どうも、神父です。 大西勇史

2020.5.6

13「来てよかった」のために

 僕がベース長として米川ベースで働いたのは、2011年の5月のGWから9月20日までだった。

 6月半ばに常勤のスタッフが一人増えるまでは、僕、ベーススタッフ一名、シスターズリレー(日本の女子修道会の上長が集まる「日本女子修道会総長管区長会」が、各修道会から数名のシスターを一週間単位で本部や各ベースに派遣する仕組み。東日本大震災を機に発足し、その後約2年間続いた活動)から派遣されたシスターが一名という三人体制で運営していた。文字どおりなんでもした。ベース長の仕事は、ベーススタッフとのミーティング、仙台にある本部や他団体との連絡がメインと言われていたが、米川べースはスタッフの数が少なかったこともあり、ボランティアが到着した際や帰る際の送迎やオリエンテーション、作業現場への送迎や引率、ベースの掃除に食事作り、買い出し、分かち合いの司会や祈りの司会などもやっていた。

 

米川教会の司祭館から引っ越し後の米川ベース(現カリタス南三陸)。 提供:赤井悠蔵

 

 中でも僕が大切にしていたのが、ボランティアがベースに到着した際のオリエンテーションだった。ベースでの過ごし方はもちろんのこと、実際に被災地に行って活動してもらうにあたり、どのような心構えでやって欲しいかなど、本部からのマニュアルに自分の感じていたことをミックスしながら伝えた。例えば、本部のマニュアルの一項目はこんな感じになっている。

 「ボランティアは『助ける』『何かをしてあげる』という以上に『共に寄り添う』という精神を大切にしてください。『してあげる』活動ではありません。善意の押し付けは、相手にとって迷惑となります」(災害対応マニュアル・対応編 P.60)

 何かしてあげたいと、エンジン全開で被災地に向かおうとするボランティアの方には一旦ここで冷静になってもらう必要がある。あなたのやりたいことをする場所ではありませんよということを意識して伝えるようにしていた。僕が釜石で体験したように、勇んで出て行っても結果的に何もやることがなく、半日体育館に立たされただけということもあり得るのだと伝えた。また、中には「やる気満々」とは真逆の方もいた。「自分なんて何の役にも立たないかも知れない。足を引っ張りそうで心配だ」というタイプで、そういう方には「『助けに来ている』という自覚を持ってください。あなたがいるということがここでは大きな助けになる」と励ました。ふたたびマニュアルから引くと、第7項にはこう記してある。

 「依頼された仕事は、無理のない範囲内でなんでもやりましょう。肉体労働もあれば、細かい作業もあります。人と接する機会が多い活動もあれば、少ない活動もあります。肉体的にハードな仕事でなければ被災者の役に立てないということは決してありません。どんな活動でも被災者の方に必要とされている大切な活動であることを忘れないでください」(災害対応マニュアル・対応編 P.60)

 いずれにしても、みな普段の自分の持ち場を離れて、知らない土地にやって来るわけだ。さらに作業現場は、ほとんどの人がそれまで見たこともないような甚大な被害を被った場所だ。だから、みなが緊張したり興奮したりしているのは当たり前なのである。ほんの1ヵ月前に同じ経験をした者として、その気持ちは良くわかっていたので、実際の活動の前に少しでも落ち着いてもらいたかった。

 そして、僕はボランティアの方々にいつも決まって一つのお願いをした。それは「来てよかった」と言える体験をしてくださいということ。

 僕はベース長になったときにこう決めた。これまでのように、自分が直接被災地に行って泥や瓦礫を片付けることはもうないかもしれない。だが、それはきっとこのベースにやって来る多くのボランティアの方が自分の代わりに、いやそれ以上にやってくれる。だったら、自分はその人たちがベストの状態で作業に出かけられるように、また、帰ってきたときに少しでも落ち着いて英気を養えるように、この場をコーディネートしよう。それに徹することが、自分のしなければならないことだと。ボランティアの方がここを去るときに「来てよかった」と思ってもらうために働こうと。

 なぜそう思ったのか。それは、この連鎖が途切れなければ、つまり、参加してくれた方に「良かった」という気持ちが芽生えれば、もう一度来てくれる人がいるはずだ。その人の周りの人で「自分も行こう」という気になってくれる人が現れるから。そうすれば、被災地にボランティアの方が来続けるんじゃないかという思いがあった。それほどに、あのころの被災地はボランティアの方々を必要としていた。「よかった」と言ってくれ、だなんてずいぶん甘えたお願いだ。それは体験した本人が決めることだとわかっていながらも、必死だったのだろう。あのときの僕は、その言葉をボランティアの方に言ってもらうために働いていた。

 

ボランティア作業中の一枚。 提供:南三陸社会福祉協議会

 

 ベース長として、どのようなボランティアをこの先やっていくのか。中長期的に必要になってくる支援は何かなど、様々なことをスタッフと共に考え、実行した。手狭だったベースの引っ越しもした。半年に満たない期間だったが、たくさんの決定をしなければならなかった。

 正直言って、それらの一つひとつはもうほとんど覚えていないが、一つだけ、今でもあの判断で正しかっただろうかと思っていることがある。

 上述したとおり僕は、ベース長として主にベースにいて、いわゆる被災地でのボランティア作業には行っていなかった。ほぼ毎日違うメンバーを車に乗せて現場に向かい、一緒に作業をしてみんなを連れて帰ってきてくれるのはスタッフのTくんという男性だった。彼はとても頼れる男で、僕がベース長としてなんとか活動できたのも彼がいたおかげだった。そんな彼と一度だけ、意見が食い違ったことがあった。

 僕が神学校のどうしても外せない用事でベースを2週間離れ、戻ってきた後最初のミーティングだったと思う。現地で毎日顔を合わす、個人ボランティアの人たち(どこの団体にも属さず、個人で被災地に入り活動する人たち)のお昼ご飯も買って持って行っている。ときには、ベースでおにぎりを作って彼らに差し入れしている、とTくんが報告してくれた。いいじゃんいいじゃんと思ったが、少しだけ気にもなった。一晩、自分で一体何が気になるのかを考えた。

 僕が気になったのは、差し入れをする頻度と、それはいつまでするのかということについてだった。毎日被災地に行く彼が、徐々にそこで顔を合わせる個人ボランティアの人たちと仲良くなっていっていることも聞いていたし、現場に顔見知りができるのは作業もスムーズに進むだろうし、とても良いことだとは思う。だけど、僕らのように団体を通して現地で活動しているボランティアと、個人ボランティアの線引きはあったほうがいいと思ったのだ。

 個人ボランティアは所属団体などがないため食料や宿泊施設などのサポートは受けられないが、自由に動くことが出来、ある意味で気ままにやれる。活動期間や場所だって自分で決めればいい。極端なことを言えば、いきなり被災しているお宅に行って「何か手伝えるとはありませんか」と活動することも可能だろう(実際は地域の社会福祉協議会でボランティア登録をし、そこの指示に従って作業をするのが一般的である)。しかし、皆さんもご理解いただけると思うが、ボランティア活動にあたって守るべきルールや心がけるべきモラルというものはもちろんある。そのため現地での活動のすべてを自分で調整しなければならないため、個人ボランティアは上級者向けと言える。一方、団体に登録しているボランティアは宿泊場所や食事といったサポートも受けられる。その団体ごとのルールに従うということが求められるが、ボランティアを体験したことのない初心者にとってはかえって参加しやすいとも言える。どちらもそれぞれメリットがある。

 それらを鑑みて、僕は彼にこう伝えた。「ボランティアに来ている人は、個人か団体かを自分で選んでやって来ているはずだ。だから、僕たちが個人ボランティアの方をサポートすることは、その選びをどこかで尊重していないような気がする。その境界線は、とても大事な気がする。気持ちはすごくよくわかるけど、僕がベース長をしている間はやめて欲しい。もし本当に困っている人がいたら、いつでも言ってくれ。ベースに一泊するとか、その日だけこちらで食事を用意するとか、恒常的でなければ全然良いと思う」と。

 本部の定めた支援目的の中に、「被災地で活動する個人ボランティアを支援すること」は組み込まれていなかったので、それを理由に断ることも出来たが、毎日現場に出て、そこで出来た仲間を思う彼の気持ちを考えると無下に言えなかった。

 幸い彼はすぐに理解してくれた。そして、その後も現場の責任者として個人ボランティアの方や南三陸町社会福祉協議会の方々と信頼関係を築き、大活躍してくれた。

 ちなみにその彼は、僕が去った後2代目のベース長になった。そして何と今も米川で働いている。米川ベースは今年3月にNGOカリタス南三陸という団体になり、南三陸町での第一次産業(農業・漁業)支援、コミュニティ支援(お茶っこサロン、草木染体験、おにぎりの会、子どもの見守り、障がい児の見守り)など、復興とまちづくりのお手伝いを続けている。僕が開設に関わった米川ベースが地元に愛される団体になり、9年経った今も活動しているのは本当にうれしいことだ。じつは今まで米川ベースでベース長をしていたことは、あまり公言してこなかったので、声を大にして、この連載で自慢させてもらったつもりだ。さらに、あの釜石を含め、他にも今もなお活動を続けている関連団体(いずれもカリタス〇〇という名称)が全部で6つある。またカトリック教会では、全国の災害発生時にも同様の活動を展開している。

 思えば、教会がボランティア活動を大切にするのは当然のことと言えるかもしれない。ボランティアの語源はラテン語の「ボランタス」という語で、その意味は自由意志だと聞いたことがある。誰かに強制されることなく自らすすんで、という意味だ。

 僕らは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と教え、他者のために十字架にかかり命を捧げた、イエスキリストのように生きたいという人たちのことを信者と呼ぶ。イエスキリストに倣って生きていこうとしている信者からすれば、ボランティア活動は当然のことなのだ。きっとこれからも、どこかに困った人があれば教会は、信者は、当たり前のように駆けつけて手を貸すだろう。なぜなら、イエスキリストはそうするからだ。

 

(第13回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年5月20日(水)掲載予定