亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.9.1

10安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』——日本最南端の 「ユーフルヤー」2

 


タイ、沖縄、韓国、寒川(神奈川)、大久野島(広島)――
あの戦争で「加害」と「被害」の交差点となった温泉や銭湯を
各地に訪ねた二人旅。



安田 浩一・金井 真紀

『戦争とバスタオル』

税込 1870円

ジャングルのせせらぎ露天風呂にお寺の寸胴風呂、沖縄最後の銭湯にチムジルバンや無人島の大浴場……。
至福の時間が流れる癒しのむこう側には、しかし、かつて日本が遺した戦争の爪痕と多くの人が苦しんだ過酷な歴史が横たわっていた。

嗚呼、風呂をたずねて四千里――風呂から覗いた近現代史

 

 

日本最南端の 「ユーフルヤー」2

 

基地建設と自家中毒

 黄昏は、まだ空から降りていなかった。
 傾きかけた初夏の陽が、細長い影を地面に映す。風呂に入るならば、こんな時間帯がいい。
「中乃湯」の暖簾が、沈んだ気持ちを高揚させた。
 金井さんに続けて、一応私も言及しておきたい。私もまた、ここに到着するまで少しばかりの「もやもや」を抱えていた。沖縄に集中する米軍基地の問題を取材してから、ここにたどり着いた。辺野古で沖縄角力の取材を終えたばかりの金井さんと合流し、車中で重苦しい時間を過ごした。
 金井さんが悪いわけではない。新基地建設に反対する人々がいて、一方には容認する人たちもいる。その現実に関して議論するなかで、消化の悪いものを無理やり胃袋に詰め込んだような気持ちになっていた。ある種の自家中毒を起こしていた。
 結局、基地建設で揺れる「地元」に負担を強いているのは、私たちじゃないか、といった思いがますます強くなる。安全保障だ、国益だと言いながら、この小さな島に在日米軍専用施設の7割を押しつけているのが「日本」なのだ。好んで対立や分断を選ぶ者などいるわけがない。沖縄が手招きして基地を呼び込んだわけでもない。持ち込んだのは「日本」だ。だから私も金井さんも「当事者」として突きつけられた問題を目の当たりにし、小さな動揺を引きずっていた。

 

「ゆんたく」の花咲く中乃湯

 とはいえ、風呂だ。銭湯だ。まずは今日の疲労を洗い流そう。現実と格闘する日は連続するのだ。ああ、湯船に浸かりたい。
 私はタオルを首にかけて番台へ——。ん? 番台がない。いや、正確に表現すれば、普段見慣れた番台がどこにもない。一般的に番台といえば銭湯の入り口、男女の入浴客を隔てる形で設けられている。ところが中乃湯で目に飛び込んできたのは、映画館の切符売り場のような小窓付きのフロントである。ここで入浴料を支払うようなのだが、主(あるじ)の姿はそこにない。
 入浴料は入り口脇のベンチに腰掛けているシゲさんに支払う。それが中乃湯の作法だった。
 常連客を見ていると、なかなかに興味深い。シゲさんと挨拶を交わし、一緒にベンチに腰をかけ、ときに持ち寄った菓子や茶を飲みながら談笑し、それから浴室へと向かう人が少なくないのだ。物語は風呂に入る前からはじまっている。中乃湯の入り口では「ゆんたく」(沖縄の方言で、おしゃべりのこと)の花が咲いている。
「いつもこんな感じ」
 とシゲさんが笑う。
 この日も常連客のひとりが茶菓子を「ほれ」とシゲさんに手渡すと、それはあっという間にベンチに腰かけている人全員の手に渡った。これから風呂に入る人も、風呂からあがったばかりの人も、男も女も、常連も一見の旅行者も、尽きることのない四方山話(よもやまばなし)で盛り上がる。
 みんな楽しそうだ。風呂に来たのか、ゆんたくしにきたのか。たぶん、そのふたつがセットになっているのだ。「最近体の調子が悪い」と誰かが訴え、「無理をするな」と誰かが応じ、「そういえば」とまるで関係のない話題がそれに続く。ゆるくて、あたたかくて、優しい時間が流れている。
「それが楽しいんだよ」と、やはり常連のおばあさんが、とびきりの笑顔で話してくれた。

 


仕切りがない!

 では、いよいよ風呂だ。前述した「フロント」を左に行けば男湯、右が女湯である。奥に進み、ドアを開けると、そこが脱衣所だった。
 おお。思わず感嘆の声をあげてしまった。
 そう、脱衣所。ロッカーが並ぶ脱衣所なのだが、何かがちがう。通いなれた銭湯の風景とはちがって見える。わかった、浴室との仕切りがない! 脱衣所と浴室を隔てるものは何もなく、まさに地続き、風景が突き抜けている。後でシゲさんに聞いたところ、これが「沖縄スタイル」なのだそう。
 本来、ガラス戸などの間仕切りは浴室内に外気が入らぬよう、保温を目的としているのだが、年間を通して暖かい沖縄には不要。仕切りを設けてしまえば、むしろ浴室内に湿気がこもってしまうのだという。だから開けっぴろげ、いや、開放的。服を脱いで浴室まで、文字どおりに「直行」だ。
 浴室の中央には楕円形の浴槽がひとつ。その両脇が洗い場だ。室内はなんの飾り気もないが、その簡素さが、ここではかえって心を弾ませる。淀みなく澄んだ沖縄の空を連想させるのだ。
 そして、浴室内でも「沖縄スタイル」を発見した。
 一般的な銭湯では、湯と水、ふたつのカランが備わっている。しかし、ここではそれぞれの蛇口がホースでひとつにつながれ、湯水が〝合流〟して出てくる仕組みとなっている。ふたつの蛇口をひねり、ホースの先端から注がれる湯の温度を確認してから、ざっと体を洗い流す。
 そしていよいよ〝主役〟に向かう。タイル張りの浴槽にそっと足を入れた。うん、熱すぎず、ぬるすぎず。初夏の沖縄にふさわしい温かさだった。
 ゆっくり体を沈めると、とろりとした感触に包まれた。じつは、温泉なのである。正確には弱アルカリ性の鉱泉。地下350メートルから汲み上げた鉱泉は、わずかにぬめりがあって、肌にしっかり吸収される。
 シゲさんによると、初めて中乃湯を訪ねた客から、
「いくら洗っても石鹸が落ちない」
 と〝苦情〟を伝えられたこともあったという。肌にからみついた〝ぬめり〟を、石鹸の残りだと勘違いしたのだ。
 たしかに、そう言いたくなるほどに肌はつるつる。ぬめぬめ。まさか沖縄で、こんな温泉気分を味わうことができるとは思わなかった。

 

体をぬくもりで包む魔法の言葉

 このとき、浴槽内には先客がひとりいた。浦添市から来た68歳の男性。「ふだんは家でざっとシャワーを浴びるだけなんだが、たまに大きな風呂にのんびり浸かりたくなる」
 そう言いながら「はあ」と脱力したように大きく息を吐き、「気持ちいいさ」と繰り返した。若いころは「内地」でトラックの運転手をしていたという。大型トラックで各地を回りながら、温泉やサウナで疲れを癒す習慣がついた。
「ユーフルヤーに来ると、ほっとする」
 彼は恍惚の表情でそう言った。
 ちなみに沖縄では銭湯のことを「ユーフルヤー」という。どうやら「湯屋」が語源となっているらしい。いい響きだ。ユーフルヤー。やわらかくて、やさしくて、まるで中乃湯で湧く鉱泉のようだ。私も湯舟の中で小さくつぶやく。「ユーフルヤー」。何かの呪文みたい。言葉は湯気と一緒に揮発することなく浴室内を漂う。体がぬくもりで包まれる。きっと、人を幸せな気持ちにさせる魔法の言葉なんだ。

 

沖縄唯一の銭湯となるまで

 ところで今回、なぜ私たちは中乃湯に向かったのか。
 沖縄唯一のユーフルヤー。それが理由である。いま、沖縄に存在するユーフルヤーは中乃湯ただ一軒なのだ。
 暑い沖縄には、もともと風呂に浸かる習慣がない─県内に住む私の若い友人はそう断言していたが、調べてみれば、けっしてそんなことはない。私たちは事前に資料を集め、さらに沖縄市役所の市史編纂室に出向いて話を聞いた。その結果、沖縄も少し前まではじゅうぶんに「風呂文化」が根づいていたことがわかった。
 沖縄に初めてユーフルヤーができたのは17世紀の終わりごろだと言われる。そのころ、那覇市内の西側、真教寺のあたりが「湯屋」という地名で呼ばれており、文字どおり銭湯を意味する「湯屋」が建ち並んでいたことが記録に残っている。ただし沖縄社会全般で風呂に入ることが習慣化されていたわけではなく、ユーフルヤーはあくまでも上流階級に属する人々の利用に限られていた。多くの人は「本土」と同様、川や井戸、あるいは沖縄ではムクイと呼ばれる池で水浴びすることがほとんどだった。
 徐々に増えだしたのは明治期以降である。各地にユーフルヤーがつくられるようになる。沖縄戦で焼失したユーフルヤーも多かったが、終戦後、収容所から多くの人が各地に帰郷し、戦後復興とともに息を吹き返した。
 全盛期は1960年代初期である。沖縄県内にはじつに311軒ものユーフルヤーがあった。
 しかし70年代には衰退の時代がやってくる。
 これは「本土」における銭湯の衰退と同じ理由によるものだ。
 住宅事情の近代化にともない、家庭用風呂の普及が急速に進んだ。さらにオイルショック(1973年)を契機に重油の価格が上昇し、浴場を生業とするには割高なコストが強いられるようになった。「本土」でも沖縄でも、銭湯の数が減少していく。とくに沖縄は水不足、水源不足といった環境も、衰退に拍車をかけたと言われる。
 80年代後半、沖縄のユーフルヤーは50軒を割った。
 その後も衰退を止めることはできず、那覇では2014年に最後の1軒となった「日の出湯」が閉店。その時点で沖縄県内に残るユーフルヤーは中乃湯1軒のみとなったのである。当然、経営は苦しい。370円の入浴料で、一日の客数は多くて20人ほどなのだから、正直、経営が続いていることだけでも奇跡だ。
 でも、シゲさんは、
「廃業なんかしたら、せっかく掘った井戸がもったいない」
 と笑い飛ばすばかりだ。
 沖縄最後のユーフルヤー。日本最南端の銭湯。そして、ゆんたくの花が咲くコミュニティ。
 だが、中乃湯の魅力はそれだけではなかった。

 

〈日本最南端の 「ユーフルヤー」2・完〉


『戦争とバスタオル』収録、第2章「日本最南端の 「ユーフルヤー」」
はまだまだ続きます。続きが気になる方は本書をお手に取ってご覧ください!


《『戦争とバスタオル』試し読み》
はじめに
日本最南端の「ユーフルヤー」1
おわりに

 


安田 浩一・金井 真紀

『戦争とバスタオル』

税込 1870円

嗚呼、風呂をたずねて四千里――風呂から覗いた近現代史

 

【もくじ】

はじめに
第1章 ジャングル風呂と旧泰緬鉄道…………タイ
第2章 日本最南端の「ユーフルヤー」…………沖縄
第3章 沐浴湯とアカスリ、ふたつの国を生きた人…………韓国
第4章 引揚者たちの銭湯と秘密の工場…………寒川
第5章 「うさぎの島」の毒ガス兵器…………大久野島
特別対談・旅の途中で
おわりに

次回の試し読みは「おわりに」は9月9日(木)公開予定です。