亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2023.12.13

56クァク・ミンジ『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』[清水知佐子訳]──(3)

【12月25日(水)発売】
クァク・ミンジ著/清水知佐子訳

『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』
―― 곽민지『아니 요즘 세상에 누가』 ——


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――いや、ちょっと待ってよ。私は結婚しないんだってば。

 忙しく働きながら、ジムに通って汗を流して、ポールダンスを嗜み、気心知れた友達との食事を楽しみ、夜はYouTubeやNetflixでリラックス。休みの日には推し活も!——こんなに充実した日常のなかには「結婚しなければならない」理由は見当たらない。
 それなのに、世間は「『結婚しない』とは言っても、いつかするはずだ」「ひとりは寂しいんじゃないの?」「そのうち、子どもも欲しくなるだろう」なんて言ってくる。
 でも、「非婚」は「未婚」とは違うし、「結婚しない」選択は多様な生き方のひとつなんだ。

──結婚しても/結婚しなくても、
あなたの生き方は〈あなたが選んで決めればいい〉。

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 著者のクァク・ミンジさんはフリーの放送作家、エッセイストとして活躍すると同時に、累積聴取回数2000万回超の「非婚ライフ可視化ポッドキャスト」『ビホンセ(ビヨンセと「非婚の世の中」をかけた造語)の制作兼進行役として脚光を集めています。

『ビホンセ』という名称には、世間の圧力に押されてその存在がほとんど隠されてしまっている「非婚主義者(ビホンセ)」たちの声や日常を発信することで、非婚主義が一つの選択肢として尊重される社会「非婚の世の中(ビホンセ)」を作っていこうという思いが込められている。──「訳者解説」より

 本書は、非婚ライフの日常、非婚を宣言したことによる悩みなどが、家族や友人、ポッドキャストのリスナーらとのかかわりを通して描かれています。また、
まだ知られていない「非婚を生きる少なくない女性」の存在を示すことで、世間の偏見や社会の意識を変えたいという切実な思いと、多様性を認め、「ひとりを共に生きよう!」という温かいエールが込められています。

 日本のみなさんにも「わかる、わかる!」と共感を持って楽しんでいただける一冊です。ぜひご覧ください。

 

【クァク・ミンジさんは日本のメディアでも紹介されています】



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私の祖母


 母方の祖母は今も昔も、私が記憶している限りずっとかわいらしい人だ。小さくてか
わいくて賢くて愛情深い。祖母には四人の子供がいて七人の孫がいる。私たちはそうたびたび会えないけれど、会えばいつも楽しく過ごしている。ほかの親戚は人によって少しずつ親密度に偏りがあるように思うが、祖母はみんなに愛されていて、祖母もみんなを愛している。甥と姪ができてから、もしかすると私の愛情が一人に偏って見えていたらどうしようと戦々恐々としている立場としては、孫全員に自分は祖母にだけは愛されていると感じさせているものは何なのか、今あらためて気になっている。

 母は、息子でも長女でも末娘でもない、いわゆる真ん中の子で、私は七人の孫のうちの五番目だが、祖母に会えばいつもほかの誰よりも愛されているという十分な愛情を感じる。小さな体から愛があふれ出ている人、祖母はそんな人だ。母方の祖母は外祖母(ウェハルモニ)言い、母方の祖母だからより遠い祖母という意味で差をつけた言葉だと知ったとき、私は外祖母という言葉を控えるようになった。単純に不平等だからではなく、間違っていると思うからだ。私にとって「外祖母」は祖母を表現しきれない単語だ。祖母の腕の中で大きくなり、今は腕の中にすっぽり祖母を抱く者として、外と関連するすべての言葉は祖母と無関係に思える。

 祖母は母と同じぐらいパワフルな結婚主義者だ。一〇代で顔も知らないまま祖父と結婚したが、祖父が亡くなって二人の結婚生活が終わる日まで比較的仲良く、楽しい結婚ライフを過ごしてきた。祖母は私と同じく足のサイズが特別で(私は大きすぎて、祖母は小さすぎて)足に合うものを見つけるのが難しかったが、祖父はどこかへ出かけて小さく見える靴を見つけると必ず買ってきては祖母に渡していたという。もう一度生まれ変わっても祖母と結婚すると言っていたそうで、愛し合って結婚してもその気持ちを変えずに持ち続けることは難しいのに、そんなふうに思えるなんて宝くじに当たるぐらい珍しいことなのではないかと思う。祖母に祖父をどれだけ愛していたかと直接聞いたことはないけれど、祖父は礼儀正しくて背が高く、とにかく男前だったので、祖父の顔をはじめて見たとき、祖母はまさに宝くじに当たったような気分だったのではないかと思う。
 どこへ行くにもいつも手をつないでいた二人だったが、私が大学入試を受けるころ、祖父の肺にがんが見つかって入院し、入試を終えた私が釜(プサン)から戻ると間もなく亡くなった。私は自分の受験勉強のために、祖父と十分なお別れをする時間を母から奪ってしまったという思いに苛まれた。運よく祖父の最期を看取ることができたが、人は亡くなるとき、いちばん最後に耳が聞こえなくなるという俗説を信じて祖父の耳元で一生懸命ささやいた。

「お祖父さん、私のことは心配しないで。私のせいでお母さんにあまり会えなくてごめんね。お母さんは悪くないから許してあげて」

 祖父はそんな私を健気に思ったのか、亡くなってから夢に出てきたことがある。退職後、警備員の仕事をしていたころによく着ていた青いチェックのジャケットを着て、家族全員が乗ったワゴン車の中で元気そうな顔で「故郷に行くんだ、ミンジ!」と言った。

「お祖父さん、もう治ったの?」と聞くと、「大丈夫だ。とても気分がいい」と答えた。母にその話をすると、母は叔母も同じ夢を見たそうだと言って泣いた。死後世界というものは実際にあるのかもしれないと、そのときはじめて思った。母は、自分の夢に出てきてくれない祖父が恨めしいと言いながらも、孫を大切に思ってくれて幸せだと言った。祖母の夢には出てきただろうかと気になったけれど、聞くと祖母がとても悲しがる気がしてやめておいた。
 祖父の葬儀を国立墓地の顕忠院(ヒョンチュンウォン)内の葬儀場で行い、祖父の遺骨をお墓に埋めたときも祖母はその場にいた。母は腰をかがめて耳がよく聞こえない祖母に「母さん、父さんの隣に空いてる場所があるでしょう? あれは母さんの場所よ。あの世でも一緒にいられるからね」と大きな声で言い、祖母は母を安心させるようにうなずきながら、「ああ、そうかい」と答えた。表情こそ歪んではいなかったものの、祖母は何度も涙を拭っていた。その淡々とした別れが悲しかった。祖母はそんな人だった。ロマンチストだけれど現実的で、体は小さいけれど強い人。体が弱くてしょっちゅう病気をしていた祖母は、母が中学生のころから早くに死んでしまうのではないかとみんなを心配させたが、健康だった祖父を先に送り、もうすぐ一〇〇歳を迎える。祖母は長く生きられないかもしれないという話をずっと聞かされてきたせいか、私を含め孫たちは全員、祖母に会うたびに必ず小さな体をぎゅっと抱きしめる。もう何十年も続けていることなのに、祖母はそのたびに幸せそうな顔をして「こんな年寄りのどこがそんなにいいのかね」と言う。

 祖母は私の結婚についてあれこれ口出ししても私の反感を買わない唯一の人だ。ほかの親戚たちが結婚の話をはじめると私は、そんなつまらない話を持ち出してと心の中でその人にマイナス点を与え、気に食わなさそうな態度を示したりもした。でも、祖母は違う。相手が私を愛しているという事実に確信があれば、同じ言葉もどれだけ違って感じられることか。私はそれを祖母を通じて知った。仲秋や旧正月で親戚が集まったとき、聞きたくない話をされるとムカつくのは私がその人を嫌いだからだ。つまり、その人がイマイチなのだ。そんなこちらの気持ちも知らずに大学だの、結婚だの、出産だのと人生の極めて個人的な問題に自分の考えを押しつけてくるのがいやでしょうがない。ほんとに、センスがないんだから。


「ミンジ、結婚しないのかい? ボーイフレンドもいないの?」


 祖母にこう聞かれても少しも腹は立たない。だからちゃんと答える。祖母には質問す
る自由があり、私には答える自由があり、互いを同じだけ愛する私たちはきちんと目を合わせてこの問題について語り合う。そして、そのときの状況によって異なるが、「結婚はしないけど、ボーイフレンドはいるよ」、あるいは「結婚はしないし、ボーイフレンドもいないよ」ときちんと答える。祖母は私が結婚しないと言うと、いつも「今年でいくつになるんだい」と方言で聞き返す(祖母は祖母特有の忠清道(チュンチョンド)の方言を使う。私の両親は忠清道出身で、私も大(テジョン)出身だから忠清道の方言には馴染みがあるけれど、祖母のそれは本当に独特だ)。二六歳だよ、三〇歳だよ、三四歳だよ、三七歳だよ……。私の年齢を噓偽りなく言っても、祖母の反応は一〇年前から変わらない。目を丸くして息をひぃーっと吸い込みながら驚く。孫の年がもうそんなになるのかという事実に一度、なのに結婚するつもりはないという答えにもう一度。「だったら、お祖母さんは何歳なの? ひぃーっ、そんなに!」。私は祖母の年に同じ反応をすることでコントみたいなやりとりをする。
 少し前に祖母に会いにいったとき、心身共に弱くなってきている祖母は泣き声になった。死ぬ前にもう会えないと思っていたのに、来てくれたんだねと言いながら。いつも聞いていることだったので「死んだりしないよ。お祖母さんは『もう死ぬ、死ぬ』って言いながら絶対死なないんだから」と答えて抱き寄せた。祖母は「つき合ってる人はいるのかい? 結婚は?」と聞いた。私はいつものように「つき合ってる人はいないし、結婚もしない」と返事した。祖母はなぜ結婚しないのかと聞いた。私はレパートリーを少し変えて「結婚がそんなにいいなら、お祖母さんがすればいい。お祖父さんが亡くなったから、いつでもできるじゃないの」と応じた。耳が遠く、何度もくり返してようやく聞き取った祖母は私を横目でにらみながら、けらけら笑った。そしてこう聞いた。


「結婚っていうのは、しなくてもいいのかい?」


 はじめて聞く質問だった。考えてみれば、親戚の中には「結婚しないのか」と聞く人や「私もお前みたいに結婚しなきゃよかった」と言う人はいても、祖母のように「結婚はしなくてもいいものなのか」と純粋に質問する人はいなかった。結婚せずに生きることを想像したこともそういう人を見たこともなく、非婚ライフのサンプルが近くになかった九七歳の老人が好奇心に満ちた目でそう聞いたのだ。


「もちろんよ。お祖母さんも今度は結婚しないで生きてみたら。結婚するのとはまた違
う楽しさがあるから」

「幸せかい?」

「私? うん、私は今とても幸せだよ」


 去年の今ごろにこの会話を交わした後、久しぶりに会った祖母は私に、「結婚しない
のかい?」と聞く代わりに「幸せかい?」、「楽しいかい?」と聞いた。「うん、いつもと変わらず幸せだよ」と答えると祖母は「やれやれ」と言って色艶のいい顔で笑った。


続きは書籍でご覧ください。

 
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