亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2023.12.12

55クァク・ミンジ『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』[清水知佐子訳]──(2)

【12月25日(水)発売】
クァク・ミンジ著/清水知佐子訳

私の「結婚」について勝手に語らないでください。』
―― 곽민지『아니 요즘 세상에 누가』 ——


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――いや、ちょっと待ってよ。私は結婚しないんだってば。

 忙しく働きながら、ジムに通って汗を流して、ポールダンスを嗜み、気心知れた友達との食事を楽しみ、夜はYouTubeやNetflixでリラックス。休みの日には推し活も!——こんなに充実した日常のなかには「結婚しなければならない」理由は見当たらない。
 それなのに、世間は「『結婚しない』とは言っても、いつかするはずだ」「ひとりは寂しいんじゃないの?」「そのうち、子どもも欲しくなるだろう」なんて言ってくる。
 でも、「非婚」は「未婚」とは違うし、「結婚しない」選択は多様な生き方のひとつなんだ。

──結婚しても/結婚しなくても、
あなたの生き方は〈あなたが選んで決めればいい〉。

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 著者のクァク・ミンジさんはフリーの放送作家、エッセイストとして活躍すると同時に、累積聴取回数2000万回超の「非婚ライフ可視化ポッドキャスト」『ビホンセ(ビヨンセと「非婚の世の中」をかけた造語)の制作兼進行役として脚光を集めています。

『ビホンセ』という名称には、世間の圧力に押されてその存在がほとんど隠されてしまっている「非婚主義者(ビホンセ)」たちの声や日常を発信することで、非婚主義が一つの選択肢として尊重される社会「非婚の世の中(ビホンセ)」を作っていこうという思いが込められている。──「訳者解説」より

 本書は、非婚ライフの日常、非婚を宣言したことによる悩みなどが、家族や友人、ポッドキャストのリスナーらとのかかわりを通して描かれています。また、
まだ知られていない「非婚を生きる少なくない女性」の存在を示すことで、世間の偏見や社会の意識を変えたいという切実な思いと、多様性を認め、「ひとりを共に生きよう!」という温かいエールが込められています。

 日本のみなさんにも「わかる、わかる!」と共感を持って楽しんでいただける一冊です。ぜひご覧ください。

 

【クァク・ミンジさんは日本のメディアでも紹介されています】



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こんにちは、非婚です


 朝、目を覚ますのは午前一〇時ごろだ。もっと寝ることもあるし、寝そべったままた
まったメールを読んだり、DMを確認したりすることもある。ミーティングはたいてい午後二時からだから、ベッドから出る時間もそのときの気分で私が決める。起きたら薄めのブラックコーヒーを淹れて飲み、目やにがついたままフィットネスバイクにまたがって四〇分漕ぐ。漕ぎながらメールの返信をし、その日のスケジュールを確認する。その後、シャワーも浴びずにユーチューブやネットフリックスを観ながら冷蔵庫にあるもので朝食兼昼食を済ませる。食事が終わったら一杯分のコーヒー豆をグラインダーで挽き、ベトナムで買ってきた一人用のコーヒードリッパーで一人分のコーヒーを淹れる。そうしてやっとシャワーを浴びてミーティングに出かける。

 ミーティングから戻ったら運動をしに行く。その日のコンディションによって行かない日もあるけれど、ほぼ毎日通っている。普通、運動をした後はタンパク質を中心とした食事をするので、夕飯のメニューは七時ごろ、運動をしたかしなかったかによって決まる。運動を終えて家に帰ったら午後一〇時。ビールやワインを片手にゆったり食事をしながら、好きなDJのラジオを聴いたり、ネットフリックスを観たりする。
 食事が終わった午前〇時、たいていそれぐらいの時間から原稿や台本を書いたり企画案をまとめたりする。翌日、ミーティングがない日には、できる限りドラマや映画を観ながら一人だけの「会食」を楽しみ、時には近所に住む友人が訪ねてくることもある。仕事をしてもしなくても、だいたい午前四時に寝る。そして、一〇時に起床する。
 週末は家族や友人と過ごすけれど、本当は一人で過ごすのがいちばん好きだ。一日中寝そべっていることもあるし、家から近い南(ナムサン)に行って下りてくる途中に生ビールを一杯飲んで帰ることもある。仲秋や旧正月などの連休はなるべく両親と過ごし、そうでないときは、実家に帰らない近所の友人と一緒に過ごす。バレーボールのファンになってからは、ゲーム観戦を優先して余暇のスケジュールを組んでいて、観戦仲間がいれば一緒に会場に行ったり、中継を観たりするし、いなければ一人気楽に観戦する。

 これらの中で、私が結婚していても維持できる日常はどれだけあるだろうか。いや、それ以前に、私が結婚しなければならない理由が私の日常のどこにあるだろう。私には自ら日常を営んでいるという感覚が大事で、自分に合ったマネープランを立て、生活ルールを作り、守っている。流動的な毎日は誰かにとっては不安かもしれないけれど、私は、自分が望むときに望むことができるよう可能性を開いておくのが基本スタンスだ。誰かにとっては結婚が安定だろうけど、私みたいな人間には自分ではコントロールできないリスク要素でもある。私が求めるのは望むときに恋愛し、自分の住みたいところに他人の同意や合意を求めたり強要したりすることなく引っ越しをし、自分にとって自然な時間に食事をしてあれこれ活動する人生なのだ。
 非婚が結婚に勝るわけではなく、非婚と結婚を天秤にかけて非婚のほうがいいと思ったわけでもない。私の日常に結婚が入ってくる隙と理由がないことを身をもって実感しながら生きているだけだ。ずっとそう感じてきた私としては、まるで私が、結婚に向かって走っていたかと思ったら急にハンドルを切ってUターンしてきたかのように「なぜ非婚で生きることにしたのか」と聞かれると答えに窮する。どこから話せばいいのかわからない。時には、そんな質問をすること自体、私の人生に何か欠陥があると思ったから親切に教えてやってるんだと言われているようにも思える。一時は、私の何がその人たちを不安にさせるのか、気になりもしたけれど、今は、私のある面がその人たちを不安にさせるのではなく、非婚者の日常をのぞき見た経験がないことによってもたらされる違和感のせいだと知っている。それに気づかせてくれたのは、私と似たような非婚者の友人たちだった。「こんな仲間がいれば寂しくない」、「死ぬまで共に非婚で行こう!」と決意したわけではない。むしろ、私みたいに非婚者として生きている人たちから感じられる自然さ、その既視感が、きっと私みたいな人がほかにも大勢いるだろうと確信させてくれ、少なくとも私たちが変に映る理由は、ただ私たちの存在が見えていないからだという答えを得ることができた。
 ポッドキャスト『ビホンセ』はそうやって続いている。私たちはとても元気に楽しく暮らしているのに噂が広まらないのはなぜだろうと思いながら。誰かと比べたりレースに参加したりする必要はなく、ただここにいるよと教えてあげることで私の宇宙が変わるという確信を持って。互いの存在に気づいたリスナーやゲストたちも同様に、私を誰かと比べたり競争したりせずにあるがままを受け入れてくれ、そうして『ビホンセ』は今も続いている。私たちは「ビホンセ」、つまり「非婚の世の中と非婚を生きる人」について話している。今でも人々は私たちをジャンヌ・ダルクや闘士のように見ていて、すべての少数者、あるいは少数者扱いされている人たちの闘争が可視化からはじまるのだと思うと寂しいけれど、やらなければならないことだ。

 私は「あなたは何者か」と聞く前にあなたの日常を知りたいと思う人になりたい。あ
なたにいたずらに名前をつけたり、あなたはなぜそんな存在として生きていくのかと質問することが、時にはあなたを寂しくさせることを学んだからだ。「私、チョコレートが好きなんですが」とか、「私、次女だからかもしれませんが」ではじまる文章みたいに、あなたが人にさらけ出すことを決意して見せてくれる部分からあなたを知っていきたい。そうすればいつか、私たちはなぜ結婚したのか、結婚しなかったのかも自然とわかるようになるだろうから。それが重要な問題ではないということも。

 ときどき、ポッドキャストをしたり原稿を書いたりするのは本当に幸せなことだと思
う。私の一面を知ってくれている人が多いというのはリスクであると同時にメリットでもある。だから、もっと多くの人たちが自分の話をしてくれたらいいなと思う。互いに対して礼儀を尽くすためには、私たちがどれだけ千差万別であるかを認識し、注意を払い続けるしかないと信じるからだ。私の基準における普通は私だけに限定された固有の世界であり、私の基準における正常は私が規定した正常にすぎないのだと文章にすること、つまり、自分の世界を話すことは、私たちが互いに失礼な言動をしないようにする機会を与えてくれることにつながる。
 みんなが、自分は何者であるかをくり返し語ってくれたらと思う。私が私のままで生きていって構わないのだと確信するには、私が正常だと感じられる場所に留まっているよりも、世の中には数億個の存在が数億個のやり方で存在していることを知ることのほうが効果的だからだ。髪をピンクに染めたいのに、ドアの外に出ると茶髪の人すらいなくて黒髪ばかりだと私たちは勇気を失う。だけど、ピンク色の髪の人はいなくても、ピンク以外のあらゆる色、黄緑、青、黄色の髪をした人が胸を張って通りを闊歩する世の中なら、ピンク色の髪の喜びを思いきり楽しめるようになるだろう。結婚しなくてもいいし、結婚してもいい。自分だけのやり方で選択し、その話を聞かせてもらえたらうれしい。

 それがたとえ、ものすごく当たり前で平凡なものであっても。

放村(ヘバンチョン)〔ソウル市龍山(ヨンサン)区にある地名。解放後、南山のふもとの傾斜地に北朝鮮から避難してきた人々によって形成された集落が起源となっていることなどから、タルトンネ(貧民街の意)と呼ばれている。古い家屋や店が残る一方で、外国人居住者が多く、近年のジェントリフィケーションによって若者に人気のスポットとなっている〕でポールダンスをし、コーヒーとビールが好きで(今は)紫色の髪をした三七歳のビホンセより。


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私の祖母