どうも、神父です。 大西勇史

2020.1.29

06神様との面接

 

 気まずい夕飯から一夜明けて、僕は車を走らせ松江から東京へと戻った。しばらくは、また元のバイト暮らしをしていた。結局、両親も「精一杯やれるだけ頑張ってみたら」と言ってくれ、僕は神学校への入学準備も始めた。そうこうしているうちに、その年のクリスマスの時期がやってきた。

 東京で僕が通っていた教会では、クリスマスのミサの後には信者が集まってパーティーをしていた。教会のイベントというのは、クリスマスや復活祭(イースター)といったキリスト教のお祝いに際して開かれるパーティーのほか、納涼会やバザーなどがある。今は、なかなか準備も大変だという理由でやらない教会も多いようだが、教会がこういったイベントをしなくなってしまうのはさみしい感じがする。教会を取り巻くコミュニティも高齢化が進んで若い新しい力が育っていない、その象徴のように感じるからだろうか。

 

写真:幡野広志

 

 パーティーの会場は、聖堂の下にあったホールであることが多かった。全国的に大体どこの教会にも、聖堂、信徒会館、司祭館と呼ばれる建物があって、信者はそれらを含む敷地全体を「教会」と呼ぶ。聖堂とはみなさんが教会という言葉から想像するであろう、祭壇があってベンチがあってというあの祈りの場だ。信徒会館は、その名の通り信者が使うスペースで、教会によって大きさや作りなどはまちまちだ。それこそ「会館」の名前にふさわしい立派な建物のところもあるし、一つの建物の一階は信徒会館、二階は司祭館というところもある。大きいところだと、個室がいくつかあったり、畳の部屋があったりして、講座なんかをする部屋もその中に含まれる。ホールやキッチンもあることが多い。司祭館は、以前もこの連載で書いたが僕ら神父たちの居住スペースである。信者ではない方に「お住まいは?」と尋ねられて「教会に住んでいます」と答えると、聖堂に布団を敷いて寝ていると思う方もいるらしく、驚かれることもある。さすがに聖堂で寝泊りしている神父はいないと思う。

 ちなみに現在僕の担当している浜田教会は、一階が信徒会館、二階が司祭館という建物があって、聖堂はまた別の建物という作りである。もう一つの益田教会のほうは、同じ建物の一階が信徒の使うスペースと聖堂で、二階が司祭館になっている。

 教会で開催されるパーティーは、信者たちが自ら準備することも多い。それぞれ得意な料理を持ち寄って、みんなでそれを囲むというのはおそらく日本のどの教会でも見られる光景だと思う。だが、僕が通っていた教会には、今は亡き料理上手な信者のおじちゃんがいた。大柄でいかにも中華鍋が似合うおじちゃんとその仲間たちは、教会でイベントがあるごとにご馳走を振る舞ってくれていた。そのクオリティの高いこと。ホールもキッチンもとても大きくて、キッチンを担当する人はみなコックコート、配膳や片付けでホールに出る人もサービスマンよろしく白シャツ黒パン革靴という出で立ちだった。料理に関わる仕事をしていた人たちが中心になってはいたものの、大半は普段は別の仕事をしていたり、主婦の方や仕事を引退した人たちが集まったボランティアだったが、完全に素人の域を超えていた。

 あの時代のあの教会のパーティーや、それを準備していたチームは凄かったと思う。実際、他の教会から頼まれてケータリングに出かけることもあった。上京して間もなかった僕は「なにこれ、みんなプロじゃん」と感じたものだ。そして、みんなおじちゃんの作るローストビーフ(通称:おじちゃんのロービー)が大好きだった。僕も前日の仕込みの手伝いに駆り出されては、切り分けられたロービーの切れ端をもらったりして喜んだ。もっと食べたいと言うと、必ずちゃんとしたやつを一枚くれて、後でメシ作ってやるから待ってろ、なんて言われたもんだ。書きながら、また食べたくなってきた。厚めにカットしてくれて美味いんだよな、あのロービー。

 

写真:幡野広志

 

 あれは神学校に進むと決めてからしばらく経ったころだろうか。その料理上手なおじちゃんから、「どうして神父になりたいのか」と改まって聞かれたことがある。僕はその質問に、「自分の幸せはなんだろうと考えながら暮らしていたら、ここ(神父になること)に行き着いた」と答えた。それを聞いた彼は少しだけ言いづらそうな顔をして「司祭(神父)はお前の自己充足のためになるもんじゃない」と言った。真面目で熱心な彼らしい切り返しだった。

 神父は世のため、人のために働くものであって、自分の欲求を満たすことなど後回しにしなければならないということだろう。それなのに、自分の幸せを一番に持ってきた若造の答えにそう言わずにはいられなかったのだと思う。だけど、僕が「自分の幸せのためだ」と答えたのにも理由があった。

 当時の僕はとにかく「自己満足」という言葉に縛られ、その壁を越えられずにいた。何をしても、自分は見返りを求めているのではないかと疑心暗鬼になっていた。

 そんな気持ちを抱えながらすることなんて、どうせ偽物だ。そもそも、人間が「~する」と言うとき、そこにはどうしたって自己満足が含まれるし、見返りを求めない愛や優しさは、この自分には備わっていないのだ。どんなに人に親切にしても、結局いつも心の奥底では自分のことを優先して考えている――自分は偽善者だ。それに、大して何も出来ないくせに、何かちょっとやったらすぐ「これって自己満かも」と疑うような拗らせためんどくさいやつを誰も使ってはくれないだろう。もう、いっそ、何もしなければいいのでは。

 ……というような自暴自棄な状態でもあった。

 でも、そんな自分の汚さや弱さをすべて知っている神様なら、この僕を使ってくれるかもしれない。だからもう、神様のところで雇ってもらうしかない、あの9月26日の朝方、そう思ったのだった。そしてそんな自分にできる唯一のことは、こういった自分の弱さを包み隠さずに述べること。変な言い方だが、ちゃんと開き直ろうと決めたのだ。見え見えの下心を隠すようなことだけはするまい、と意気込んでいた。「私は、自分の幸せを一番に考えてしまうずるいやつです。でも、少しずつまともになっていきたいです。もし、そんな私にチャンスをくれるのなら、どうぞよろしくお願いします」みたいな感じ。だからおじちゃんにも「自分の幸せのためだ」と答えた。

 とまあ、今だからこんなふうに説明できるが、当時は勢いだけのただのバカだったので、自分の返事の裏側まで想像できていたかは怪しい。その場では、おじちゃんをただ困惑させただけだったと記憶している。それでも、あの時おじちゃんが僕にはっきりと言ってくれたことは「こいつのために言っておいてやろう」という彼なりの親心だったのだろう。おじちゃんは口は悪かったけど、ほんとうに大恩人だ。そしてこのおじちゃんの問いやこの問いにまつわる自分の思いは、それまでに受けてきた他のどのテストや質問よりも大切だったんじゃないかと、今頃になって身に染みている。きっと、神様がおじちゃんを通して面接してくれたんだろうと、神父になった僕は感じている。

 

(第6回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年2月12日(水)掲載予定