どうも、神父です。 大西勇史

2021.1.27

32新しい年の目標

 

 

 神父になってから僕は、一年の目標を立てるようになった。今年はこんなことが出来たらいいなとか、今年こそ痩せるぞなど、実現しそうなものから空想の域を出ないものまで、大体二つか三つ。誕生日が1月11日ということもあって、大体それくらいまでには「これにしよう」と自分の中で決める。

 神父になるまでの実に35年近く、一年の目標を立てるとか、立ててみようなどと思ったことのなかった僕からしたら、この変化は自分でも驚くべきものである。同時に、「やりたいこと」「すべきこと」が明確にある状態というのは良いものだなと嬉しく思っている。

 今年もある目標を一つ決めて、それに向けて一年頑張ろうと思っていた矢先のことである。今年の目標がもう一つ追加されることになった。その日僕は、いつもミサに来てくれるが、信者ではない40代の男性とミサ後に話していた。この男性は、この連載でも触れたことがあったかもしれないが、ひどい虐待を受け、長い間引きこもり生活をしていた。一昨年の秋頃から、ミサに来てくれるようになった。

 僕のもとには毎日、彼から長文のメールが何通も届いた。対面で話していても、一方的に自分の話だけをして、なかなか思うようにコミュニケーションが取れないことがあった。そういったことも原因かもしれないが、男性はこれまで各種の相談窓口や宗教施設を転々としてきたと言っていた。やや攻撃的ともとれる彼のコミュニケーションに、初めはみんなびっくりするだろうし、それが迷惑がられることもあっただろうということは僕もすぐに察しがついた。しかし、よくよく話を聞いてみると、表現の仕方が刺々しいだけで彼の真意は対象への興味だということがわかった。ただ、彼は自分の思いがうまく表現できず、これまでずっと他者に理解されない苦しさを抱え、それを訴えていたのだ。

 今年初めてのミサだったので、「Nさん、年末年始はどうしていたの?」挨拶代わりになんの気なしに聞いた僕に向かって、彼はボソッとこう言った。「ひもじかったですよ」

 耳を疑った。実は、彼が初めて教会にやって来たとき、服はボロボロでボサボサの長髪だった。きっと食べ物にも困っているのではと思った僕は、袋いっぱいの食料品を持って帰ってもらおうとした。しかし、そのとき、彼はそれを断った。僕は出過ぎた失礼なことをしたと反省し、それ以来、彼に食べ物を渡したりすることを控えていた。そこから彼とは、ミサとミサ後のお茶会(今はコロナ対策で行っていないのだが)で会い、後は毎日送られてくるメール(主に彼の考察や思索について)に時々返信をするくらいの付き合いが続いていた。ミサにも毎回来てくれるし、教会でも彼の存在は認知され、徐々に仲良くなれているなと嬉しく思っていた矢先の彼の言葉だった。完全に不意打ちだった。

 びっくりしたというかショックだったもう一つの理由は、その年末年始、僕は1人でお歳暮に戴いたお肉で、すき焼なんぞ食べていたこと。「こんなの1人で食べていていいのかなぁ」と思いながらも、おいしいお肉を食べていたのである。

 そのことを彼の言葉を聞くと同時に思い出し「自分、アホか」と思った。一度、過去に断られたとはいえ、なぜあのときにNさんの顔が浮かばなかったのだろうと、自分を心底恥じた。どこからも門前払いを受けていたNさんも、教会では受け入れられている。僕は彼と仲良くやれていると驕っていたのだ。だけど、実際は何も知らなかった。彼の生活や、そこから来る苦悩にちっとも寄り添えていなかった。

 そして、決めたのだ。「今年はNさんともっと仲良くなろう」と。彼にとって迷惑でなければ、週に一度、一緒に食事をしたり、サウナに行ったりするつもりだ。週に一度なんかでは意味がないとか、転勤が付きものの自分がそんなことをして、却って彼の生活に混乱をきたさないだろうか。考えはじめればキリがないのだが、それでも「やる」と決めた。ほんの少しでも「あなたは神様に愛された人だ。大切な存在だ」ということが彼に伝わってくれたらいい。そう思っている。

 

 

 さて、2019年11月から始まったこの「どうも、神父です。」は今回で最終回になる。「連載をやりたいです」と自分から言ったはいいものの、そもそも僕は神学院の卒論だってまともに書けなかったのだ。まとまった文章を書いたことがなかった僕が、ここまでなんとか続けることが出来たのは、読んでくださるみなさんがいたからだ。インスタグラムのコメントやDM、メールなどを通して戴いた沢山の励ましの言葉に突き動かされて毎回書くことが出来たと言っても過言ではない。それと、この情けない著者を暖かく的確に支えて下さった編集のTさん。彼女は自分の役割はマラソンランナーにとっての給水所のようなものですと言っていたけど、それで言うなら給水所のスペシャルドリンクと声がけがなければ、このレースを完走することは無理だったと思っている。神に感謝ばりに感謝している。

 ちなみに、最初に決めた今年の目標はというと、「この連載が出版化された暁には、それをきちんと読者の方々へ届ける」だ。この連載を名刺がわりにどんどんと外へ飛び出していきたい。すべては、神の愛をまだ知らない方へ届けるために。

 それでは、このへんでそろそろ筆を置きたいと思います。今日はこれから、初めての方との面会なので、わくわくする。もちろんひとこと目は、「どうも、神父です。」。そう言うつもりだ。

 

 

(最終回・了)

 

本連載は今回が最終回となります。ご愛読いただきありがとうございました。
加筆修正をおこない、今春単行本化の予定です。どうぞご期待ください。