どうも、神父です。 大西勇史

2020.11.18

27パパ様の来日

 11月は日本のカトリック教会にとって特別な月だ。特別だといっても、去年からそうなった、といってもいい。昨年の今ごろ、僕は「教皇フランシスコ来日」という大きなイベントを間近に控えて心を踊らせていた。まるでクリスマスのプレゼントを待っていた子ども時代に戻った気分だった。

 1981年に時の教皇ヨハネパウロ二世が来日してから、約40年振りの教皇来日である。当時のことは以前から「私はどこそこでパパ様(信者は親しみを込めて教皇のことをこう呼ぶ)のミサに出た」と各地の信者の方々がうれしそうに語ってくれていた。それを聞いて僕は「それは大切な思い出だよなぁ」と思っていた。自分の生まれる前のことでもあるし、どこか昔話や伝説を聞くような心持ちで。何十年経っても色褪せず、皆が語りたくなる出来事。きっととんでもないインパクトがあったのだ。「そうは言っても、自分はそれを体験することは出来ないんだもんなぁ」という寂しさもあった。もちろん羨ましさも。しかし、教皇来日なんて、僕が逆立ちしてお祈りしたって(そんな祈り方があるわけではない)叶わない、自分ではどうにもならないこと過ぎて、これまで望んだことすらなかった。

 そんな奇跡のような出来事が、昨年の11月23日~26日に起きたのだ。僕は24日に広島の平和記念公園で行われた「平和のための集い」で、教皇のお姿を見ることが出来た。その集いで被爆者の方が教皇に謁見されるということで、その方たちを席に案内し待機するという役目を仰せつかり、巨大スクリーンの裏で教皇が到着されるのを待った。日が沈み、あたりが暗くなったころ、教皇を乗せた車が到着した(警備の警察車両や、教皇と移動を共にする司教団の車を含む数台だったと思う)。

 

 

 僕の待機していた場所からは、直接確認することはなかなかできなかったが、会場全体の高揚感とスクリーンに映る教皇のお姿を見て、たしかにいま、この場所で同じ時間を過ごしているのだと胸が熱くなった。その後、教皇の一団が会場内にいた要人に向かって挨拶をして歩く。ここでもまだはっきり教皇を見ることは出来ず、小さい黒い丘が動いているのを見ているようだった。その丘がこちらに引き返してきたとき、黒い丘の中にちらちらと白い教皇らしき姿が見えるようになった。そして、被爆者の方たちの席にきて、一人一人と握手をされたり、抱擁を交わし何か話しておられるのが確認できた。さっきまで見えなかったのに、あっという間に、自分から30メートルのところでそんな状況になり「パパ様って本当にいるんだ」と腰が抜けそうだった。訳もわからず涙がこぼれていた。

 この後、教皇を追いかけるように東京へ行き、カテドラルと東京ドームでの集いやミサに参加することが出来た。滞在中に教皇が公式に語った言葉のすべてはカトリック中央協議会から出ている『すべてのいのちを守るため 教皇フランシスコ訪日講話集』(以下講話集)に収められている。

 リアルタイムでは字幕付きのモニターを見ていたのだが、言葉そのものというよりも、会場の雰囲気を含め、教皇がたしかにここにおられるのだという、日本の教会の歴史の1ページに立ち会っているという感動が僕の心には溢れていた。あのとき教皇が語られた言葉を、改めて噛み締めたのは、実は今年のコロナ禍に入ってからだった。その中から僕が大切にしている教皇の言葉を紹介したい。

 教皇は、日本は高度に発達した社会でありながらも孤立した人が多いという現状に対し、

 「主は食料や衣服といった必需品が大切でないとおっしゃっているのではありません。それよりも、わたしたちの日々の選択について振り返るよう招いておられるのです。何としてでも成功を、しかもいのちをかけてまで成功を追求することにとらわれ、孤立してしまわないようにです。(中略)孤立し、閉ざされ、息ができずにいる『わたし』に抗しうるものは、分かち合い、祝い合い、交わる『わたしたち』、これしかありません(「一般謁見講話(2019年2月13日)」参照)。」(講話集P .74、75)。

 と語り、続けて信者のグループはこうあるべきと語った。

 「キリストの共同体として、わたしたちは、すべてのいのちを守り、知恵と勇気をもってあかしするよう招かれています。感謝、思いやり、寛大さ、ただ聞くこと、それらを特徴とする姿勢を、いのちをそのままに抱きしめ受け入れる姿勢を、あかしするようにと。『そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま』(「ワールドユースデイ・パナマ大会の前晩の祈りでの講話(2019年1月26日)」)引き受けるのです。わたしたちは、この教えを推し進める共同体となるよう招かれています。」(講話集P.76)

 浜田、益田での生活が2年目になり、地元でも「知り合い」と言える間柄の人が増えてきた。不登校の子どもと、その親御さん。何十年という長いひきこりを経て、最近外に出れるようになったが他人に対してどうしても攻撃的な物言いになってしまい、コミュニケーションをうまく取れないと言う人。DVやモラハラの被害者の方々、想像を絶する悲惨な事件の被害者のご遺族の方々。みんな信者ではないのだが、縁あって知り合うことの出来た人たちである。僕に出来ることは限られているが、この人たちの力になりたいと思う。それこそが教皇が私たちに言い残した、至上命令だ。来日のテーマは「すべてのいのちを守るため」だった。教皇は13億分の44万人の信者のためにやって来てくれた。たった0.03%の信者のためにだ。小さな群れである日本のカトリック教会のために。もちろんそのお姿や言葉は、メディアを通じて多くの信者ではない方にも届けられた。その意味では、自分が知るうえで、最も大きな宣教となった。そのことが持つ意味の大きさも十分理解出来るが、ここでは教皇来日によって「しっかり、やりなさい」と励まされたという個人的な思いを綴ってみた。

 広島の平和記念公園でご一緒した被爆者の皆さんは、教皇が足をひきずりながら歩かれる姿をご覧になり口を揃えて「あのお姿を見て涙が出た。あのお姿を見ていたら、足が痛いとか、苦しいとか、辛いなんて言っていられない」と仰られていた。

 教皇の来日に励まされた者として、あの教皇と同じようにこの世の中で生きにくさを追っている方、苦しみの中をなんとか生きている方々に寄り添って生きていきたい。教皇自らが実践して見せてくれたその姿に倣って、すべてのいのちを守るために自分のいのちを使いたい。

(第27回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年12月1日(水)掲載予定