どうも、神父です。 大西勇史

2020.10.21

25ここにおります

 

 この原稿を書き始めた今、時刻は朝の5時である。昨夜ははじめて、浜田教会の信徒会館一階ホールで信者の皆さんと一緒に食事を作って食べた。僕にとっては記念すべき一夜になった。

 もともと、このホールは会議用の長机にパイプ椅子、たくさんの古書が朽ち果てそうなカラーボックスとともに置かれていて、併設のキッチンもなかなか年季が入っており、正直、ここで食事をするのはちょっと嫌だな、と感じてしまう。ミサが終わってから信者の方々がお茶を飲んだりする場になるといいと主任司祭にも言われたことがあったが、それもうまく定着せずにいた。赴任してこの地域には映画館がないことを知り、すぐに始めた子ども達のための映画上映イベント「まちの教会映画館」で使っていたが、正直それ以外の活用法が見つからなかった。日当たりも悪く、日頃人が使わないので風通しも悪い。そんな場所だった。

 9月のある日、このホールで信者たちに向けた聖書講座をした後のことだ。僕はホールを眺めながら「片付けたいなぁ」とつぶやいた。片付けて、みんなが憩える場所にしたい。夢を語るように熱くというわけではなく、「とか言ってみたりして、あはは」くらいの現実感のないぬるい感じだった。しかし、それを聞いた信者の方々は「やりましょう、やりましょう」と言ってくれ、トントン拍子で次の土曜日に大掃除をすることに決まった。

 そうして迎えた大掃除の日は、朝から床や壁を拭き、使えそうなものと使えなさそうなものの選別をした。本は必要なものはこちらで保管し、そうでないものは次の日曜日に信者の方たちに見てもらって、必要なら持って帰ってもらおうということになった。ホールの隅っこにかけられていた昔の信者の方たちの集合写真は、聖堂のよく見えるところに飾ってもらうことにした。ピカピカというわけにはいかなかったが、一日でずいぶんきれいになった。

 また別の日には、沢山出た廃棄物を三台の車に載せてゴミ処理センターまで運び、ホールはさらにすっきりした。ホールが片付き、綺麗になるにつれて僕の夢も膨らんでいった。ウォーターサーバーなんてあったら良いかもしれない。照明も蛍光灯より、間接照明のほうが光がやわらかくて良い。椅子やソファは使っていないボロのものを直せば使えそうだ。憩いの場所だけど、オプションで神父がコーヒーを淹れて、相談を聞いたりするのも良いだろう。信者だけではなく、どなたでもどうぞ、ゆっくりして行ってください、と言える場所にしよう。具体的に動き出せたことによって、日増しに僕の思いは強くなっていった。

 土足厳禁のホールだったので、玄関でいちいち靴を脱がなくてはならないのが嫌だったが、ホールの向こう側半分はカーペットを敷くことにしてプロジェクターとスクリーンをセットし、子どもたちが遊べるスペースにした(プロジェクターは天井から吊れたら素敵だけど、予算も取り付けスキルもないのでまた考えることにする)。どなたでも、と言っているのに、子どものことを考えないわけにいかない。僕自身が幼稚園にも関わっていることもあり、子どもたちとその親御さんたちにとって楽しい場所であるというのは、自分の中でかなり優先順位が高かった。それともう一つ、学校や社会に馴染めなくて、心の病を持っている人たちにとっても来やすい場所であり、いやすい場所であったらという思いがあった。友人知人にそういう方が何人かいる。「憩いの場を作りたい」と思ったとき、ごく自然に彼らの顔が思い浮かんだ。

 思い返してみると、僕にとっての教会や神父は中高生の頃からずっとそういう場所であり存在だった。1人で遊びに行っても、誰かを連れて行っても、教会では必ず神父が迎えてくれた。そして「一緒にご飯を食べよう」と食事を振る舞ってくれた。その極め付けは、上京した後に通った教会の通称「お茶の間」という場所だ。当時の主任司祭がそう名付けたその部屋は、完全に僕たちの溜まり場だった。信者であろうがなかろうが、そこに行けば誰かがいたし、神父が飯を食わせてくれたし、とことん僕たちに向き合ってくれた。そうそう、みんな週3くらいで入り浸っていたので、「ただいま」と「おかえり」があいさつになっていた。そんな青春時代を過ごさせてもらった僕からすると、今回の「憩いの場所を作りたい」という思いが出てくるのはとても自然なことのように思える。むしろ、そうやって育ててもらったのだから、今度は自分が受け入れる場を作り、迎える側になりますという気持ちである。

 片付けたいなとつぶやいてから、約1ヶ月。壁や柱にランダムに打たれた釘を抜いてパテで埋めたり、絵を飾ったり、本を並べたりと細かいやるべきことは残っているが、ほぼ準備は整った。あとはゆっくり、みんなに使ってもらえる場所に少しずつ育っていけば良いと願っている。

 

 

 そんな希望に満ち溢れたホールで、昨日ははじめて食事をしたのだ。メンバーは地元の高校生(信者ではない)とその母(信者)、昨年信者になったばかりの人という4人。浜田はノドグロ推し(3匹900円、安い)なので、メインはノドグロのパスタにした。地元の人に教えてもらったやり方の通り、土鍋にオリーブオイルを敷いて、ノドグロ、長ネギのぶつ切り、ヘタをとったししとうを並べ、塩をふり、白ワインとフェンネルで蒸し焼きにする。うまく火が通ったらノドグロだけ取り出す。残ったたっぷりのソースにスライスしたニンニクを加えてパスタと絡め、ノドグロをドカンと戻して出来上がり。みんなで土鍋からパスタを取り分けて食べる幸せったらなかった。これを続けたいと思うと同時に、あの人ともこの人とも一緒に食べたいなぁと、苦労している友人たちのこと思った。

 このホールに飾ろうと思っている絵の中に、前回の記事で触れた叙階式のときにお願いして描き下ろしてもらったものがある。神父は叙階されるときに記念にカードを作ったりする慣習がある。聖書の言葉、叙階年月日、名前などと一緒に絵や写真がプリントされることが多い。僕も自分のカードを作る際に、そこにある言葉を選んで刷った。その言葉は「わたしがここにおります。」(イザヤ6章8節)という言葉だ。イザヤの召命と呼ばれる箇所で、神から呼ばれたイザヤが「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(同上)という場面だ。

 不完全で、決して堂々と「我こそは」と言えるような自分ではないけど、すべてをご存知の神様がそれでも呼んでくださるのなら、その呼びかけに信頼して自分はここにおります、と言える自分でいよう。そう思ってこの箇所を選んだ。

 あのときは、神様と自分の関係を思って選んだ言葉だった。だが、今後もしこの場所がみんなの憩いの場所になっていくのだとしたら、みんなに対して「僕はここにいるよ」と、やわらかな灯火のような存在でありたいと思っている。

 おっと、ミサの時間が迫っている。行かなくちゃ。皆さん、今日も神様に祝福された良い1日を。

(第25回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年11月4日(水)掲載予定