取り合ったりしているみたいだ。時間が解決するだなんて簡単には言えないけれど、ティーさんの家族との今の関係性が微笑ましく感じられて、思わず私も笑っていた。

ティーさんと著者(バンコクにて)


 ほかにも、さまざまなKathoeyの人たちと話す機会があった。家族との確執にまつわる悩みや体験談が多く聞かれる一方で、周囲の女性に影響を受けてきたと語る人も多くいた。現地滞在中にお世話になった、在タイNGOに長年勤務する日本人スタッフの方からは、Kathoeyは、タイ独自の女系家族出身者が多いと聞いた。「私が多く接してきたKathoeyの人たちも、比較的女系家族の人が多かったよ。特に母親や祖母に育てられた場合も多くて。東北部は女系家族が多いという話も地元のタイ人からはよく聞いたなあ」。実際にわたしが当時ホームステイをしていた家庭も、シングルマザーとして働くお母さんとその子どもたち(双子の兄・妹)、母方の祖母、母の姉という家族構成。家族で唯一男性(生得的な性)だった息子さんは、はじめて見る日本人にも細やかな気遣いができる少年だった。すすんでお母さんの手伝いをする姿を見て感心したのを、いまでも覚えている。

 帰国後も気になり、さまざま調べてみわかったのだが、タイ東北部では、タイ家族の特殊な形態がみられるということだった。南アジアを研究する故水野浩一氏によれば、「屋敷地共住集団」(multihousehold compound)というものがあり、同氏によると、「とくに北タイや東北タイで顕著にみられる形態で、娘は基本的に親元に残り、息子が婚出する婚姻慣行とあいまって、妻方居住が一般的になる」のだという[水野浩一『タイ農村の社会組織』創文社、1981年]。いわゆるサザエさん一家のようなイメージだろうか。「このことは親子の世代交代時における、親の扶養やその反対給付でもある相続において、子の性による格差(女子が男子より優先される)にもつながってくる」とも著されていた。少々話が逸れてしまったが、タイで語りの中に多く登場する家族や“周囲の女性たち”から、Kathoeyの人々の姿が垣間見えた気がした。身近な存在の女性に尊敬の念をいだいたり、自ら女性的な役割を引き受けたりすることで、家庭のなかでの自分のあり方を探ってきたKathoeyの人々。家族と衝突したくてもうまく対峙できず、なかなか居場所を見いだせずにいた自分にとって、羨ましくもあった。国や文化は違えど、家族というしこりを抱えながら、笑ったり泣いたりしながら前を向いて進む人がいる。出逢った人々の苦しみや悩みを辿っていくと、最後には家族というものに行き着いた。自身を苦しめ、切っても切り離せない家族という存在から抜け出せずにいたわたしは、今では家族に縛られすぎず自らをも痛めつけないしなやかな美しさをもちあわせるKathoeyの存在に、ただただ救われるのだった。


(第8回・了)

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次回2019年12月10
日(火)掲載