亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2022.9.21

44『戦争とバスタオル』韓国語版への序文

 

2021年9月の刊行以来、各種メディアで話題を集めた
『戦争とバスタオル』が今年8月、韓国でも出版されました。



韓国では刊行直後から新聞各紙で書評をはじめ
さまざまなメディアで取り上げられ、注目の書となっています。



〈韓国の書店の様子。目立つ位置に『戦争とバスタオル』が!〉

 


【特別公開】
安田浩一さん、金井真紀さんが
韓国語版のために書き下ろした序文の日本語訳を、
全文ご紹介いたします。

 


* * *

 

『戦争とバスタオル』韓国語版への序文




韓国語版に寄せて

安田 浩一




韓国のみなさま、こんにちは。
 この本を韓国語でお届けできること、私はとても嬉しく思っています。
 みなさんもきっと、お風呂や温泉が大好きですよね? 本書を手に取ってくれたのですから、そうであると信じています。
 私は仕事や遊びで何度も韓国に出かけていますが、滞在中、大きなお風呂のある場所を見つけたら、素通りすることができません。
 チムジルバンでゆっくり汗を流します。裏通りの沐浴湯に飛び込むこともあります。温陽や儒城など郊外の有名温泉地に足を運んだこともありますし、本書では東萊や海雲台の温泉にも触れています。
 いいですよね、お湯に浸かっている時間。
 毎日、嫌なことばかりですし、生きていることじたいがしんどいし、いつも何かに追われて、いつも何かから逃げてばかりいるし、うつむいていることばかりが多いような人生ですが、それでもお風呂に入っているときだけは、すべてを忘れることができます。失敗も、後悔も、小さな秘密も、小さな悪事も、大きな不安も。とりあえず洗い流す。その瞬間だけ、私は解き放たれます。
 だから私はお風呂に通います。
 でも――本書はお風呂や温泉のガイドブックではありません。そうした内容を期待されていた方がいらしたら、本当にごめんなさい。私と共著者の金井真紀さんが書きたかったのは、浴槽の形状や湯の温度ではなくて、戦争や権力によって翻弄された人と土地の物語です。
 さて、本題に入る前に、少し寄り道させてください。
 私はこんなにお風呂や温泉が好きなのに、これまで、それらに関した本を書いたことはありませんでした。私がこれまで書いてきたのは、日本国内で搾取される外国人労働者の話や人種差別のことばかりです。
 私は理不尽な差別や偏見が大嫌いです。人種や民族、国籍や性別といった属性だけで人を判断し、見下し、都合の良いときだけ利用しようとする人や社会が許せません。
 ですから、そうした社会を少しでも変えたいと思っていますが、残念ながら私にはそんな力はありません。ただし、ひとりのジャーナリストとして、社会に生きるひとりの人間として、抵抗は続けています。抵抗することで、あるいは差別の現場を伝えることで、わずかであっても、社会が動くことを願っています。そんな思いで本を書き続けてきました。
 もちろん簡単なことではありません。社会を「変える」どころか、「動かす」ことだって難しい。
 今世紀に入ってから、日本社会ではヘイトスピーチが各所であふれるようになりました。路上で、ネットで、あるいは書物やテレビのなかで、他者への憎悪を煽り立てる言葉が飛び交っています。
 ヘイトスピーチは単なる罵声ではありません。言論の一形態でもありません。憎悪と悪意を持って、ときにデマも交えながら差別と排除を扇動し、人間と社会を徹底的に傷つけるものです。言論ではなく迫害です。言葉の暴力というよりも、暴力そのものです。人間の心にナイフを突き立て、深く抉るような行為と同じです。だって、差別は人を殺しますから。実際に、日本で、世界各地で、差別は殺戮と戦争を引き起こしています。
 私は差別によって人間が傷つく姿を見たくはないし、傷つけている人の姿を見たくもありません。これ以上、社会が壊れていく様も見たくない。
 もう、うんざりなんです。
 そんな気持ちを共有してくれたのが、共著者の金井さんでした。
 6年ほど前のことです。中学生や高校生にも、差別の弊害を理解してもらえるような本をつくりたいと考える出版社に声をかけてもらい、私は『学校では教えてくれない差別と排除の歴史』(皓星社)という本を出しました。そのとき、本に収めるイラストを担当してくれたのが金井さんです。初めてお会いした金井さんは、味わい深い絵を描くイラストレーターというだけではなく、「社会の多様性」をテーマに国内外で取材を続け、読み応えのある本を書いている文筆家でもありました。
 私たちは、互いにうんざりしていました。いまの日本社会に。差別と偏見と排除の思想がまん延するこの日本に。だからこそ、抵抗の姿勢だけは貫いていきたいよね、という話をしたのです。
 そしてもうひとつ、私たち結びつけるものがありました。
 お風呂です。
 金井さんは自宅近くの銭湯巡りを趣味としていました。これは本書でも少しばかり触れていますが、私は何かから逃げるためにお風呂に入りますが、金井さんはお風呂屋さんで人間観察をするため、そして活力を得るためにタオルを持って出かけます。私とはまるで違う入浴の動機なのですが、それでも風呂好きであることは共通しています。意気投合したのは言うまでもありません。すぐに「銭湯友だち」になりました。
 そして、もううんざりだと居酒屋で風呂後のビールを飲んで悪態をつきながら、この本の構想を練りました。大好きなお風呂を通して、日本社会のダメさ加減を映し出す。そんな本をつくろうと私たちは誓いました。
 ほんのわずかでもいい。社会の矛盾に憤り、負の歴史をもきちんと見据え、私たちに共感してくれる人がひとりでも増えてくれたら。
 そんな思いで、私と金井さんは風呂巡りの旅に出たのです。
 さて、どうでしょう。思惑通りに進んだのか、当初の思いがきちんと描かれているのか、私にはまだよくわかりません。あとはみなさまの評価に預けたいと思います。
 ただ、本書のどこかで韓国のみなさまと「共振」してもらえる部分はあるのではないかと思っています。
 本書では韓国での体験も描かれていますが、他にもタイ、日本各地のお風呂を通して、社会の問題点に迫っています。
 どうぞ、ページをめくってください。
 お風呂大国・韓国のみなさまと一緒に、風呂巡りの旅をしたいと思います。

 

* * *


 


韓国の読者のみなさまへ

金井真紀

 

 

 この5年間でいちばん泣いたのは、猫がのっそりとあの世に旅立ったとき。ではなく、おそらく安田浩一さんにソウルの西大門刑務所跡に連れて行ってもらった日の夜だと思う。ホテル近くの市場でマッコリを飲んでいるうちに、わたしは始末におえない泣き上戸と化し、おいおいと泣き続けた。夜の市場は薄暗く、泣いているわたしに注意を払う人はいなかった、と思う。でもさすがに安田さんはギョッとして「どうしたの」と言った。
 そのときも今も、泣いた理由をうまく説明することができない。非道な植民地支配に抵抗した勇敢な人たちが拷問されて、獄死してしまった。その「取り返しのつかなさ」は、どんなに嘆いてもやっぱり取り返しがつかないのだ。どうしたらいいんだ、どうしようもない、と言ってわたしは泣いた。
 安田さんは突如出現した妖怪泣き上戸にオロオロし、「そうだよな、日本人はひどいことをしたよな、金井さんが泣きたくなる気持ちはよくわかるよ」と一生懸命うなずいてくれた。でも安田さんが優しければ優しいほど、わたしはますます落ち込んだ。
 西大門刑務所の資料室で見た、たくさんの顔写真。若い人もいた、女性もいた。どんなに痛かっただろう。もう一度会いたい人がいただろう。だが誰に慰められることもなく、冷たい床で冷たい死体になったのだ。いま自分は酔っ払って、泣いて、安田さんに慰めてもらって、まったくいい気なもんだ。
 あまりにもダラダラ泣き続けたせいで、翌日は目が腫れて、頭が痛かった。あの夜の醜態が安田さんの記憶から消えつつあることを願う(と言いながら、こんなところに書いてしまった)。

 
 最近はすっかり涙もろいわたしだが、子どもの頃は人前で泣くのが恥ずかしかった。
 わたしが初めて泣いた映画は『ビルマの竪琴』(85年公開、市川崑監督)だ。ビルマで敗戦を迎えた日本兵・水島が、戦死した同胞を弔うために現地に残って僧侶になるというストーリー。水島と戦友たちとの別れのシーン、わたしは涙がこらえきれず、でも家族に泣き顔を見られるのが照れくさく、トイレに駆け込んだことを覚えている。しばらくは劇中で水島が奏でた「埴生の宿」のメロディを思い出すだけで、鼻の奥がツーンとしたものだ。
 当時、一族でいちばんの泣き虫はおばあちゃんだった。
 夏休みを祖父母の家で過ごすとき、いつもテレビから高校野球中継が流れていた。815日の正午、球児たちはプレーを止める。ピッチャーはピッチャーマウンドで、野手はそれぞれの守備位置で、帽子をとって姿勢を正す。ベンチも応援席も静まり返ったところに、
 ウウウー……
 サイレンが鳴り響き、球場全体が戦没者への黙祷を捧げる。その瞬間、祖母はテレビの前で必ず泣いた。
「おばあちゃん、なんで泣くの?」
「なんでだろ、わからないけど泣いちゃうの」
 涙をポロポロこぼしながら、祖母ははにかんだ。
 祖母の兄・健三さんは特攻隊員だった。出撃が決まり遺書を書いたが、飛び立つ直前に終戦となり、ギリギリで死を免れた。その話をするときも祖母は100パーセント泣いた。横で、ピンピン生きている健三おじさんが「あんたは泣き虫やな」と笑う。それが仲のいい兄妹のお決まりの会話だった。


 わたしが子どもだった1980年代、太平洋戦争の話はいまよりずっと身近だった。まわりに戦争体験者がたくさんいたし、泣ける物語の定番は「かわいそうなぞう」であり「火垂るの墓」だった。でも、少なくともわたしは、加害の歴史に目を向ける機会を持たなかった。
 わたしは日本兵・水島の心情に涙したが、国土を蹂躙されたビルマの人の理不尽さなんか、考えもしなかった。ビルマに向けて敷設された泰緬鉄道で死んでいったロームシャや捕虜たちのことも、その捕虜の監視役を担わされてBC級戦犯になった朝鮮半島出身者がいたことも、ちっとも知らなかった。「水島さん、あなたが慰霊するべき相手は戦死した日本兵だけじゃないでしょう」といまなら思う。
 8月15日を光復節と呼び、うちの祖母とは異なる思いでその日を迎える人たちがいることを教えてくれる人もいなかった。沖縄では戦争終結の日が9月7日であることも。「戦争はよくない」「特攻隊員はかわいそう」「原爆は二度と使ってはいけない」など、子どもだった自分が思っていたことは決して間違ってはいない。でもほんとうに知るべきことをわたしはなにも知らなかった。


 西大門刑務所跡を一緒に見学してから、わたしと安田さんは顔を合わせるたびに「一緒に本が作りたいですね」と話すようになった。だけど、骨太な社会派ジャーナリストの安田さんと、のんきな絵と文でこの世の断片を描き留めるわたしの仕事が交差するものだろうか? 迷いながらタイ、沖縄、韓国……と旅を続けて、ついに『戦争とバスタオル』は完成した。
 このたび韓国語に翻訳され、韓国のみなさんにお届けできるなんて夢のよう。わたしたちがお風呂の旅で出会った人や風景を、ともに味わっていただけたらうれしい。

 

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