亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.6.7

03安田登『見えないものを探す旅』——待ちゐたり

 


能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』!


税込み 1650円

いつもの風景が、その姿を変える。
単なる偶然、でも、それは意味ある偶然かもしれない。

世界各地へ出かけ、また漱石『夢十夜』や三島『豊饒の海』、芭蕉など文学の世界を逍遥し、死者と生者が交わる地平、場所に隠された意味を探し求める。
——能楽師・安田登が時空を超える精神の旅へといざなう。

 

 


待ちゐたり

 冬の温泉宿の炉辺で岩魚(いわな)を焼く。片面がこげ茶色になったらひっくり返すように言われる。魚をじっと見ていると、宿のおじさんがぼそっと「見てると焼けないよ」と言い捨てる。慌てて眼をそらすと「でも、忘れると焦げちゃうよ」などと言う。
 凡人にはとてもできないことをさらりと言ってのける。待つことの極意を心得たおじさんだと感心する。
 能のワキ僧は、待つ人だ。前場(まえば)が終わると待謡(まちうたい)という謡を謡(うた)い、後(のち)シテが本体を現して再び登場するのを待つ。
 待謡ではよく「待ちゐたり」という言葉が使われる。ただ待つのではなく「待ちゐる」のだ。「ゐる」とはピタッとそこに存在し続けることだから、「待ちゐる」とは、ただひたすら後シテの登場のみを思ってじっと待ち続けることをいう。
「待」という漢字の右側(寺)は手でぐっと掴(つか)まえる意で、左側(彳)は道を表す。「待」という漢字自体が、道に佇(たたず)んで相手のことをじっと待つという意味だ。
 しかし、自分の日常を振り返ってみると、相手のことだけをじっくり思って待ち続けるということはほとんどない。本を読みながら待ったり、スマホで音楽を聴きながら待ったり、ひどいときには待つ相手とは全く関係ないほかの人と携帯で話しながら待ったりしている。こうなると、相手のことなどはほとんど考えていない。これでは待っていることにはならないだろう。時間をつぶしている間に、相手がひょっこり現れるだけだ。
 そこで反省して、相手のことだけを思って待ってみる。
「長い」
 ただひたすら長い時間が経過する。そして相手は来ない。待ち合わせ場所を間違えたのだろうか、などと思い始める。本当に来るのだろうか、などとも考え始める。こんなことを考え出すのも癪(しゃく)なので本でも広げたくなるが、今回は我慢してただじっと待ってみる。
 待っているうちに夏目漱石の『夢十夜』第一夜を思い出した。男は「自分は女に欺(だま)されたのではなかろうか」と思い始めるが、こちらは自分が時間を間違えたのではなかろうかと思い始めた。そのうちに『夢十夜』第一夜の男はなぜ三度も腕組みをするんだろうとか、そんなことが気になりだした。頭の中の第一夜を諳(そら)んじてみる。すると、腕組みは女を待ち始めてからはしていないことに気づいた。能でいえば前場の間は腕組みをするが、後シテ登場の後場ではしていない。そういえば、腕組みというのは何とも近代的な身体作法だな、などとも考える。日本人はいつから腕組みをするようになったのだろうか。今度、調べてみようなどと思いながら待つ。
 が、まだ来ない。
『夢十夜』ではこの後、すなわち欺されたと思い始めたころに、百年目に合うという名を持つ真っ白な「百合」の花と、花弁から滴(したた)る冷たい露、そして遠い空に瞬(またた)くたった一つの暁(あけ)の星によって百年が来ていたことに気づくのだが、なるほど待ち人が登場するのは、待つということが意識から遠のいた瞬間に、半睡半覚の変性意識状態下でうかうかと行われるのかもしれない。待つ対象が無意識に刻み込まれ、待つという行為が意識の表から後退したときに、待つ相手は登場するのだろう。
 などと考えているうちに相手が現れた。しまった! 漱石のことを考えていて、相手のことは考えていなかった。やはり意識としては待たなくなったときに、待ち人は現れた。なかなか心得た奴だ。
 さて、コンピュータの性能がよくなり、処理速度が速くなればなるほど、コンピュータの前での待ち時間に対する耐性が弱くなるという統計があるそうだ。快適になればなるほど、イライラがつのるという。待つことのパラドックスを含んだこんな時代に、私たちは本当に誰かを、そして何かを待つということができるのだろうか。
 などと考えながら、今日も人を待つ。

(待ちゐたり・完)

《安田登『見えないものを探す旅』試し読み》
はじめに➡
敦盛と義経➡
あとがき➡

 

能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』

税込み1650円

【もくじ】
■ はじめに
■ 旅

敦盛と義経
奄美
チベットで聴いた「とうとうたらり」
復讐の隠喩
人待つ男
孤独であることの勇気
ベトナムは美しい
生命の木


■ 夢と鬼神——夏目漱石と三島由紀夫

『夢十夜』
待ちゐたり
太虚の鬼神——『豊饒の海』


■ 神々の非在——古事記と松尾芭蕉

笑う神々——能『絵馬』と『古事記』
謡に似たる旅寝
非在の蛙


■ 能の中の中国

西暦二千年の大掃除 
時を摑む
麻雀に隠れた鶴亀
超自然力「誠」
神話が死んで「同」が生まれる


■ 日常の向こう側

心のあばら屋が見えてくる
レレレのおじさんが消えた日
掃除と大祓
死者は永遠からやってくる


■あとがき