どうも、神父です。 大西勇史

2020.2.26

08かっこいいじゃん、母

 

 我が家は、父、母、僕、妹の四人家族だ。父はのちに洗礼を受けて信者になるが、それは僕が24歳のときの話なので子供のころは信者ではなかった。母は20代のときに自分の意思で洗礼を受けて信者になった。なので僕でいわゆる「2代目」だ。教会では、ときどきこの「何代目」という言い方をすることがある。

 母が洗礼を受けた動機を僕に語ってくれたことが何度かあった。要約するとこうだ。OL時代に大層嫌いな上司がいたらしい。その上司があろうことか「人類愛について」の説教をしてきたことがあった。それを聞いた母は「あんたなんかにそんなこと説かれたくない」と心の中で怒り、ホンモノを探してやると、寺や教会を探し始めた。お寺や教会に行けば、その上司の説を上回る真理に触れられると思ったに違いない。いくつか寺や教会を回った中で、ミサに行った地元(松江)の教会で親切にしてもらえたこと、親戚にクリスチャンがいたこと、学生時代にその親戚にヨーロッパ旅行に連れて行ってもらい教会をはじめとするキリスト教文化に触れ、お洒落でステキと思っていたことなどがきっかけになり、母は教会の門を叩いた。そうして出会った神父さまは、これは以前も書いたが医者だったにもかかわらず、それをやめて神父になった方だった。その神父さまの姿を見た母は、そうまでして人が人生を懸けるこのキリスト教の世界はすごいと思ったのだろう。そういえば、「子供のころは親の価値観のもとで育ち、社会に出れば会社や上司の価値観が入ってくる。この先、結婚したら旦那さんの価値観も入ってくることになる。私はそんなにころころ自分の価値観を変えられないから、何か、これは絶対と言うものが欲しかったの」と言っていたこともある。これについては、聞いたのがずいぶん大きくなってからだったこともあって「要するに、わがままだったんだね」と笑ったことがある。価値観や人間性はデータを上書きするように瞬時に塗り替えられるわけでもないし、相手の価値観が自分の中にじわっと滲んできて、それによって変わっていく自分のことを、若かりしころの母は楽しめなかったのかなとも思わなくはない。だが、真っ直ぐすぎるところのある母らしい答えだなと思った。

 その母の勧めにより、僕は小5で洗礼を受けた。父も母も日曜日に仕事をしていた家庭だったので、洗礼を受けることが決まってからは妹と二人、毎週末どうにかして教会へ通っていた。近所の信者さんに迎えに来てもらったりしていたこともある。シスターと洗礼を受けるための準備の勉強を半年ほどしただろうか。勉強自体はあまり面白くなかったが、そのシスターが行くだけで大喜びしてくれたことと、ちょっと答えただけで嘘みたいに褒めてくれたこと、おやつをたくさん準備してくれていたことは、今も嬉しい記憶として僕の中に残っている(こういうシスターとの体験って、信者にとっては結構あるあるらしい)。

 洗礼式は、式中に応答しないといけないところや、式後に一言挨拶を求められることがわかっていたので、そのことばかりが気になっていた。また、三つ下の妹も一緒に洗礼を受けたので、兄である自分がしっかりしなきゃと大緊張だった。だから緊張のあまり当日のことはよく覚えていないが、妹がひょうひょうと挨拶したことだけは覚えている。そう、後に「あんたが、神父になったら教会が滅ぶわ」と言ったあの妹である。昔から、嫌なやつだぜまったく(なんて、実際はよくメールでやりとりしたりする仲良し兄妹ですので、ご安心を)。

 

幼いころの僕と母

 

 子供のころに母が教えてくれた聖書の言葉で、印象的だったものが三つある。

 一つ目は、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書7,12)といういわゆる黄金律と呼ばれる言葉。ちなみに白銀律というものもあり、こちらは「自分がされたくないことを人にしてはいけない」で、聖書の言葉ではないのと出典が定かではないが、母はより積極的な黄金律の方が自分の性に合っている気がすると言っていた。

 二つ目は「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書7,13)で、これは中学生だった僕が部活で壁にぶち当たっているときに聞かせてくれたもの。シンプルに「より困難な道を選びなさい、なぜなら今ぶつかっている壁や困難さは意味があるのだから」と慰めてくれたのだろう。夕方、西日が差すリビングで、洗濯物を畳みながら話してくれた。

 そして、三つ目は「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書5,39)である。信者の方には「出ました!」という感じだろう。きっとこれは一番有名な聖書の言葉の一つなのではないだろうか。僕は母から聞いたのが最初で、たしか洗礼を受けるころだった。「すごいよねー、イエスさまって。お母さん無理だわ」と明るく言っていた。そんな母もなんだかすごいなと思った記憶がある。

 ちなみに神父になった僕は、たとえばこの言葉を読んだ人が「無理です、私には」と思ったなら、その気持ちをそのまま大事にしてくださいと言う。やっぱり、まずはあなたがどう思うか、何を感じたかが何より大切なのである。その次に、ではそこからどうするかにシフトすれば良い。「叩かれたのにさらに、叩かれるようにしなさいなんて無理よ、私」と言う自分をまずは認めつつ「でも、そんなことがたとえ出来るなら、それはすごいことだ。自分もいつかそういう人になりたい」と思うこと。そういう方向に自分を秩序づけていこうとする、その姿勢が大切なのではないか。

 そしてお気づきかもしれないが、この三つはいずれもイエスの有名な「山上の説教」の場面での言葉だ。神学校に入って、少しはまともに聖書に目を通すようになって、幼いころに母から聞いて覚えていた聖書の言葉がじつはすべて「山上の説教」だったと知って、ちょっと笑えた。信者からすれば、聖書のこの箇所はそれくらい有名なパートだからだ。

 イエスの活動初期、あちこちの地方を回って活動していたイエスを頼って、多くの人が彼のもとにやって来た。その人たちに向かってイエスは、それはそれは長い説教を始める。「イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。」(マタイによる福音書5,1-2)

 ちなみイスラエルにはこの場面にちなんでなのか、実際にその場所だからかは不明だが「山上の垂訓(説教)教会」という教会があって、観光名所なのだとか。僕はまだ行ったことがない。

 母とのやりとりを書いていてふと思い出したが、子供に洗礼を受けさせる、いわゆる幼児洗礼(7歳未満での洗礼)については、教会内でも賛否が分かれる。反対派は「自分で物心つくようになってから選ばせたらいい」と言い、賛成派は「親の自分が大切にしているものを子どもに与えるのは当たり前だ」と言う。どちらも一理あるし、間違っていない。僕自身は洗礼を受けたときは10歳ですでに物心はついていたし、自分の口で「はい、望みます」と宣言したわけだけど、そこまでの道を敷いてくれたのは紛れもなく母親なので、どちらが良いとは言えない。しかし、幼児洗礼者の多くはまるで親離れするかのように思春期に信仰から離れていく。特に思春期のお子さんをお持ちの親御さんから「どうすれば、うちの子が教会に行くでしょうか」というお悩みをよく聞くのだが「無理強いが一番良くないので、放っておいてください」と答えるようにしている。親の気持ちも理解できる。自分が大切だと思っているものに対して、子供が見向きもしなくなるのだ。焦ったり、自分を否定された気持ちになるのだろう。「そんな夢物語みたいな胡散臭い話し、誰が信じるか。だいたい、母さん、教会行ってるくせに人の文句しか言わないじゃん」とか言い出したりする(僕の母親の名誉のために言いますが、これはあくまで一般論であって、当時うちで交わされた親子の会話ではありません。た、たぶん。言ってないはず)。

 僕はそれで良いと思う。自分で再検討したら良いのだ。この信仰が自分にとって必要かそうでないか。親離れって、いままで当たり前に身近にあったものを一度疑ってみる、そういうものだとも思う。だから、子供が信仰から離れたとしても親は動じなくて良い。むしろ成長に必要なプロセスだと思って堂々としていたらいい。

 ただ、神父だし、出来れば多くの人にキリストの教えの魅力が伝わって「いいね、それ」と言ってもらいたい。だからあんまり無理やりに教会に連れて来させるのはやめようよ、と思っている。第一、そんなことしなくても必要なら、ちゃんと神様が導いてくださるから安心して任せておいたら良いのだ。洗礼を受けて間もないころ、母にどうして僕と妹に洗礼を受けさせたのか尋ねたら「親だって人間だから間違うことがある。神様は間違わないから、親よりも神様のいうことを聞いて欲しい」と言っていた。それを聞いて「なるほど。かっこいいじゃん、母」と思った。

 その後、悪さをして怒られたときに一度だけ勇気を出して母に言ってみたことがある。「神様は良いって言ってくれるもん。親より神様が正しいんでしょ」と。「それとこれとは別!!!」と秒殺された。そのときは、お母さん無茶苦茶だなと思った。でも、まぁ、ほんと、僕の場合は信仰をくれた母に感謝、なのであった。

 

こちらは現在の母と実家の犬

 

(第8回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年3月11日(水)掲載予定