ゆるやかな性 Heshe Ləəy

2020.1.21

09「LGBTQ+」ブームの、その先へ

 

 51年前の1969年、628日。ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で大勢のゲイたちが警察隊にはじめて抵抗し、数日間にわたる暴動に発展。かの有名な「ストーンウォールの反乱」を機に、現在のプライドパレードの起源となるデモ行進がニューヨークなどで行われ、以降LGBT運動は次第に広がりを見せていった。それから25年後の1994828日。日本では初となるプライドパレードが東京で開催され、約1,000人が新宿中央公園から渋谷・宮下公園までをレインボーフラッグを掲げて行進したという※1
 上京1年目の4月。レズビアンを公表していた2歳上のゼミの先輩になぜかかわいがってもらう機会が多く、わたしは誘われるままはじめて「TOKYO RAINBOW PRIDE」に参加した。混雑する代々木公園に集まり、先輩の仲間らしきひとたちに挨拶をして、渋谷界隈をパレードで行進する時間がくるまでステージのショーを見たり、出展ブースのイベントに参加したりして楽しんだ。なかには、昨今テレビ番組でみかけるアクティビストの姿もあった。「まだ先だろうけど、就活前で写真撮られるといろいろ面倒だし、マズイかもね」。先輩は自分のサングラスをわたしにかけ、最大限配慮しながらもパレードに参加するよう促した。当時NHKをはじめ民放も取材に来ていたので、周囲にカミングアウトしていない会社員や教員をしている人たちはとくに注意深く警戒しながら、写真を撮られても身バレしないような出で立ちで参加していた。いよいよパレードの時間になると運営スタッフから声がかかり、『オズの魔法使い』でお馴染みの「Over the Rainbow」が大音量で流れはじめる。フロートと呼ばれる台車に乗るドラァグクイーンのパフォーマーや、運転するドライバー、その周囲を囲みながらゆっくりと歩みを進めるわたしたち。
 休日の真昼間。渋谷は相変わらず混んでいて、道行くひとたちに向けて手を振ったり、レインボーフラッグを振ったりするのも、もちろんはじめて。見様見真似でやってみようとするものの、初体験はどうもこっぱずかしい。「ディズニーランドのキャラクターじゃあるまいし……」。警察の警備のもと、解放された一般道を歩くわたしたちと、歩行者通路から投げかけられるなんといも言えない視線と表情。「見る側/見られる側」を分断するものは何なのだろう。客観的にどう見られているのかがどうしても気になり、視線は定まらずうつむきがちだった。横を歩く押しの強い先輩に強引に手を取られた勢いで、それっぽく手を振ってみせるのがやっとだった。
 そんなこんなで細々と毎年パレードに参加するうちに、抵抗感はなくなりつつある、と思う。いまでは初対面同士でも、各国からの参加者とハイタッチし合えるまでになったが、当時はそうもいかなかった。こんな機会でもない限り、大の大人がハイタッチし合うタイミングなんてそうそうないだろう。心理的安全性とでも言うのだろうか。ここは治外法権だ。この日、このときだけは特別だ。そう思えるような居心地のよさを感じはじめながら、どこかに何か忘れものをしてきたような気もしなくはなかった。
 そんなパレードの体験をタイの友人ペー(MtFトランスジェンダー)に話すと、「LGBTパレードってパフォーマンスというか、お祭り的な要素も大きいしね」とうなずいた。ペーやその友人に聞くところによると、タイでも日本同様、各国の余波を受け90年代にはパレードが盛んに行われていたものの、現在では小規模化。他国のそれに比べると、だいぶこじんまりしたものがいくつかある程度だという。「タイ人はミーハーでイベント好きだから、わたしの年上の先輩たちもバンコク市内まで行って参加してたけど、結局イベント自体定着しなかったみたい」。日本でのパレードの盛り上がりようを写真で見せると、「日本人は、バレンタイン、ハロウィン、クリスマスって。ほんとうにMATSURI好きだもんね〜」と笑っていた。米国起点・発信の動きは、どうもタイの人々と噛み合わない面が多いのかもしれない。それは、性と生のあり方を欧米医学的に病理化し、治療の対象として囲い込む「性同一性障害」をめぐる一連の動向にも見て取れる。以前、タイで出会ったカトゥーイ(Kathoey)のひとたちは、みな一様に「勝手に病気にされたらたまんない」とも話していた。欧米主導ではじまった一連の動きに迎合しすぎず、自分たちに合わなかったり、何か違うと感じたりしたら少し距離をおいてみる。そんなタイのスタンスが、魅力的に映った。パレードの話をしながら、以前ペーが仲間内で盛り上がった勢いで作ったという「LGBT-shirts」なるものが目に入った。いまでは雑巾と化し、少しくたびれて色あせたTシャツがなんとも寂しそうだった。

 話しを日本に戻すと、昨年の「TOKYO RAINBOW PRIDE 2019」は過去最大ののべ20万人を動員し、プライドパレードには過去最大の52団体が参加したという※2。イベント好きな日本人たちは「LGTBQ+」と言いながらも、イベント要素の強いパレードやブース体験には積極的に参加する傾向があるものの、必ずしも本質的な理解には及んでいない部分も多いように思う(少し嫌な言い方になるかもしれないが、手段の目的化のような側面もある)。当初興味本位で参加し、結果的にLGBTQについて考えるきっかけになったケースもあるだろう。しかし、わたしも楽しみながら毎年パレードに参加してきた一人として、規模が大きくなりすぎたこともあり、次第に居心地の悪さを感じる部分もでてきた。同じように感じている人が、周囲にも増えてきているように思う。
 その要因のひとつに、企業団体の宣伝的活動がある。外資系企業をはじめ、某大手広告代理店は年々出展ブースを拡大し、マーケットの可能性として多様性、ダイバーシティ、インクルージョン重視を声高に叫ぶ。データ統計で「LGBT調査」なる統計データを発表し、ビジネス展開の端緒にする動きも見られるあたりに、どこか勝手にマーケティング対象化されている現実に、むなしさを感じてしまうのだろう(もちろん、名だたる企業の協賛でここまで運動全体が大きくなり、周知されてきた事実は言うまでもないが)。関連する制度整備が進む企業ひいては自治体が少しずつ増えているなか、何か見落としてはいないか。どこか仰々しく、ブームにのっかるだけに見える企業や参加者の姿が目につき、違和感を覚えずにはいられなかった矢先、「LGBTブームの嘘」なる大特集が組まれたかつての『AERA』(2017612日号)を目にすると、どこか救われた気もしたのだった。


 ペー自身、友人に誘われるままタイのパレードに参加していた時期もあったそうだが、「仰々しく声高に権利獲得を叫ばなくても、いま十分自分のやりたいことをやって、楽しい日々を送れているのではないか」。そう気づき、次第にイベントには参加しなくなったという。熱心な仏教国であるタイでは、ペーのようなカトゥーイは一般社会には「そういう人もいる」という感じで受け入れられていている。もっぱら「前世が女性だったから(仕方ない)」という輪廻転生思想で理解されているようで、そうした思想的背景が社会的受け入れを推進しているのではないか※3と改めて感じずにはいられない場面も、多々あった。それは一種、「寛容なる無関心」とも捉えられるまなざしかもしれない。しかし、体のいい「理解」よりもずっと優しいのではないだろうか。

 見掛け倒しの「LGBTQ+ブーム」「Ally」(もしくは、LGBTQフレンドリーとも。自身はLGBTQではないものの、LGBTQの人たちの活動を支持、応援している人たちの総称)ではなく、その先へ行きたい。言葉だけが一人歩きしていて、実態が追いついてない現状。「LGBTQ+」とカテゴライズされた性的少数者が企業戦略の市場やマーケティング対象として囲い込まれつつあるという側面。一昨年、日本文学者で国文学研究資料館館長のロバート・キャンベルさんが「『ここにいるよ』と言えない社会」と題したブログで、ゲイであることをカミングアウトした際の言葉が、日本の「LGBTQ+」ブームに少し疲れつつあるわたしの心に染み渡った。「積極的に排除はしないが『触れてほしくない』が日本の常識で『美風』であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます。アンケートにLGBTが『周囲にいない』と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して『いるよ』と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしいです」※4。タイのカトゥーイが「ここにいるよ」と胸を張って言えているように。パレードが単なるイベントで、ブームで終わらないように。プライドパレードというイベントがなくても、いつか「ここにいるよ」と言える人がひとりでも増えるように。細々とでも声をあげながら、その先へ歩みを進める2020年にしたい。

 

1:『BEYOND』(issue 5/2019 Spring) 
2:「TOKYO RAINBOW PRIDE」公式サイト (https://tokyorainbowpride.com/
3:三橋順子『女装と日本人』(講談社、2008年)
4:ロバートキャンベル公式サイト(2018年812 ) https://robertcampbell.jp/blog_top/

 

(第9回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
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日(金)ごろ掲載