能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』
いつもの風景が、その姿を変える。
単なる偶然、でも、それは意味ある偶然かもしれない。
世界各地へ出かけ、また漱石『夢十夜』や三島『豊饒の海』、芭蕉など文学の世界を逍遥し、死者と生者が交わる地平、場所に隠された意味を探し求める。
——能楽師・安田登が時空を超える精神の旅へといざなう。
あとがき
本書の文章を連載していた『DEN~芸能を闊歩(かっぽ)する~』は、古典芸能である能楽の話題を中心に載せた雑誌でしたが、その執筆者を彩るのは世界免疫学会の会長をつとめられた多田富雄先生(故人)をはじめ、さまざまな文化人、芸術家の方々で、編集人として名前を連ねていたのも、多田先生や児玉信氏、森田拾史郎氏、野村利晴氏と能楽に詳しい人ならば誰でもその名を知っているという豪華面々。
また、雑誌のサブタイトルに「芸能を闊歩する」と謳うたうように、その内容は能楽に限定することなく多岐に及び、いわゆる「能の雑誌」とは一線を画していました。
私もその末席を汚し「血ワキ肉マウ」という連載を五十回いたしました。
「連載」というものをはじめてしたのも、この雑誌でした。それまでは漢和辞典の執筆に携わったり、ペンネームで3DCGの本を書いたりしたことはありましたが、能について書こうと思ったことは一度もありませんでした。ましてや連載など、文筆家ではない私ができることではないと思っていました。
連載を引き受けることになったのは、多田富雄先生と本雑誌の実質的な編集者である渡辺紀子さん、竹下敏之さんに勧められたことがきっかけでした。
多田先生は、東京大学医学部名誉教授というバリバリ理系の方でありながら、能の鼓を打ち、新作能も多く書かれるという近年にはなかなかないリベラル・アーツを体現する文化人でした。
多田先生と親しくさせていただくきっかけになったのは、脳死をテーマにした先生の新作能『無明の井』で、アメリカの数都市を回るという公演でした。私はその新作能にワキとして同行しましたが、その数年前に東京法規出版から(これもペンネームで)エイズの本を二冊出していました。旅の途中でそのお話をしたところ、先生のご専門である免疫学にも通じると喜んで下さり、公演中に先生がプライベートで行かれたアメリカの医学者の方たちとのパーティにも同席させていただき、いろ
いろなお話をしました。それがきっかけで多田先生から連載のお話をいただいたのです。
また、編集者である渡辺紀子さん、竹下敏之さんとは一九九一年にハワイ島であった「皆既日蝕に捧げるイベント」で知り合いました。このイベントは、観客はゼロ。ただただ日蝕にのみ捧げるイベントとして企画されました。企画したのは(株)グリオグルーヴ代表で日本の3DCG業界の黎れい明めい期から活躍してきた坂本雅司さんと、韓国音楽プロデューサーの康貞子さん。
イベントには能楽界からも何人かが参加しましたが、メインは韓国のダンサー、洪信子(ホン シンジャ)さん。その他にドイツのボイス・パフォーマー、ニューヨークの書家などさまざまな分野の人たちがいました。今でこそ能楽界でも他分野とのコラボレーションもよくされるようになっていますが、当時は「そんなもの、まともな能楽師のすることでない」という目で見られていました。ましてや若造の私などが参加したら師匠や能楽界から何を言われるかわからない。
それなのに参加できたのは、その数年前、それまでの人生で最大の危機(これから先はまだわかりませんが)があり、能から離れていたからです。
能から離れていただけはありません。死地を求めて放浪したりもしていました。生きることがどうでもよくなっていた頃でした。すでに能楽師としての人生はあきらめていましたし、人から何かを言われるくらいのことは大したことではなくなっていました。だからといってイベント自体にも大した意味を感じていませんでした。
しかし、このイベントへの参加がきっかけで人生が変わりました。
そのことについて書くには「あとがき」という場所は適切ではないし、正直自分でも何が起こったのかはよくわからないので、ここでは詳述しませんが、少なくとも再び生きていこうと思ったのもこれがきっかけでしたし、お酒が飲めなくなったのもこれがきっかけ。能だけではなくさまざまなことをしていこうと決めたのも、インターネットやテクノロジーと親しむようになったのもこれがきっかけでした。
やがて能の世界に戻り、再び舞台を勤めるようになりましたが、その数年後にその時に知り合った渡辺、竹下両氏から連載のお話をいただきました。以前でしたら「私などが能のことを書くなんておこがましい」と断っていましたが、このイベントがきっかけでいろいろ吹っ切れていたので、多田先生からのお勧めもあり、お引き受けいたしました。
予想通り、連載中にも、いろいろ言う人がいて、直接、間接に耳に入りました。しかし、言われれば言われるほど燃えるようになったのも、このイベントのおかげだと思っています。
私にとってこの連載は、一度捨てた人生を取り戻すための求道のようないとなみだったと、いま読み返してそう感じます。
自分でも忘れていたこの原稿に目をとめ、書籍として世に出していただける亜紀書房の内藤寛さんに感謝いたします。
二〇二一年五月
安田 登
(あとがき・完)
《安田登『見えないものを探す旅』試し読み》
はじめに➡
敦盛と義経➡
待ちゐたり➡
能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』
【もくじ】
■ はじめに
■ 旅
敦盛と義経
奄美
チベットで聴いた「とうとうたらり」
復讐の隠喩
人待つ男
孤独であることの勇気
ベトナムは美しい
生命の木
■ 夢と鬼神——夏目漱石と三島由紀夫
『夢十夜』
待ちゐたり
太虚の鬼神——『豊饒の海』
■ 神々の非在——古事記と松尾芭蕉
笑う神々——能『絵馬』と『古事記』
謡に似たる旅寝
非在の蛙
■ 能の中の中国
西暦二千年の大掃除
時を摑む
麻雀に隠れた鶴亀
超自然力「誠」
神話が死んで「同」が生まれる
■ 日常の向こう側
心のあばら屋が見えてくる
レレレのおじさんが消えた日
掃除と大祓
死者は永遠からやってくる
■あとがき