亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.9.13

18チョ・ヘジン『かけがえのない心』(オ・ヨンア 訳)——中編



《韓国文学のシリーズ〈となりの国のものがたり〉第9弾》

——お母さん、聞こえますか? 私はこうして生きています。

〈歴史的暴力〉に傷を負った人々に寄り添う作品を発表し続け、高い評価と幅広い読者の支持を得ているチョ・ヘジンの『かけがえのない心』(オ・ヨンア訳)(9月17日(金)発売)を試し読み公開します。

 

『かけがえのない心』試し読み
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かけがえのない心——中編

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 ウジュが私のところにやってきたことがわかったその日、ソヨンという韓国人の女性から二通目のメールが届いていた。
 夕方ごろアパートに戻り、いつものようにソファにもたれたままノートパソコンを開いてメールをチェックした瞬間、ソヨンの名前がまず見えた。ソヨンから初めてメールを受け取ったのは一週間前だった。最初のメールで彼女は、大学で映画を専攻し、当時から友人たちといくつかインディーズ映画を制作している二十九歳だと自己紹介し、フランスに養子に出された韓国系で演劇俳優であり劇作家として活動している私を主人公に、ドキュメンタリー映画を構想しているとのことだった。彼女はそのときこう書いてきた。


——— 一年前、ナナさんのインタビューを読む機会がありました。そのころ、私が借りている住まいの一階で食堂を営んでいるおばあさんが、若いころに海外に養子に出される子どもたちの面倒をみていたことがあるというのを偶然知ったのですが、それまで養子や養子縁組などこの世に存在しないかのごとく、何も知らずに生きてきた自分を振り返るきっかけになりました。それもあってか、ナナさんのことばかり考えていました。何度となく考えているうちに、私の中でナナさんの映画ができあがっていました。
 ナナさんがフランスに養子に出されるまで韓国で過ごしていた場所や、そこで出会った人たちを探しながら、最終的にはナナさんの昔の名前である「ムンジュ」の意味を見つけだすまでの過程が、いま私が構想している映画の内容です。ご存じのように、韓国人の名前にはその記号や発音以上の意味が含まれていますから。ナナさん、そこで今日はナナさんに、どうか私と一緒に韓国で映画を作ってもらえないかと思い、メールをしました。


 そのときの私は、とうてい実現しようのない提案だと思った。作品性もまだ見えないアマチュア映画に出演するためにパリでの生活を一時中断して韓国に渡るというのは、負け試合とわかっていて試合に出るのと同じくらい愚かなことに思えた。笑ってしまうくらいだったのに、なぜか私はしょっちゅうそのメールを思い出し、数日後にはその意欲に満ちた若い女性監督に返事も書いた。なぜよりによって私のような養子の名前に関心をもつようになったのですか、という一行だけの問いを書いて。彼女の二通目のメールには、おそらくその質問への答えが書かれているはずだった。


* * *


 ソヨンが読んだというそのインタビューは一年前、韓国のある市民団体が主催する国際養子のイベントに参加するために、三十四年ぶりに韓国を訪れたときに応じたものだった。政府の支援を受けて国際養子たちに韓国の家族を探しだしてあげることがイベントの主な目的だと聞いていた。
 招かれた十五人の国際養子の中で私がインタビューに選ばれたのは、二週間のイベントの中盤にさしかかっても、私だけが家族を見つけられずにいたからだ。それに私は他の国際養子にくらべて韓国語ができた。韓国を離れてからも、いつも韓国語に触れていたので、韓国語で話して聞いて、読んで書くことには大きな問題はなかった。小さいころはアンリとリサが韓国の絵本やアニメーションのDVDを買ってくれたし、大人になってからは自分の意志で、ネット上の韓国ドラマや映画を観た。大学のときは同じ大学の建築学科に通うキヒョンという韓国人留学生と四年近くランゲージエクスチェンジもした。上級韓国語を使いこなすためには漢字を学ぶべきだというキヒョンのアドバイスに、古本屋で買った漢字教本で独学した時期もあった。
 インタビューは八月第二週の火曜日、ソウルの光化門にあるカフェの二階で一時間ほど行われた。私はできるだけ正直に、養子に出される前のことや養子に出されたころの状況を長く説明した。線路、助けてくれた機関士、彼の印象や推定年齢、私がムンジュと呼ばれながら一年間暮らしたその機関士の家の雰囲気、その後に入ることになった孤児院の名前まで……。最後に私は、三十四年前フランス行きの飛行機に乗るときから大事にしてきたパスポートを鞄から取り出して、写真の貼ってあるページを開いて見せた。養子に出される直前に急いで作ったパスポートで、もし私を覚えている人がいたら、その人に私についての手がかりをすべて伝えたいと思って持ってきたものだった。ノートパソコンに必死にタイピングしていた記者が、ふと顔をあげて私を見ると笑いながら言った。
「そういう話以外にも、ほかにおっしゃりたいことがあると思うんですが……。フランスでの生活はいかがですか? 久しぶりに故国を訪問された感想もお願いします」
 私はじっと記者を見つめた。最後の賭けに出るような思いでこのインタビューに応じた私の心情など記者には知るよしもないことはわかっていたものの、一瞬、抑えがたいさびしさが押し寄せた。もしかしたら、敵意に近いさびしさだったかもしれない。
 インタビューが終わって、記者はほかの予定があると言って先にカフェを出た。
 日が暮れて夜が深くなるまで、私はそのカフェで身じろぎもせずに座っていた。窓ガラスの外の光化門広場に設置されたテントも一つ、二つ暗闇の中に埋もれていった。フランスでニュースを聞いていたため、そのテントが誰を忘れないためのものなのか、わかっていた。海外ニュースの速報でその事故を知った日、夕方には雨が降り、熱いお湯で長い間シャワーを浴びても寒気が収まらなかった。あの日の夕方を思うともっとさびしくなった。難破した船から生き残ったものの誰も探してくれず、行く当てもなく漂流する人が、いつのまにか自分のさびしさを代弁して演じはじめた。何らかの状況を舞台にしたてて想像上の俳優に私のさびしさをなすりつけるのは、ずいぶん前からの習慣だった。俳優に演じさせるさびしさは私のものでありながら私のものではなかったから、深くはまり込まずにいられるところがよかった。
 雑誌に掲載されたそのインタビュー記事をたった一度だけ読んだ。出国前に雑誌が発売になり郵便で受け取ったのだ。予想どおり、養子に出される前の情報よりも、現在の様子がメインの三ページの記事だった。そのころ、私はフランスのある文化財団から授与される戯曲賞を受賞したのだが、そのことが大きく扱われていた。私が載せてほしいと頼んだパスポート写真は誌面になかった。光化門のカフェで撮った今の私の顔を見て、あのときの線路に捨てられていた子だったかどうか、かつてのムンジュだったかどうかに気づくことは不可能に見えた。私の最後の賭けは、私にムンジュという名前をつけてくれた人と生母のためのものだったが、いまだに、彼らから電話がかかってくることはなかった。
 しばらくの間ノートパソコンの画面を見つめていたが、ソヨンのメールにチェックをつけ、削除ボタンを押した。私はソヨンを知らないし、ムンジュのことを考えたという彼女の時間についても何も知らなかった。だから、彼女がある日偶然、時事雑誌に載った私のインタビュー記事を読んで、想像を膨らませて一編の映画を構想するまでの時間、その時間がどんなもので、どれくらいの密度であったかも、私にははかり知れない領域だった。
 そのままノートパソコンを閉じようとしたが、手が思うように動かなかった。ナーバスになる必要はない。自分に言い聞かせた。ソヨンの返事を確認してからでも、メールは永久に削除できるのだ。結局私は再びメールを開いて、今しがた削除したメールを復旧してからそこに書かれていた文章をゆっくり読みはじめた。
 今もときどき考える。あのときもし、ソヨンのメールを完全に削除していたら、それでソヨンの映画に参加していなかったら、私が韓国で出会ったあのすべての人たちを知らずに生きていたのだろうし、その人生は最も重要なページが抜けた本のように、ぽっかりと穴が開いていたはずだと、想像もできないくらいに……。今の私がどんなふうに生きていようと、もう、彼らに会う前の私には戻れないのだ。


〈中編・完〉

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現代韓国の歴史の中でなきものとされてきた人たちに、
ひと筋の光を差し込む秀作長編小説


チョ・ヘジン『かけがえのない心』(オ・ヨンア訳)
(税込 1760円、9月17日(金)発売)


【もくじ】

■かけがえのない心
■あとがき
■日本の読者のみなさまへ
■訳者あとがき

次回「かけがえのない心——後編」は9月17日(金)公開予定です。