亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.6.3

02安田登『見えないものを探す旅』——敦盛と義経

 


能楽師・安田登さんのエッセイ集
『見えないものを探す旅——旅と能と古典』


6月2日(水)発売、税込み 1650円

いつもの風景が、その姿を変える。
単なる偶然、でも、それは意味ある偶然かもしれない。

世界各地へ出かけ、また漱石『夢十夜』や三島『豊饒の海』、芭蕉など文学の世界を逍遥し、死者と生者が交わる地平、場所に隠された意味を探し求める。
——能楽師・安田登が時空を超える精神の旅へといざなう。

 


敦盛と義経

 武道家で思想家でもある内田樹さんとの対談のついでに、能や『平家物語』の史跡である一ノ谷(兵庫県)に立ち寄った。ついでというとはなはだ不謹慎のようだが、能の旅では、ついでは重要なのである。能で神秘の扉が開くのは、だいたい旅の途中か、ついでに寄った場所においてだ。
 ここ一ノ谷は、平家が滅亡に至る三大合戦の最初の地だ。能『敦盛(あつもり)』では、ワキである蓮生(れんしょう・れんせい)法師がここを訪れた。それは、我が子と同年輩の少年武将、平敦盛を心ならずも討ってしまった場所だからだ。
 蓮生法師、出家前は熊谷次郎直実(なおざね)という源氏の武将であった。敦盛を討ったときには、平家の敗色はすでに濃かった。彼は源氏の武将として出世街道をひた走っていた。しかし、敦盛を討ったことで、武士としての生活が、いや人生そのものが嫌になって武士をやめた(これには異説あるが気にせず話を進める)。
 いまでいえば順風満帆な出世街道まっしぐらのエリート・ビジネスマンが突然仕事をやめてホームレスになるようなものだ。出家をした彼は名を「蓮生法師」と改め、生者でいながら生者ではない者、ワキとして生きることを決めた。
 自分が殺害した敦盛の菩提(ぼだい)を弔うために、僧となった蓮生がこの一ノ谷を訪れ、そして敦盛の亡霊と出会うという物語が能『敦盛』だ。
 八百年以上の時を経ても海は変わらない。浜辺に立つと『平家物語』が思い出される。敗戦の夕刻、平敦盛は沖の船に戻るために、馬に乗って海を泳いでいた。それを熊谷(蓮生)が呼び戻して、この浜辺で殺害した。
 海を眺めながら、私も能『敦盛』の謡(うたい)を口ずさむ。すると、突然水上バイクが現れ、沖に向かって疾駆した。オートバイは「鉄馬」と呼ばれ、馬にたとえられる。
「水上バイクに跨(またが)る青年は、まるで敦盛のようだ」
 などと考えていると、水上バイクが沖で止まった。
「あそこはちょうど敦盛が呼び戻されたあたりだ」
『平家物語』によれば、敦盛は馬に乗ったまま沖に漂う味方の船を目指し、五、六段(たん)(六、七十メートル)ほども行ったところで、熊谷に呼び止められた。それがちょうどいま、水上バイクが停止しているあたりなのである。
 岸からはかなりの距離だ。
 そんな敦盛を「まさなうも敵(かたき)に後ろを見せ給ふものかな。返させ給へ、返させ給へ」と扇をあげて招く直実。
 この呼びかけに敦盛が戻らなかったらどうなっていたか。 陸で叫ぶ熊谷直実の声を背に聞きながらも、それでも敦盛がさらに馬を泳がせていたら、味方の船に乗ることができたのではないか。水上バイクを見ながらそう思った。
 海のない山家である熊谷(埼玉県)で、生まれ育った武将である直実は、馬を泳がせて敦盛を追うことができなかった。それに対して海の民である平家一門の敦盛は、馬を泳がせる技術を身につけていた。逃げようと思えば逃げ切ることができたはずだ。
 偶然出現した水上バイクのおかげで、海の平家、陸の源氏の構図をはっきりと見ることができた。このようなことが起こるのが能の旅である。
「ならば陸の源氏、源義経が馬で駆け下りたという鵯越(ひよどりごえ)の道を見てみたい」
 そう思って、後ろの山に登ることにした。