どうも、神父です。 大西勇史

2020.1.15

05島根のダメ青年、神父を目指す(後編)

 

 「そうだ、神父になれば良いんだ」

 自分から突如発せられたこのつぶやきにすっかり興奮してしまった僕は、結局一睡もせずに教会の朝6時半のミサに行った。アパートから教会までは歩いて15分ほど。ちなみに、怠惰な僕だが東京では毎週日曜日に教会に通っていた。しかしそれは、決して信仰が深くなったとかではなく、東京で一人ぼっちの僕を迎えてくれる神父や友人がそこにいたからだろう。とはいえ普段平日の朝のミサに行くことはなかったので、突然現れた僕に神父はきっとびっくりしたはずだ。

 ミサを終えてそのまま、神父と話すために司祭館へ向かった。実は昨晩こんなことがあった、自分はこう思っていると自分の考えを話した。聴き終えて、神父は一言だけこういった。

 「うん、それは召命だ。君と僕は今日から仲間だ」

 召命。

 一般には聞き慣れない言葉かもしれないが、教会ではよく使われる。「神が召す命」、つまり「神が導くあなただけの道」と言い変えても良いかもしれない。神父を志し、神父として生涯を生きていくことを「司祭職の召命」とか「司祭召命」という。「最近は司祭召命が少ない」と言えば、神父を志す人が少ないという意味になる。ちなみに、現代は日本のみならず、世界的に司祭召命は減少傾向にある。神父になりたいと思う人が少ないのだ。しかしこの日僕は「神父になれば良いんだ」、たしかにそう思ったのだ。

 神父と話し終え、司祭館を出て再び聖堂入って一人で祈った。

 「神様、僕を神父にしようなんて、あなたはやっぱりヘンなお方です。もし僕が神父になれたらそれはあなたのおかげだし、もしこんな自分が誰かの役に立つことが出来たならそれはあなたの力によるものです。こんな自分で良かったらどうぞ、お好きなように使ってください」

 おおよそこんな感じの祈りだった。そもそも神父を志すということ自体、自分にとって青天の霹靂だった。神父に対する憧れを抱いてはいたものの、それだってここ数ヶ月の話で、正直、過去に一度も神父になろうなんて本気で考えたことがなかったのだ。神父は立派で、賢くて、常に正しい雲の上の存在だった。だから、口走ってみたはいいけど自信などあるわけもないし、まさにダメ人間を絵に描いたような今の自分は神父にふさわしくないと十分に自覚していた。

 だから、僕は神様のせいにすることにした。神様を信じるといえば聞こえが良いけど、「神様が神父になれと言うから、僕は従っている」と思うことにした。つまりは責任を回避していたかったのだ。22歳の僕は相変わらず自分で考えて生きていく勇気がなかった。それほどまでに、当時の自分からすれば、「神父」という着物は僕の身の丈にあったものではなかった。ただ、どういうわけか僕の心は決まったのだ。

 

撮影:幡野広志

 

 聖堂を出て、その日のうちに実家に帰って親に報告しようと、ロードムービーよろしく教会の車を借りて島根県の松江に向かった。途中休憩も入れて片道12時間、実家に到着したのは日付も変わる夜中ごろだったと思う。車中で色々とこの後のことについて思い巡らせていた。親も、当時付き合っていた彼女も説得することは出来ないだろうし、最後は強引に押し切るしかないかもなと思っていた。

 到着が深夜になることは、母に連絡していた。家の鍵は開いていたが、すでにみんな寝静まっていた。用件は告げていなかったので、きっと母親は、またお金を無心しに来たに違いないと思ったはずだ。

 翌日の夕方、仕事から帰ってきた母親の背中に向かって「神父になろうと思う。うまく進めば来年神学校の受験がある」と単刀直入に告げると、母は「バカなこと言うのやめてちょうだい、あんたが神父なんかになれるはずがないでしょ。そんなこと言ってないでちゃんと働きなさい」と少し腹を立てているように言い放った。母は20代の時に信者になろうと思って、自ら洗礼を受けた。そのときの神父様は、医者を辞めて神父になったという経歴の方で、母はその神父様のことをとても尊敬していた。僕の洗礼名(洗礼のときにつける信者としての名前)はその神父様の洗礼名と同じ名前だ。「ヘルマンヨセフ」という。なので、うちのバカ息子が神父になるなんてとんでもないし、ふさわしくなさすぎる。もうこれ以上、恥をかかされたり、振り回されるのは勘弁だとも思っただろう。こちらとしても想像通りのリアクションだったこともあるし、もとより母のことは説得できる気もしていなかった。今まで散々迷惑をかけてきているし、今さら僕が何を言っても信じてもらえないだろう。でも母にどう言われようとも、どう思われようとも、これは僕が初めて自分で決めたことなのだ。昨日の朝は「神様がなれって言うから」と考えていた僕だったが、いつの間にか気持ちも変わっていた。だから突き通すしかない。

 ほどなくして、この日は9月末にしては寒かったのだろう。今度は父が「寒い寒い」と言って仕事から帰ってきた。居間で寝転んでいる僕の姿を見つけると、「おまえ、なんだや急に」と言いながら通り過ぎて台所に行った。台所から「カラン」とグラスに氷を入れる音が聞こえてきた。「いま寒い寒いって言ってたじゃん。氷いるの?」と言うと「麦茶には氷だわや」と明るく返す父を見て、僕はこれから伝えることの重さを余計に感じた気がする。

 父が居間にやってきて座ったのを見計らって「神父になりたい」と母のときと同じようにストレートに伝えた。母はそれを聞いているのかいないのか、黙って台所で食事の支度をしていた。

 息子の突然の宣言を聞き、当時はカトリックの信者ではなかった父は少し驚いたような顔をした。そして、僕に二つのことを確認した。一つは「今でいいのか」。年齢がまだ22歳と若かったので、もっと色んな経験を積んでからでなくて良いのか。もう一つは「家庭が持てないのは良いのか」。神父になれば結婚することも子どもを持つことも出来ない、それについては良いのかと、父は至って冷静に聞いてきた。

 「今、神学校に行くことで経験できることのほうが価値があるように思える」ときっぱりと答えた。僕は完璧に打ち返したつもりでいたから、その後父がなんと言っていたかはほとんど覚えていない。この宣言から数年後、父は僕が神学校に入学して一年目が終わったタイミングでカトリックの洗礼を受けた。「オレが神だ」みたいな冗談とも本気とも取れるようなことを平気な顔をしていう父だったのに、である。洗礼の動機は詳しくは聞いていないのだが「老いては子に従え、だ」としきりに言っていたので、父なりにこの道を歩むと決めた息子を応援しようという親心なのかもしれない。父の「洗礼を受ける」という行動以上の応援はないように思う。

 

撮影:幡野広志

 

 その後、父、母、妹と久しぶりに家族揃って食卓を囲んだ。メニューはジャガイモとひき肉のコロッケ(俵形)とスパゲティサラダ、白米、味噌汁、それになにか副菜だったと思う。終始無言が続き、どこか白々しい空気が漂っていた。きっと僕を除いた全員が、「うまくいくはずがない」と思っていたことだろう。自分のこれまでの行いからしたら当然のことだが、信用してもらえなくて悔しい気持ちも当時の僕にはあり、あまりの気まずさから「え? オレ、なんか悪いことしたっけ?」という気持ちにもなってきて、しらばっくれた顔でそそくさと夕食を食べ終えた。

 ちなみに、教会には通っていないが信者ではあった3つ下の妹は「は? まじ? あんたが神父になったら教会滅ぶわ」とだけ言った。

 ……この妹の予言を裏切り、僕はなんとか神父になることが出来たし、教会は今日も二千年の伝統に支えられて燦然と輝いている。アーメン。この続きはまた次回書いていこうと思う。

 

(第5回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年1月29日(水)掲載予定