熱帯のニーチェ 奥野克巳

2016.5.16

01生きるために食べる

 

報酬を得るためにとて仕事を求める――この点では文明諸国のほとんどあらゆる人間が現在おなじ事情にある。彼らのすべてにとって仕事は一つの手段であって、それ自体が目的なのではない、それゆえ彼らは、その仕事が豊かな実入りをもたらすという条件があれば、仕事の選り好みなどにはあまり細かく心をつかわない。ところで、仕事の悦びなしに働くよりむしろ死んだほうがましだと思うような一風変わった人間もいる。それは例の選り好みする人たち、なかなか満足しない人たちであり、彼らにとっては仕事それ自体が一切の収益にまさる収益でないなら豊かな実入りも何の足しにもならないとされる。

フリードリヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』42

 

 朝。目覚まし時計の音に目を覚ます。夢うつつから少しずつ覚醒して思い浮かべるのは、例えば、その日の仕事のことだ。仕事を進める前に、準備としてしなければならないことがいくつかある。あ、そうだ、あれを忘れている。えっと、どうするのが最も負担が少ないのか。いや、まずなによりも先に、先方に謝らなければならない…と、あれやこれや考えながら、顔を洗って、歯を磨いて、トイレに入って、朝食を済ませて、スーツに着替えて、忘れ物はないか、さあ、オフィスに出かけよう…そのようなことの繰り返しが、私たちの日常である。
 これとは対照的な日常を送る人々がいる。プナンと呼ばれるその人々は、東南アジア・ボルネオ島の熱帯に暮らす、狩猟を主な生業とする人々である。マレーシア・サラワク州を流れるブラガ川の上流域の熱帯雨林に現在、おおよそ500人のプナンが暮らしている。
 赤道近く。そこでは、一年を通じて、朝6時前後に夜が白々と明ける。プナンが蚊帳の中で寝ぼけまなこで、まず考えるのは、その日の最初の食事で何を食べるかということである。たしか、(主食にする)サゴ・デンプンがあと少し残っていたはずだ。だが、おかずがない。どうしよう。ここ2日ほど雨が降ってない。川の水は、だいぶ減ったにちがいない。投網でもして、魚を獲りに行くとしよう。魚を獲ってから、それをおかずとして、まずは腹ごしらえと行こう。森の中に狩猟に出かけるのは、それからだ。

川で投網をする少年とそれを見守るハンターたち

 一日の始まりをめぐるふたつの情景。私たちの日常とプナンの日常の間には、大きな隔たりがある。現代社会に暮らす私たちは、何らかの職に就いて、その仕事の中に生きがいや目標を見出し、時々その中で、挫折や失敗を経験しながら生きている。そのことによって、私たちは生きていくための、食べるためのお金を稼いでいる。
 それに対して、プナンは、生きるために、生き抜くために食べようとする。実際には、空腹をしのぐために、食べ物を探しに出かける。彼らは、森の中に食べ物を探すことに、一日のほとんどを費やす。食べ物を手に入れたら、あとは調理して食べるだけで、ぶらぶらと過ごしている。彼らにとって、食べ物を手に入れること以上に重要なことは他にない。生きることと食べることが切り離されていないという意味で、プナンは、「生きるために食べる」人々であるということができよう。
 プナンの生き方は、これこれを成し遂げるために生きるとか、世の中をよくするために生きるとか、貧困を撲滅するために生きるとか…、生きることの中に意味を見出すようなものではない。彼らはまず、〇〇のために生きる…という言い方をしない。そうした生き方が存在することを、想像することすらないように思われる。プナンは、日々、生きるために食べる。生きるためには、食べなければならないというテーマがあるのみである。そのことが、プナンの日常の中心にどっしりと根を張っている。

ロギングロードを歩いていざ油ヤシ農園の狩猟へ

 翻って、私たち現代人は、生きるためには食べなければならないという人間的=動物的現実を、別のものへとつくり替えてしまっている。私たちは、生きること以外の目標を設定して生きることを、自らに課している。プナン流の生き方が、私たちの生き方を照らし出してくれる。急いで付け加えなければなるまい。現代の私たちの生き方が〈悪〉で、プナン的な生き方が〈善〉であるということではない。

 同じ地球上で、同じ時代に生きる人類として、私たちの生き方とプナンのそれとの間に、なぜこれほどの隔たりがあるのだろうか? そのことを考える上で、解剖学者・三木成夫がひとつの見通しを与えてくれるかもしれない。
 三木は、アリストテレスを援用しながら、人間を含めてすべての生きものには、栄養を受け取り、消化・吸収し、排出するという過程が備わっていると言う。生きものが生きていられるのは、栄養を摂取することによってである。
 ヒドラやクラゲのような原始動物は、口から栄養を取り入れて、同じく口から老廃物を排出していた。生物進化の過程で、無脊椎動物のうち軟体動物になると、口腔に消化管ができ、口から栄養を取り入れて、肛門から老廃物を排出するようになった。脊椎動物になると、消化は膵臓が、吸収は肝臓などの臓器が担うようになる。魚類・両生類・爬虫類では、顎が発達し、生きものを丸呑みするものが現れる。ニシキヘビは、ウマを丸々一頭呑みこんで、三ヶ月くらいかけて胃の中で消化し、肝臓で栄養をためこむ。ガラガラヘビは、毒腺から消化液を出して、呑みこんだラットを四、五日で消化する。哺乳類になると、口の中で、胃の中で、最後に、肝臓の中でためこむ。
 こうした生きものたちの栄養摂取の特徴は、目の前の食の対象を体内へと取り入れて消化し、吸収するというプロセスにある。それはまた、狩猟し採集する人類の食行動へとなだらかにつながっている。狩猟採集民もまた、調理をするが、基本的には、目の前の食の対象を体内に取り入れることから成り立っているからである。
 しかし、三木によれば、このやり方が、人類のある段階から変化する。

最後に人類になりますと、大きくなった脳味噌と手を使いまして、からだの外でためこむことをやるわけです。農耕・牧畜の始まりですが、これが結局は穀物の貯蔵と食肉の冷凍保存になる。そしてこれが近代社会になりますともう物でなく、紙幣でためこむようになる。

「内臓」のみを用いて食行動を行う狩猟採集民に対して、農耕民や牧畜民は、身体の外側に食べ物をいわば「外臓」するようにして、備蓄するようになる。農耕・牧畜民は、狩猟採集民のように、目の前にある食料を調理した後に体内に取り入れ、内臓で消化し、吸収するだけではない。穀物を生産し、動物を飼い育てて、それらを身体の外部のとある場所に外臓した上で、それらを必要な時に、いつでも取り出せるようにしておく。

獲物のカニクイザルと戯れる子どもたち

 さらに、農耕・牧畜革命を経て、人間は、今度は、身体の外部に穀物や肉の素材である動物をためておくのではなく、貨幣をためるようになった。そして、ためこんだ紙幣を、どこか遠くの別の場所で、匿名の誰かによって大量につくりだされた穀物や冷凍された食肉との交換に用いるようになったのである。人類は、そのようにして、高次で巨大な「外臓」システムのようなものをつくり上げてきた。
 私たち現代人は、食べ物だけでなく、あらゆる必要なものを外臓する世界に生きている。そのため、それらの財を交換によって入手するために必要な貨幣を手に入れる手立てをまずは確立せねばならない。その手立てには、人間が生きがいや生きる意味を見いだすプロセスが伴ってくる。そこでは、仕事の悦びなしに働くより、むしろ死んだほうがましだと考える人間も出てくる。
 現代に生きる私たちは、生きるために食べるのではない。生きるために食べるために、それとは別個のもう一つの手続きを踏むことによって、世界を生きている。それに対して、狩猟採集民は、生きるために、日々、森の中に、原野に、食べ物を探しに出かけるというわけだ。

 人類の旧くからのやり方と私たち現代人のやり方の間を行きつ戻りつ、戻りつ行きつしながら、私たちは、私たち現代人がどうしようもなくそうせざるを得なくなっているやり方について考えてみることができるのかもしれない。「未開」では、人間の旧くからのやり方が、今日でも行われている。「未開」はすでに無くなったというのは、一つの方便にすぎない。その意味で、「未開から学ぶ」ことは、まだまだ、たくさんあるように思われる。
 私は、文化人類学者として、2006年度に大学の研究休暇で一年間熱帯のプナンとともに暮らしてから、それ以降、春と夏の年2回のペースで彼らの居住地を訪問しつづけている。プナンは、私たちと同時代に生き、現代世界に属していながら、熱帯雨林を舞台として狩猟採集の暮らしをつづけ、人間の旧くからのやり方を日々行っている。
 私にとって、毎回、プナンのフィールドに入って行くことは、夕ごはんのおかずを買うためにスーパーに買い物に行ったり、将来の目標をしっかりと立てて、毎日を大切に過ごしなさいと子どもたちに説き聞かせたり、メールやケータイを用いてコミュニケーションを取ったりするような現代日本の日常の世界から、そのようなことがまったく存在しなかったり、ほとんど意味をなさなかったりするもう一つの熱帯の生の世界に浸りに行くことに他ならない。
 私がワクワクするのは、「生きるために食べる」という、生のみに直截に関わる清々しいプナンの暮らしのありよう――とはいうものの、そこに何らの乱れがないというわけではない――の中に、現代社会に暮らしているあいだは想像してみることすらなかった人間の生き方の断片を見つけることができるからである。

夜の狩猟キャンプで50度の蒸留酒をあおる

 

参考文献
三木成夫 2013 『生命とリズム』河出文庫

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年6月13日(月)掲載