どうも、神父です。 大西勇史

2020.7.1

17門をたたきなさい

 

 以前、22歳だった僕が神学校へ進むことを決意したくだりについてここで書いて、それきりになっていた。今回はその続きを書いてみようと思う。

 僕のように、ある日突然神父になりたいと思ったらまず、知り合いの神父に相談するのが良いだろう。もし心当たりがない場合は、通っている教会の神父でもいいだろう。いや、まだ信者ではなくて、昨年来日した教皇フランシスコのお姿に影響されて、自分も神父になりたいという方もおられるかもしれない。そうしたら、まずは信者になるための洗礼の勉強から始めなくてはならない。そのためにはやはり、教会に足を運んでみることをおすすめする。そして、洗礼から3年が経てば、具体的に神父を「目指せる」。通常は神学校に入学してそこで学び、その後段階を経て神父になる。ただ、洗礼を受けて3年経てば誰でも神学校へ行って学べるのかというと、それも無理だ。神学校はあくまでも各教区の司教たちの集まりである司教団から、神学生の養成を委託されている機関なので、まずはどこかの教区に所属しなければならない。そうして、知り合いの神父に推薦者になってもらい、教区の面接を受け、その後に神学校の受験資格が得られる。なので、神父と良い関係を築くことも重要だ(ただし、ここに書いているのは、教区司祭=神父になる場合である。教区司祭の他に、修道会司祭という生き方もある。修道会とはカトリック教会によって認可され,一定の戒律にのっとり共同生活を営む団体のことを指す。修道会司祭になりたいと思った場合は、会によって入会の仕方から養成まで様々なようだ)。

 ちなみに女性は神父ではなく、修道女(シスター)としての道になる。その場合、「神様でもその数を知らない」と言われるほど無数にある女子修道会の中から、ここだというところを自分で選択し、その会の方針によって養成され誓願をたてる(修道女として生きる誓いをすること)。

 僕は当時、神父になるまでの道筋をしっかりと知っていたわけではなかったが、第5回で書いたように「神父になりたい」というか「神父になれば良いんだ」という思いを、まずは親しくしていた高円寺教会の神父に告げた。そしてその神父が、東京教区の大司教に「神学校に行きたい信徒がいる」と推薦状を書いてくれ、面接を受けることができた。つい先日、実家の片付けをしていたら彼が書いてくれた推薦状のコピーが出て来たので載せておく。

 「このたび、カトリック高円寺教会信徒 大西勇史が東京教区司祭となることを希望し、2006年春に東京カトリック神学院に入学したいと願い出ましたので、主任司祭として推薦させていただきます。大西勇史は、昨年高円寺教会に転入し、以降教会活動を通じて、教会への奉仕の召命を感じるようになりました。まだ若く、知識も経験も充分とは言えませんが、この召命を大きく育てて下さるようお願い致します。『司祭職以外の道が考えられない』という純粋な思いは、神の招きであると識別し、ここに推薦いたします。」

 「こんな風に書いたから、後は頑張ってね~」と言われてコピーを渡され、読んでみて感動したのだが、自分のしようとしていることがとても大それたことのようにも感じ、少し怖くなった。

 大司教と養成担当の神父たちとの面接では当然「なぜ、司祭職(神父)を志そうと思ったのですか」というような、いわゆる志望動機を聞かれた。

 「取り繕っても仕方ないし、最も正直であれ。それでダメならそこまでだ」と臨んだので、思っていたことをそのまま「自分の幸せを追い求めていたら、この扉(神父への道)の前に立っていました。強く司祭になりたいのか、と言われると正直よくわかりません。自分の幸せはこれかもしれないということを受け入れて、この道に賭けてみようという気持ちはあります」と答えた。

 面接室には大司教をはじめ6人の神父がいた。彼らの表情が一斉に曇ったのを見て「落ちたな」と思った。だが、言いたいことをきちんと言えたので清々しい気持ちだった。

 結果、奇跡的に面接をパスし、僕は晴れて東京教区の神学生として認められた。そして、あくる年の1月に行われる「東京カトリック神学院」を受験することになった。当時、この神学校には九州を除く全国11教区から神学生が集まっていて、6学年の全寮制だった。22歳以上の独身男子(ただし先にも書いたように洗礼を受けてから3年経過していること)で、教区からの推薦があれば受験できた。

 神学校の試験の前に、読書感想文の提出を求められた。どんな本でも良いので、A4、2枚に収まるように書いて提出せよ、ということだった。教区の面接と同じく、まっすぐ正直であれと思い、お世話になっていた教会の主任司祭で推薦人でもあった晴佐久昌英神父の『星言葉』という本について書いた。これも実家にコピーがあったので一部抜粋して載せておく。23歳のときの文章なんて赤面ものだが、本邦初公開である(ちなみに以下の文中にあるように、僕は神学校を目指すと決めたときから、推薦司祭のご厚意に預かり高円寺教会に居候していた)。

 明けましておめでとうございます。只今、元旦午後6時。場所は昨年暮れから居候させてもらっている高円寺教会。今や、すっかり溶け込み、心身ともにここ高円寺教会にお世話になっている私だが、上京して来たのは一昨年の10月である。そんな私が高円寺教会に通うきっかけとなったのも1冊の本との出逢いからであるといえる。

 当時、高校生だった私に後にも先にもこれほどまでに衝撃的な本はないだろうと思わせたその本。タイトルは「星言葉」。著者「晴佐久昌英」。タイトル、著者名共に、なんとも印象的だった。確か教会のバザーか何かだったと思う。母に買ってもらったのを覚えている。家に帰り本を開いた。心に響く箇所が多く立ち止まりながらだったが、次をめくりたい衝動を抑えられず一気に読んだ。読み終えての感想は「ずりぃ」だった。私は、かっこいいもの、憧れるものがある時、しばしばずるいなぁと表現する。はるか先にあるものに対する嫉妬、憧れなどが入り混じった感じだ。

 というような書き出しで、大好きで影響を受けた『星言葉』を褒めちぎった感想文を送った。

 

 

 神学校の入試は2泊3日だったか3泊4日だったか忘れたが、東京の練馬区にある神学校にて泊まり込みで行われた。受験者は僕をいれて7名だったと思う。試験科目は、キリスト教一般知識、英語、小論文で、後は面接があった。加えて期間中は神学生たちと一緒に食事をし、祈り、奉仕活動をして過ごした。とにかくインパクトがあったのは、祈りの時間だった。入試の初日の集合時間が夕方だったため、オリエンテーションを受けてすぐに「晩の祈り」の時間になり、神学院の中にある聖堂へ入った。40人くらいの先輩神学生たちが一斉に詩篇を唱える姿は、とても美しかった。そしてそこにいる彼らのことを、かっこいいなぁと思った。この祈りは「教会の祈り(聖務日課)」というもので、祭壇に向かって右に座っているグループと左に座っているグループが詩篇を交互に歌いながら進めていくのだが、みなさん歌が上手いのだ。神学校では典礼音楽の授業や歌の指導もされるので、今となってはそれはそうだろとも思うのだが、当時の僕からしたら、それが何より素敵に映った。また、世の中は夕方の帰宅ラッシュの時間で慌ただしいのに、こんな風に祈っている人たちがいるんだというのも、何か特別な事のように感じた。

 翌日の試験は全然ダメで、半ベソをかきながらやり過ごした。キリスト教一般知識で出た問題なんてほとんど書けなかった。「秘蹟とは何か」という問題が出て、ちっとも分からなかったので「素晴らしいこと」とだけ書いた。そんなレベルである。ちなみに秘蹟とは「目に見えない神様の、目に見えるしるし」のことで、特に教会はそれを7つ(洗礼、聖体、堅信、赦し、病者の塗油、結婚、叙階)定めている。

 英語なんて、面接のときに院長に「受験者の中でお前が一番若いのに、英語の点数一番悪かったぞ」と笑われる始末であった。えへへと笑って誤魔化したが、未だに英語は全然分からない。オーマイゴッド。ただ、その院長が事前に送った読書感想文のことを褒めてくれて、自分も『星言葉』を買って読んでみると言ってくれた。これはうれしかった。面接でのやりとりはほとんど覚えていないが、最後に最長老の神父がこう尋ねた。「たくさん課題も見つかりましたし、来年またチャレンジしますか。それとも厳しいとは思いますが、今年チャレンジしますか」。僕は速攻で「今年行かせてください」と答えた。

 来年まで待てないと思った。そんなことしたら、せっかくの覚悟が揺らいでしまうかもしれない。そうなるくらいなら、大変でも今年入りたい。この程度の学力や人間性でそう言うのはわがままかもしれないけど、そこをなんとかお願いしますといった気持ちだった。

 当時は、この道が自分に合っているのか、完遂できるのかなんて自信がなかった。だから、自分の責任で選んだとか、自ら求めた道だとか、主体を自分に置くことがとにかく怖かった。神様のせいにしておきたかった。しかし、今、改めてこうして振り返ると、要所要所でちゃんと僕自身がこの道を求めていたんだなと分かる。およそ相応しくない能力しか持ち合わせていないのに、入れて欲しいと長老に乞う姿なんて我ながらとても恥ずかしい。だが、強く望んでいる姿でもあったのだ。

 イエスが語ってくれた言葉の中に、こんなものがある。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイによる福音書7章7~8節)

 この思いが聞き入れられたのか、居候先の高円寺教会に合格通知はやってきた。電話で報告した母は「信じられない」と驚いていたが、推薦司祭は「当然でしょう」と余裕たっぷりだった。僕は不安はあるものの、これで二留したり、彼女に一方的にさよならを告げるというひどい別れ方をしたりするサイテーの自分とはオサラバだ、神学校に入ることができたら自分は生まれ変われるぞ、と淡い淡い期待を抱き始めていた。

 こうして僕は、2006年の春に神学校に入学することになったのである。

 

(第17回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年7月15日(水)掲載予定