《推薦》
もがいて見つけたものを私は信じる。
それが世の感覚からズレていたとしても
――こだまさん
一読、自分へのこだわりが半減し愛が倍になった。
幸せとはこれか!と膝を打ちました。
――吉村萬壱さん
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佐々木ののか
『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』
愛
二十代で頑張ったことは何かと訊かれたら、大変恥ずかしながら恋愛と答えるほかない。それも相手との関係を育てていく穏やかなものでも、婚活のように目標を定めて努力するようなものでもなく、成就しないと自分でもわかっている破滅の恋に、頭から身を投じてきた。
仕事に打ち込んだり、地道にお金を貯めたりしてきた人がいる中で、あまりこういう言い方はしたくはないが、いい大人が恋に狂うなんてどう言い訳しようとも恥ずかしく、褒められたものではないと自分自身に対して思う。今となっては、好きな人を神様のように崇め奉り、早朝深夜問わず呼ばれれば会いに行き、訪ねてこられればドアを開け、金も身体も命も賭す覚悟でのめりこんでいた頃の心境がわからない。けれど、恋とは何かを考えたとき、過去を、過去の自分を抱き寄せてやれる気がする。
恋とは、一体なんだろうか。
橋本治さんは『恋愛論 完全版』(文庫ぎんが堂)の中で、「他人に好かれたいってことで悩んでるのって、そういう自分が好きになれないからなんだよ。自分が好きになれないから、それを他人に代行させようっていうズルが〝恋愛〟なんだよ」と話している。つまり、「愛されたい」が先行する恋とは、自分を愛で満たしたいがために、他人の人生に分け入っていって暴れまくる身勝手な行為にほかならない。やはり未熟で恥ずかしいとは思うけれども、かといって無駄だった、すべきではなかったとまで切り捨てられない。私には愛が欠けていた。だから、死に物狂いで恋にのめりこんだ。そのやり方は大いに間違っていたけれど、わけがわからないなりに、愛を摑もうとしていた自分のことは抱きしめてやりたい。そのおかげで、今の私がある。
破滅の恋とは、自分に愛を充塡したいがために他人を巻き込んだ七転八倒の軌跡であって、自他ともに傷つくし、とても生産的とは言えないものだけれど、撫でてやりつつ反省することはあっても揶揄したり切り捨てたりするものではないのだ。
私はもう今後の人生で、昔のように無我夢中で人を好きになることはないだろうと思う。それは傷ついたからではなく、満たされていて、他人が自分の人生に入り込んでくる余白がない感覚だ。私はもう自分で自分を愛せてしまった。愛はすでに私の中にある。誰にも愛されなくても、自分より外側の人間を昔のようには愛する理由がない。今の私には恋が必要なくなったのだ。
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哲学者の山内志朗さんは、『子どもの難問 哲学者の先生、教えて下さい!』(野矢茂樹編/中央公論新社)の中で「好きになること」をこのように定義している。
好きになることは、他者から与えられた規範性や価値に受動的に従うのではなく、自分で価値を定めることだし、自分の世界を作り、世界に自分だけのくさびを打ち込むことだ。
好きになることは、自分の世界を作り、そこにデビューすることなのだ。
私は自分で自分の価値を定められるようになった。自分のくさびを打ち込んで、そこを起点に世界を紡ぎだせるようになった。三十を過ぎてようやくの、自分の世界へのデビューである。スタートが遅かったのだ。怯まずに新しいことをどんどんやってみたい。自分を愛で満たしたいという必要性からではないかたちで、他人を愛することができるのだとしたら、そんなこともしてみたい。
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佐々木ののか さん × 牟田都子 さん
4月9日(土)15時~16時20分 《アーカイブ配信あり》
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佐々木ののか さん × 安達茉莉子 さん
4月16日(土)15時~16時20分《アーカイブ配信あり》
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