どうも、神父です。 大西勇史

2020.11.4

26二つのきっかけ

 

 たとえば素敵な絵を見たり、良いお店に出会ったり、面白い活動をしている人と知りあったりすると、それらの根っこにはどんな感情があり、どんな変遷を経て今こうして僕の目の前にあるのだろうかと興味が湧く。質問できる関係性であれば迷いなく「どうしてこれをやっているんですか?」と聞くし、それが難しければ、こうなのかなと自分なりに想像して楽しんでいる。

 かくいう僕も、「どうして神父になったのか」とときどき聞かれることがある。SNSやこの連載をやっていること、NHKの「サラメシ」に出たりする動き方は、いわゆる神父っぽくないと思われるのだろう。「どうしてそういうことをやっているのか」とも聞かれる。

 神父になった動機は、以前にも書いたが「神様のために働きたい」というもの。そして、こういう動き方をしている動機は、これも何度か言っているかもしれないが「カトリックを知ってもらうため」だ。

 カトリックを知ること。すなわちイエスキリストを知り、イエスが教えてくれる神様を知ればきっと、「その人の人生がより楽しく、生きやすくなる」そう思うからだ。そのために、教会でじっと待っているのではなく、どんどん世の中の人に興味を持ってもらおう。教会へ行くのは敷居が高いと言われるのなら、下げるための活動をしよう、そう思ってやっている。そのために、従来のやり方ではない、何か違う糸口を見つけなければと考えてきた。そう思うに至った、大きなきっかけが二つある。

 一つ目は、毎年6月に行われている教区の神父たちの黙想会に、神父になる前の助祭として参加していたときのこと。この黙想会の参加者は全員が教区の神父で、指導者として教区外の神父が呼ばれることが多い。泊まりがけの社員研修会のイメージに近いと言えばいいだろうか。朝、全員が参加するミサと祈りの時間があり、午前中に講話があり、昼食を挟んで午後も講話、空き時間はそれぞれ散歩をしたり、祈ったりと静かな時を過ごす。霊的なメンテナンスのようなものだ。

 とても丁寧で紳士的な振る舞いの外国人の黙想指導者が、閉会のミサの中で参加者たちをねぎらってこう言った。「まるで無視されているかのような状況の中で働く神父さま方、本当にご苦労様です」と。ここだけ切り取ると嫌味のように見えるが、彼のその言葉にはそのような意図はまったく感じられなかった。むしろ、我々を労ってくださっていてありがたいとさえ僕は感じた。しかし、同時に「そうか、この日本のカトリックの状況ってやっぱり彼のような海外の神父からすると、無視されているように映るんだ」とも思った。そして、それじゃあ何とかして、世間の人の視線に入らなければと感じたのだ。しかし、どうすれば良いのか方法が分からないから、まずはそれを考えるところからだとそのとき思った。

 もう一つは、2017年の夏に行われた神学生合宿でのことだ。一緒に合宿に参加していた、養成担当の神父がこう言った。「お前たちは宣教についてどう考えている。オレたちの世代は宣教については正直あまりうまくいかなかったと思っている。お前たちの世代はこの問題を避けて通れない。何か具体的なアイディアがあるか」。

 合宿最終日の夕食後のまったりした時間だったので、抜き打ちテストのようなその投げかけに僕は冷や汗をかいた。後輩の神学生が1人また1人と答えていき、あっという間に自分の番になった。僕は苦し紛れに「もし出来るならコーヒーショップとか、人の集まりそうなイベントをしたい」となんともぼんやりしたことを言ってしまい、またアホなこと言っちゃったなと思っていた。

 幸いに後に続いた神学生たちが、病床訪問(お見舞い)や冠婚葬祭(特に葬儀)の場は信者ではない方との接点になりうるから、そこに力を入れてやっていきたいとか、ミッションスクールとの関わりを上手に持ちたいなど、実践的な提案をしてくれた。僕も「その通りだ、そういう現場こそ宣教の大チャンスだ、よくぞ言ってくれた」と心の中で激しく同意していた。

 しかし、僕たち神学生の答えを聞き終えたその神父は一言、こう言った。

 「それならオレたちもやってきた。そういうことじゃない、+αがないとダメなんだ。全然違うことを考えなきゃダメだ」と。

 それを聞いたときは、雷に撃たれたくらいにびっくりした。自分が神父になって病床訪問や冠婚葬祭をすれば、それが宣教にもなるし、信者だって増えちゃうかもと、根拠のない自信があって高を括ってもいた。現実を知らない助祭時代の話で、若気の至りとは言え、今にして思えばなめた話である。

 完全に思いあがっていた自分に対し「そうじゃない。お前たちはまったく新しい別の視点で宣教を考えるんだ」と投げかけられたあの言葉は、僕の目を覚まさせた。それ以来、こと宣教に関しては、従来のやり方ではなく、それ以外に糸口を見つけよう、それくらい振り切ってやると決めた。これは啓示でもあり、とてつもなく大きなバトンを渡されたと感じた。その晩は興奮して一睡も出来ず、封の開いていないオレンジジュースを一人で飲み切った。それは翌日のみんなの朝食用のやつだった。

 現在僕はInstagramで、その日のミサで用いられる聖書や聖歌の一節を引用し、それにコメントをつけて発信するということを2年以上続けている。だが、神父になるまで携帯はガラケーだったし、SNSは何もしていなかった。司祭叙階を機に「宣教のツール」として使うと決めて始めたのは、前述した二つの言葉があったからだ。

 僕のしているどの活動も、世間一般に照らし合わせてみれば特に新しいものではない。+αもない。ただ、なんとか、長い時間残ってきたカトリックの良いものを、今の世の中に沿った形でお届けできたらと思いながらやっている。そのやり方が気をてらっていると言われればそうかもしれないし、まだまだ神父として半人前なのに出しゃばって、と思われているのだろうなと感じることもある。それにこの連載記事やTwitterのリツイートの取り下げなど、自分の思い至らなさや不注意で誰かを傷つけてしまったのではと思うこともあり、正直SNSはやめたほうがいいのかもなと思うことも多々ある。しかし、「近くに教会があることをはじめて知った」「教会って突然行ってもいいんですか」「神父さんに話を聞いてもらって心が軽くなりました」などの声も同時に僕のもとに届く。そのことを思うと、もう少し発信し続けてみようと思うのだ。

 先日いただいたお便りには、昨年の今ごろ来日した教皇フランシスコの言葉が引用されていた。その言葉は、たびたび教会内でも使われる言葉で僕も大好きなのだが、不意に見知らぬ信者さんからのお便りに添えられていて、本当に慰められたし励まされた。その言葉をここにも記しておく。

 「私は、出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会のほうが好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さゆえに病んだ教会よりも好きです。」(教皇フランシスコの使途的勧告『福音の喜び』49項)

 今の僕の姿を、もしイエス様が見たらなんというだろう。「もっと丁寧に出来るはずだから、引き続きがんばりなさい」と言ってもらえるんじゃないかな。

 

秋晴れの11月3日。津和野で信者さんと野外ミサを行った。

 

 改めて、イエスキリストや教会を知らない多くの人に親しみを持ってもらえたらと思う。そして、気軽にお近くの教会に行ってみて欲しい(各教会ごとに、コロナ対策を行っているので事前にホームページなどで確認するか、電話で問い合わせてみてからのほうがいい)。僕が青年時代にしてもらったように、きっと神父さんが迎えてくれるはずだ。もちろん、僕のいるところにもぜひ来て欲しい。TV出演後、メールに手紙、電話などひっきりなしに連絡をいただいた。放送後最初の日曜日のミサ、あれだけ反響があったのだし、来る人が増えているに違いないと思っていたが、参列者はいつもと変わらず20人だった。当たり前だけど、露出するだけではダメなのだ。「笛吹けど踊らず」と言うことわざの出典は聖書から(ルカによる福音書7章32節)なのだが、まさにそんな気持ちだ。思わず「さすがの俺の安定感だな」と思って笑えてきた。この笛が悪いのか、吹き方が悪いのか分からないが、日々トライアンドエラーを繰り返してやっていくしかなさそうだ。

(第26回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年11月18日(水)掲載予定