どうも、神父です。 大西勇史

2020.12.16

29100軒のお宅訪問

 現在担当している二つの教会の、すべての信者の方のお宅を訪問してから、もう一年以上が経つ。

 そもそもお宅訪問をしようと思ったのは、少なくとも僕の赴任以来、一度も教会に来られていない方に再訪してもらうきっかけを少しでも作れないだろうかと思ったからだ。

 教会から遠ざかった理由は様々だろうが、なんとかもう一度足を運んでもらえないだろうか。教会報(月一で発行している冊子)や、司教さまの教会訪問などの特別な行事のお知らせはこれまでも送ってきたのだけれど、僕ら神父には本当にそれだけしか出来ないのだろうか。そんなはずはない。すべての信者さんのお宅と言っても、100戸ほどだ。一軒一軒挨拶して回ってみよう、そう思い立ってのことだった。

 事前に「お宅を訪問します、玄関先での挨拶だけで失礼します」というお知らせを郵送し、当日お留守だったお宅には自己紹介を含む挨拶文に携帯番号とメールアドレスも添えたものを郵便受けに入れておこうと携え、お宅訪問の旅へと出発した。

 いきなり「ミサに戻ってきてください」と切り出しても、先方も抵抗を持たれてしまうかなと思い、「BBQをやります」というお誘いのチラシも一緒に配ることにした。今にして思えばミサに来なくなった方が、教会主催のBBQに来るのも同様にハードルが高い気もするが……。

 事前にカーナビに、地区毎に信者の方々の住所をセットし車で向かったのだが、これが思いの外大変だった。僕自身、当時は赴任して間も無く、土地勘がないせいもあり「このお宅ならさっきのついでに寄れたのに」といったロスタイムがものすごく多かった。とはいえ、初日は教会に比較的近い近所を回ったので比較的スムースだった。

 しかし、お宅訪問を始めて四日目の夕方のこと。この日も僕は朝から要領が悪く、同じ道を何度も車で往復し疲れ果てていた。「このお宅で今日は最後にしよう」と思って訪ねたお宅で、僕は思いっきり怒鳴られた。教会に来られていない方のお宅だということは、事前に分かっていた。そういうお宅では、突然会ったことがない神父が訪ねて行ったところで、邪険にされることもあるだろうなとは予想していた。

 しかし、ここまで訪ねたみなさんは僕の訪問を好意的に受け入れてくださっていたため、すっかりガードが緩んでいた。インターホンを鳴らし、「教会の神父です。夕方にすみません、ご挨拶に参りました」と言うと、しばらくして玄関がガラッと開き強面の男性が開口一番「ウチはもうキリスト教はやめたんじゃ。もう二度と来ないでくれ!」と言い放ち、ピシャリとドアを閉められた。一言も言葉を交わすことが出来ず、持参した挨拶文や連絡先も手に持ったまま、その衝撃に僕の身体も意識も硬直し、玄関の前でフリーズした。ここで引き下がるわけにいかないという思いと、理由は分からないが教会に対して強い拒否反応を示されているわけだから、これ以上踏み込むべきではないという思いの間で僕は迷っていた。しかし、それでは「教会に来て欲しい」という思いではじめたこのお宅訪問も、本末転倒になってしまう。けれど、結局このときは僕は帰るほうを選んだ。あれ以上、何か言われたら心が折れてしまいそうだった。こんなに怒鳴られるものなのか……家庭訪問なんてしなければとさえ思ってしまった。今考えると情けないな、と思う。数日間訪問を続け、たしかな手応えが得られたとは言い難く、自分の要領の悪さに辟易としていたので、この出来事を思ったよりもネガティブに捉えてしまった。翌日もなんとか続け、100軒のお宅を回り終えた。

 一年前のお宅訪問がきっかけで、教会に再び来るようになった信者さんは今のところいない。現実はそんなものだ。ただ、現在来てくださっているご高齢の信者さんが「自分がこの先教会に来れなくなっても、神父さんが家まで来てくれるので安心です」と言ってくださったことは、やって良かったと思えたことの一つだ。その信者さんには「すぐ行くので、安心してくださいね」とお答えした。

 また、本当に遠いところから教会に来てくださっている信者さんがいると知ることが出来た。最も遠くから足を運んでくださっているのは、以前にも連載に書いたが、電車とバスを乗り継いではるばる2時間半かけて来られる85歳の信者さんだ。僕は、その方の信仰に見合った働きが出来ているだろうか。その方に、「今日もミサに来れて良かった」と言ってもらえるミサが出来ているか。僕たちの教会は、来れて良かったと思ってもらえる教会であるのか。そういった自分自身の神父としてのあり方や、教会のあり方を見つめるための視座をいただいたように思う。

 そのことを思い出すためにも、お宅訪問はやめられないと思っている。去年やってみて「毎年一度は家庭訪問しよう」と決めたのに、コロナウイルスのため今年はあえなく断念することになった。ご高齢の方の多い教会なので、ここは致し方ない。本当はクリスマス前に、僕が自前で作ったクリスマスカードを配って回れたらいい感じなのにと考えていたのだが、それは来年以降にお預けになりそうだ。

 来週はいよいよクリスマス。昨年も書いたが、神は私たちに直接話したり、触れたりするため、つまり自らの愛に気づいてもらうためにイエスキリストを馬小屋で誕生させた。それは、遠い昔の話ではない。今年も、あなたのうちに確かに起こる出来事だ。大好きなあの聖なる夜に、すこしでもみなさんの心が暖かくなるように願っている。

素描家 shushunさんに依頼して作成した、クリスマスカードのイラストです。カードは直接出会った方にだけお渡ししている超限定のものなのですが、読者の皆さんにはこちらでおすそわけです。英文が隠れているので探してみて下さいね。

 

 

(第29回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年12月30日(水)掲載予定