どうも、神父です。 大西勇史

2019.11.13

01はじめましてのごあいさつ

 

 どうも、神父です。
 島根県にあるキリスト教の浜田教会、益田教会で神父として働いている大西勇史と申します。

 「神父です」と自己紹介するとよく言われるのだが、結婚式場で新郎新婦に「誓いますか?」と尋ねる人ではない。あの方々は、式場のスタッフだったりバイトで来ている人だったりすることが多いらしい。えっと、牧師さんとも違う。牧師さんはキリスト教の「プロテスタント」と呼ばれるグループに属していて、僕(の教会)はキリスト教「カトリック」に属している。

 カトリック教会では、ミサを司式し、信者の世話をする人のことを神父や司祭と言って、信者の方からは神父様、神父さん、〇〇さんなどと呼ばれている。年配の信者さんは自分のような若輩者にも「神父様」と「様」をつけて呼んでくださったりする。「様」って、皆さんは普段使うことはあるだろうか。手紙やメールの宛名に使うことはあっても、聞いたり言ったりすることはあまりないのではないだろうか。これを書きながら、様と呼ばれる人物を思い出そうとしているのだけど、『冬のソナタ』のヨン様しか出てこない。ネタが古いにもほどがあって恥ずかしい。そう考えると世間では、「神父様」っていうのはレアキャラなのかもしれない。
 なので僕の場合は「大西神父様」とか「大西神父」「大西さん」「ゆうじくん」「ゆーぴー」なんて呼ばれている。おかしなのが混じっているが、そこはお気になさらず。そして僕ら神父は基本的に教会に隣接する司祭館と呼ばれる居住施設で生活している。現在は浜田教会と益田教会、そしてもう一つ津和野教会と、三つの教会を僕と立場的に上司に当たる人の二人で受け持っている。上司は主任司祭という役職で、僕はというと助任司祭。なのだが、主任司祭が御年74歳というのもあって、浜田と益田の二つは若いあんたに任せた、となりこの二拠点とも司祭館に僕一人で暮らしている。どちらの教会も小さい教会だから事務員さんもいないし、賄いもない。神父の日々のスケジュールというのは人によって様々だろうが、僕は月曜日は浜田教会に滞在し、火水はカトリックのミッションスクールで宗教を教え、木は浜田教会、金土は益田教会、日曜は隔週でどちらかの教会といった感じだ。それぞれの教会ではミサ(ミサについては後ほどこの連載の中でも書いてみたいと思う)をしたり、聖書について学ぶ講座や洗礼に向けての講座や信者さんと教会を運営していくために必要な会議などをしたりしている。またカトリック教会が運営する幼稚園で子どもたちや先生、保護者の方にお話をしたりもする。で、それとは別に信者さんのお見舞いや、幼稚園の子どもたちを対象とした映画上映会をしたり。あ、この原稿を書くことなんかも含まれる。ちなみに、これらのスケジュールは全部自分で管理しているので、比較的自由ではあるものの、気づいたら休みらしい休みを取らないままになっていることが多い。

 

 

 で、カトリックの神父は結婚しない(*)。生涯独身だ。どかーーーーーん。
 ここが皆さんに一番驚かれるポイントで、案外知られてもいないところだ。ちなみに、ベールをかぶったシスターたちも生涯独身だ。あのマザーテレサや『置かれた場所で咲きなさい』の渡辺和子シスターも、独身のまま帰天した。神父もシスターも「その一生を神と人に捧げる」という目的のために、結婚はせず生涯を独身で過ごすのである。
 だから神父には子どももいないので「神父の子が跡を継いで神父になる」も、「お父さんがカトリックの神父です」というのもないし、「実家がカトリック教会です」というシチュエーションもありえない。もしあなたに「お家がキリスト教の教会です」というお知り合いの方がいたとしたら、その教会はプロテスタントの教会だろう。プロテスタントでは結婚は禁じられていないので、そのお知り合いのお父さんかお母さん、あるいはご両親が牧師さんのはずだ。

 ちなみにカトリックの信者は日本に44万人くらいいて、これは人口の約0.3%に当たる。信者とは、イエスキリストを信じ洗礼を受けた人のことを指す。東京の町田市や神奈川の藤沢市の人口くらい。そして日本にいる神父の数はというと約1400人。これは北海道島牧村や徳島県上勝町の人口と同じくらいの数だ。と、例に出しても全国の市町村人口マニアの方々にしか伝わらないだろうし、突然日本の神父の数と引き合いに出された方々の身にもなりなさい。
 ついでに全世界で見てみるとカトリック信者は13億人くらいいるらしく、全世界の人口の約17%に当たるそう。これは日本全体の総人口よりもはるかに多い。それは言わなくてもわかる。ちなみにちなみに、全世界の神父の数は約41万人だそうだ。

 

 そして、この連載はというと、そんな神父である僕があなたに向けて、真心込めて書いていくものである。
 だが今さらそんなことを言ったところで、僕の文章のこの軽さゆえ、「こいつ、本当に神父なのか怪しい」と思っている方もいるかもしれない。そして無料公開しているこのページをそっと閉じ……。たしかに宗教って日本ではときに胡散臭いと思われてしまうこともあるし、書店で「宗教」のコーナーに足を運んだことがある人って、僕らやその下の世代ではあまりいないんじゃないだろうか。
 でもでも、悪霊の誘惑を退け、守護の天使とともにここまでたどり着くことができた幸運なあなたに、どうしても伝えたいことがある。それは、あなたは祝福されている。あなたは愛されている。ということ。

 なぜ祝福されているのか。一体誰から愛されているのか。
 唐突にそんなことを言ってくるあたり、やっぱり宗教は胡散臭いな。そしてこの人怪しすぎ。と、誤解されることにビビりつつも、この連載の目的はそれを伝えることにある。
 どんなに回りくどかろうが、面白おかしく茶化そうが、僕がこれを書く理由はそれを置いて他にない。なぜなら「あなたは愛されている。祝福されている」と伝えて回るのが、神父の使命だからである。そんな生き方がこの世の中には存在するのだ。そして、そんなふうに生きる一人の神父との出会いが、20代前半の迷える僕にこの道を生きることを選ばせた。そして紆余曲折あったが、なんとか神父になって今こうして、あなたに向けてこの文章を書いている。

 

撮影:山口明宏

 

 それにしても、ここまで神父神父と強調してきたけど、実を言うと僕はまだ神父になって2年目の駆け出しの新米のペーペーのルーキーだ。この道50年の聖人のような(妖怪のような)じいさん神父たちからすれば、神父の「し」の字も知らない生まれたての赤ん坊がなにを、といった感じだろう。そんな方々からの批判もこれまた怖くて、この連載を書くのはたいそう勇気がいるのだが、遠慮している場合ではない。新米だろうが大ベテランだろうが、そこは神の愛を配って回る配達人として立場は同じ。経験や知恵の足りなさをやる気と機動力でカバーして配りまくるぞ、と思っている。
 加えて皆さんには、生まれたての神父の身にふりかかるドタバタな日々も一緒に届けられたら、と思っている。そうすることで、宗教者でありレアキャラでもある神父という存在も少しは身近に感じていただけるのではないかと思うのだ。さらに、いい意味で「神父でもこの程度なんだから自分はまだマシ」と思ってもらえたらいい。「あ、私これで全然良いんだ」とこの連載を通して皆さんに知ってもらうことが出来たら、恥を忍んで書く甲斐があったというものだ。

 それではまずは次回、「新米神父の失敗」から皆さんにお届けしたいと思います。

 

* 先日、南米アマゾン地域において人材不足により既婚男性が神父となることを認めるべしという提言がローマ法王に出されたそうだ。まだ正式な文書が出る前なので確かなことは言えないが、特例として認められるということだろう。いずれにしても、僕にはあまり関係がなさそうなので傍観している。

 

 

(第1回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2019年11月27日(水)掲載予定