亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.8.31

09安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』——日本最南端の 「ユーフルヤー」1

 


タイ、沖縄、韓国、寒川(神奈川)、大久野島(広島)――
あの戦争で「加害」と「被害」の交差点となった温泉や銭湯を
各地に訪ねた二人旅。



安田 浩一・金井 真紀

『戦争とバスタオル』

税込 1870円

ジャングルのせせらぎ露天風呂にお寺の寸胴風呂、沖縄最後の銭湯にチムジルバンや無人島の大浴場……。
至福の時間が流れる癒しのむこう側には、しかし、かつて日本が遺した戦争の爪痕と多くの人が苦しんだ過酷な歴史が横たわっていた。

嗚呼、風呂をたずねて四千里――風呂から覗いた近現代史

 

 

日本最南端の「ユーフルヤー」



悪態をつく金井

 日が傾きはじめるころ、安田さんと合流して沖縄市に向かった。空の青さが薄くなってくる、いい時間帯。なのに気がついたら、レンタカーの車中は険悪な雰囲気になっていた。というか、わたしがひとりでフガフガと悪態をついて安田さんを困らせていた。
 わたしはその日、別件の取材のために朝からひとりで名護市辺野古に出かけた。その顚末を安田さんに報告しているうちに、暗雲が立ち込めてきたのだった。
 辺野古といえば、多くの県民の意に反して米軍の新基地建設工事が進められている土地。安田さんは何年も前から辺野古をはじめとする基地問題の現場に通って、理不尽な基地押しつけに苦しむ市民や地元紙の記者たちの声を拾って伝えてきた。沖縄に関する本も書き、講演もしている。沖縄取材の手練れだ。
 一方わたしは、おそるおそる辺野古に足を踏み入れ、伝統スポーツ「沖縄角角力」について辺野古の住民たちに話を聞いてきたところだった。じつは辺野古住民の多くは、基地建設を容認している。経済的な理由もあるが、生まれ育った故郷が何十年もずーっと基地問題で揺れていて、もううんざりだというのが本音らしかった。政治に振り回され、記者がうろついて、活動家が叫び、地元は反対派と容認派で分断されてしまった。いくら反対したところで基地建設は止まらないじゃないか、ならば早いとこつくっちゃってくれ、そしたら静かな日常が取り戻せる……。沖縄角力の話の合間に、苦い思いや諦めの心情を少しずつ聞かせてもらった。受け止めるだけで、わたしのキャパは一杯いっぱい。
 要するにわたしは、その日の取材が消化できていなかった。国が横暴に進める新基地建設にはまったく共感できない。美しい海に土砂を投じるブルドーザーと、その前に立ちはだかって反対の声をあげる人たちを思うと涙が出る。だけどひとりで辺野古に入り込んだわたしを優しく遇し、本音を聞かせてくれた住民たちの思いを無視することもできない。わたしは自分の立ち位置がぐらついて、その不安から、安田さんが穏やかに語る基地に関する知識や正論に八つ当たりしたのだった。
「どうせわたしは安田さんみたいにまっすぐ進めませんよ。だいたいわたし、ジャーナリストじゃないし。取材した人のこと好きにならないと書けないし」
 みたいな悪態をついた。お恥ずかし。
 安田さんは、わたしの不当な言いがかりに大人の態度で耐えた。これからはじまるお風呂取材が台無しにならないように気を遣ってくれたのだと思う。こんなふうに理屈と感情が折り合わないモヤモヤとか、無意味な仲間割れとか、そういうことが無限に積み重なって、基地を押しつけられた沖縄の暮らしがあるのかもしれない。
 車は沖縄市に入った。日はまだ暮れない。わたしは正気を取り戻し、安田さんに謝った。勝手に喧嘩をふっかけて勝手に収束するわたしに、安田さんはホッとした表情で言った。
「カーナビによれば、中乃湯まであと7分だって」
 そうだ。とにかくお風呂だ。あったかいお湯に体を沈めれば、いろんなことがリセットできる。

 

中乃湯のシゲさん

 中乃湯は安慶田(あげだ)の交差点にほど近い住宅街の中にあった。少し離れた駐車場に車を駐め、細い路地を歩いて向かう。途中に小高い茂みがあって「安慶田の拝所(うがんじゅ)」と記されていた。
 沖縄には御嶽(うたき)と呼ばれる聖地がいたるところにあるが、拝所は御嶽より規模が小さい。地域の守り神が祀られている場所、という感じだろうか。
 中乃湯に着くと、庇(ひさし)の下に置かれたベンチに座る小柄な女性が出迎えてくれた。この銭湯の経営者、仲村シゲさんだ。ご挨拶すると、シゲさんは弾んだ声を出した。
「あらぁ、内地からいらっしゃったの」
 そしてベンチの真ん中にスペースをつくり、
「はいはい、ここに座って」
 とわたしたちをうながした。それでは、とお風呂に入る前にまずはベンチに座らせてもらう。
 暖簾(のれん)をくぐった先に番台があるが、シゲさんは番台にいることは滅多にないという。この外のベンチが定位置。毎日ここでお客さんを迎え、おしゃべりし、入浴料を受け取って、「ゆっくり入ってきて」と中に送り込む。お風呂から上がったお客さんの汗が引くまで、またベンチでひとしきりおしゃべりして、「じゃあまたね」と家に帰す。それがシゲさんと常連客の日常の風景らしい。
「こちらのお風呂は、いつからあるんですか?」
 安田さんが尋ねると、
「主人がはじめたのが1960年。そのあと結婚して私がやるようになって50年になるさ。息子が小学校6年のときに主人が亡くなって、そっからはひとりでね」
 シゲさんはすらすらと答えた。今年(2019年)で86歳。女手ひとつで、銭湯を切り盛りしながら息子さんを育て、いまも現役だなんて頭が下がる。
「いろいろあったさぁ。負けてはならんて。やればできるさ」
 シゲさんは明るく、節をつけるように言った。シワが刻まれてもなお、お茶目ではつらつとした笑顔、いかにも沖縄のおばあという感じ。
「じゃあ、本土復帰の前からお風呂屋さんをやっていたわけですか」
「うん。昔はドルさ。入浴料は50セントとか70セントとか。復帰になってから円になったさ」
 そうか、この島には手ぬぐいを提げ、ドル札やセントコインを握りしめて銭湯に通った時代があったのだ。
「昔の料金表があったんだけどね、役所の人が珍しがって持っていって、それきり戻ってこないよ。ハッハッハ」
 シゲさんは奥から黒砂糖のお菓子とバナナを出してきた。「食べなさい」「いや」「遠慮しないで」のやりとりの後、結局いただいた。わたしたちが黒砂糖を口に入れると、話の続きがはじまる。
「アメリカ世(ゆー)のころは、みなさんのおうちに水道が入ってないさねぇ。水がないさ。だからお風呂に入れんわけよ」
 1950年代末、シゲさんの夫は最初ここを駐車場にして貸すことを考えたらしい。
「だけど駐車場の料金は1台で3ドル50セント。それじゃ生活できない。だから井戸を掘って、お風呂屋にしたさ」
 井戸掘り職人に来てもらって掘削したが、なかなか水が出なかった。もう少しで出るか、まだダメだ、もう少し、と掘り進めて結局350メートルの深さの井戸を掘った。
「掘るのに、なんじぇん(千)ドルもかかったよ。350メートルって言ったら、泡瀬(あわせ)の海より下さ」
 目をくりくりさせながら、3キロメートル先の海より深いと自慢するシゲさんの表情がかわいらしい。
 その後、各家庭に水道が引かれ、銭湯の利用者は減っていった。90年以降、同業者も次々と廃業していく。
「だけどね、とにかくこの井戸を捨てるがもったいないわけ。あんなして(お金をかけて)掘ってしまったから。井戸が大事よ。井戸があるからお風呂を続けていかなきゃと思うさ」
 売り上げは落ちる一方なのに、維持費は昔よりかさむのが悩みの種だ。
「今年1月にボイラーを直したよ。4回目。自分ももう歳だし、どうしようかなと思ったんだけど、ちょうど年金貯金があったさ」
 ボイラー修繕費は180万円。年金貯金をほぼすべて注ぎ込んだ。前回直したときはたしか80 万円だったから、倍以上かかったと嘆く。燃料代もどんどん高騰している。
「週に(重油を)300リットル買ってるさ。ずっと値上がりしてて、いま2万9000円ほどだね」
 入浴料は370円。お客さんは日に15人から20 人ほどだという。月に10万円を超す燃料代の負担がどれほど大きいか、頭の中でざっと計算して、わたしまでため息が出てしまう。
 以前は夜の10 時まで開けていたが、最近は7時までに入ってもらって8時には閉めるようにしている。それを聞いて、安田さんが腕時計に目を走らせた。
「そろそろ、お風呂に入らせてもらおうか」
「ハハハ。おしゃべりしてたら夜になるね。ゆっくり入ってきなさい」
 370円を渡して、わたしたちは紺地に白く「中乃湯」と染め抜かれた暖簾をくぐった。

〈日本最南端の 「ユーフルヤー」1・完〉

《『戦争とバスタオル』試し読み》
はじめに
日本最南端の「ユーフルヤー」2
おわりに

 


安田浩一・金井真紀

『戦争とバスタオル』

税込 1870円

嗚呼、風呂をたずねて四千里――風呂から覗いた近現代史

 

【もくじ】

はじめに
第1章 ジャングル風呂と旧泰緬鉄道…………タイ
第2章 日本最南端の「ユーフルヤー」…………沖縄
第3章 沐浴湯とアカスリ、ふたつの国を生きた人…………韓国
第4章 引揚者たちの銭湯と秘密の工場…………寒川
第5章 「うさぎの島」の毒ガス兵器…………大久野島
特別対談・旅の途中で
おわりに

 

次回の試し読みは「日本最南端の「ユーフルヤー」2」
9月6日(月)公開予定です。