亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.5.31

01はじめに【安田登『見えないものを探す旅——旅と能と古典』】

 


能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』発売!


6月2日(水)発売、税込み 1650円

いつもの風景が、その姿を変える。
単なる偶然、でも、それは意味ある偶然かもしれない。

世界各地へ出かけ、また漱石『夢十夜』や三島『豊饒の海』、芭蕉など文学の世界を逍遥し、死者と生者が交わる地平、場所に隠された意味を探し求める。
——能楽師・安田登が時空を超える精神の旅へといざなう。

 

 


はじめに

 旅が好きです。
 学生時代は、高尾山から富士山までを何度も歩いて往復しました。そのまま足を伸ばして関西まで歩いたこともあります。故郷、銚子(千葉県)へも、東京から歩いて帰省しました。
 中国やチベットを放浪していたときは、大きな都市と都市との移動は列車やバスを使いましたが、隣の町までは歩いて移動しました。
 引きこもりの人たちと、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の跡を追って、深川(東京)から平泉まで歩きました。芭蕉が歩いた出羽三山も歩きましたし、マタギの人と白神山地を歩いたりもしました。
 私が好きなのは旅です。交通機関を使って点と点とを結ぶ「旅行」よりも、道を塗りつぶすようにして、たらたら、たらたら歩く「旅」が好きなのです。旅はその途中で「なにか」と出会うからです。
 それは、ふつうには目には見えない「なにか」です。見えないなにかを探したり、見えないなにかを見たりするのが好きなのです。
「見えないものを探すとか、見えないものを見るなんてできるわけないじゃないか」と言う人がいます。むろん、その「なにか」は(正確にいえば)見えないわけではないし、ないわけでもありません。ただ、ふつうには見えない。見えるということが共有されない「なにか」です。
 私たちには、「見えないもの」を見る力が備わっています。「目」を使わないでものを見る力です。
 そのひとつが「夢」です。夢を見るとき、人は器官としての目を使いません。夢を「見た」ということは他者に証明することはできませんし、見た夢を共有することもできません。それでもその人が「夢を見た」ということを疑う人はいません。夢は、「目には見えない」ものでも、確かに「見る」ことができるものがあるということを私たちに教えてくれます。
 感覚器官を使わずにものを見るときには、肉体の器官という制限がない分、より自由に見ることができるし、ある意味、本質を見ることができたりもします。だからこそ、古来、夢は重視されてきました。
 また、器官としての目が活動しているときでも、それに重なるように見えないなにかを「見る」ことができる人がいます。現代では、そういう人を病気だと言ったり、そのように見えるものを幻影だとか妄想だとか言ったりします。しかし、ある種の薬物の刺激を使うと誰にも見えることはよく知られています。
 いや、薬物など使わなくても、私たち日本人はそれが得意でした。
 算盤(そろばん)の暗算を子どもの頃に習った人ならば、空中にヴァーチャル算盤を出現させ、そこで計算をするという能力が身に付いているでしょう。空中の算盤に玉を置き、計算結果も空中の算盤を見て答えます。障子の桟(さん)などがあるとよりやりやすい。
 私はこれを「脳内AR(拡張現実)」と呼んでいます。
 日本人は脳内ARを使うことが得意なのです。ですから中国から入って来た庭園は、日本では枯山水(かれさんすい)になりました。また、能楽の舞台に大道具や小道具を出さないのもそれです。できるだけ背景をシンプルにすることによって、脳内ARを発動しやすくしているのです。
 私の好きな旅は、脳内ARを発動させる旅です。ポケモンGOを持たずとも、現実の景色に詩的な情景を重ねる。それが見えないものを探す旅です。

 本書は、『DEN~芸能を闊歩する~』という雑誌の連載をもとに編んだものです。『DEN』の創刊は一九九九年。二〇〇九年に休刊宣言をするまでの十年間、五十号続いた雑誌です。
 友人が本雑誌の中の私の文章を見つけ、「面白い」と言ってくれました。
 読み直してみると、二十年以上も前から「見えないものを探し続けていたんだな」と思いました。そして、いま私が話していることのほとんどがここに尽くされています。
 元はテーマも決めずに、そのとき、その場で思ったことを書いたものですが、本書では、テーマ別に並び替えてみました。
 文章にはできるだけ手を加えずに載せましたが、能の用語に関しては説明を一部加えました。
 どうぞお楽しみください。

(はじめに・完)

《安田登『見えないものを探す旅』試し読み》
 敦盛と義経➡
待ちゐたり➡
あとがき➡

 


能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』

6月2日(水)発売、税込み1650円

【もくじ】
■ はじめに
■ 旅

 敦盛と義経
奄美
チベットで聴いた「とうとうたらり」
復讐の隠喩
人待つ男
孤独であることの勇気
ベトナムは美しい
生命の木


■ 夢と鬼神——夏目漱石と三島由紀夫

『夢十夜』
待ちゐたり
太虚の鬼神——『豊饒の海』


■ 神々の非在——古事記と松尾芭蕉

笑う神々——能『絵馬』と『古事記』
謡に似たる旅寝
非在の蛙


■ 能の中の中国

西暦二千年の大掃除 
時を摑む
麻雀に隠れた鶴亀
超自然力「誠」
神話が死んで「同」が生まれる


■ 日常の向こう側

心のあばら屋が見えてくる
レレレのおじさんが消えた日
掃除と大祓
死者は永遠からやってくる


■あとがき