亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2021.11.8

29チョン・スユン『言の葉の森』(吉川凪訳)——序文 二つの言語を行き来する旅

 

 

何かを偶然共有するというよりも、
手を繫ぐようにして、私たちは同じものを持つ。
言葉が違っても、国が違っても。
――最果タヒ


太宰治や宮沢賢治、茨木のり子、最果タヒ、崔実などの作品を手がける韓国の人気翻訳家チョン・スユンが「日本の恋の歌」をめぐって綴る情感ゆたかなエッセイ『言の葉の森——日本の恋の歌』吉川凪訳)が11月17日(水)に発売になります。

《発売に先駆け、一部内容を試し読み公開!》

君の名は
本の輪

 

 

序文
二つの言語を行き来する旅


 五、六年前のことだ。今はもう取り壊されてしまった普門洞(ポムンドン)の伝統住宅にあった仕事場で、顔相を見ればその人の前世がわかるというシナリオ作家にこんなことを言われた。
「あなた、前世は日本人だったね」
「え、そうなんですか?」
「前にあたしが、アイスクリームがカチカチに凍ってて食べるのに苦労していた時、電子レンジで軟らかくしてくれたことがあったでしょ。あの時、思い浮かんだの。あなたはね、朝鮮の独立運動を助けた日本人だった」
「ははは。アイスクリームをチンするのと神聖な独立運動と、どう結びつくんですか」
その場では笑い飛ばしてしまったけれど、考えてみれば妙なことではある。日本に行って図書館の本を読んで過ごし、帰国してから十年間は、ほぼ毎日、日本語を韓国語に訳しながら暮らしている。子供の時には想像もしていなかった生活だ。何が私をこの道に導いたのだろう。それにしても、独立運動とは……。私はほんとうに、それほど勇敢な人だったのだろうか。命懸けで隣国の独立を叫んでいたのだろうか。その時も二つの国の間を行き来しながら二つの国を愛し、二つの言語で悲しんだり喜んだりしていたのだろうか。



내내 헤매니 전생의 인연이라 괴롭긴 해도 사랑하는 마음은 세월을 돌고 도네

まよひそめし 契(ちぎり)思ふが つらきしも 人にあはれの 世々(よよ)にかへるよ

(恋に迷っているのが因縁のせいだと思うとつらいけれど、結局はあなたへの愛という前世からの気持ちに戻ってしまうのだな)


徽安門院(きあんもんいん)『風雅和歌集』



 恋に落ちた十四世紀の女性が残した和歌だ。仕事であれ恋愛であれ、誰でも一度は思ったことがあるだろう。人生に迷ってとてもつらいけれど、来世でも来来世でも愛さずにいられないほど好きだと。自分でも説明のできない力に導かれ文芸翻訳を仕事にしている現在の私の気持ちもそうだ。


 和歌をテーマにしたエッセイを書いてみないかと、誰もやったことがなさそうな企画をチョンウン文庫の編集者に提案された時、私は何となく前世の話を思い出した。和歌は日本人独特の情緒が盛り込まれた詩的芸術だ。気に入った和歌を訳し、味わいながら思いついたことを書く。簡単ではなさそうだけれど、そんな提案をされるのも何か理由があるのではないか。そう思って、ぞくっとした。
 だが、それは一瞬の火花だ。焚き火にするには薪を割り、炎が燃え上がるのを待たなければいけない。本を買って読み、頭をかきむしったり、窓の外をぼんやり眺めたりする日々を送った。一行も書けないまま、まる一日机の前に座って腰が痛くなった。泣きたい。やっぱりやめます。そんなメールを、十回ぐらい書いては消した。
 とにかく何かやってみようと思って百人一首の札を壁に貼り、古(いにしえ)の歌人が見た風景を想像してみたりもした。韓日関係が悪化したので本の刊行を遅らせようという連絡が来た時には、ひそかに快哉を叫んだ。ああ、しばらくはこの苦痛から解放される(収入がなくなるのは問題だけど)! そんなふうにいくつかの季節が過ぎ、零下の気温が続いたある日、自分の内部で言葉が少しずつ結晶し始めた。このエッ
セイは、そんなふうに始まった。
 和歌は日本固有の詩だ。〈和〉の〈歌〉。〈歌〉と呼ばれるほど暮らしに深く溶け込んでいた芸術だ。日本の新しい元号〈令和〉も、奈良時代に成立した日本最古の歌集『万葉集』に由来している。



初春の令月、気淑(うるは)しく風和(やは)らぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ) に披(ひら)き、蘭(らん)は佩後(はいご)の香(かをり)に薫(かを)る。



 天平二(七三〇)年正月十三日の夜に、寒さに負けずに咲く梅の花を見て詠んだものだ。〈令和〉は美しく縁起の良い月(令月)の下に穏やかな風が吹くという言葉の雰囲気を受け継いでいる。
 和歌は五七五七七の三十一文字(みそひともじ)の中に自分の心情や世の出来事を盛り込む。
 簡潔さを重んじる和歌に私のエッセイなど付け加えていいものかという気もした。減らそう、軽くなろう、重くては真実を伝えられない。日本の古典詩歌は基本的にそうしたベクトルを持っている。だからこのエッセイは、和歌の森で拾ったドングリみたいなものだと思っていただきたい。ドングリも見ようによっては愛らしいし、何かの役に立つこともある。
 私の前世など永遠にわからないまま終わるだろうが、確かなのは、私が韓国語と日本語の悠久の歴史の隅っこで、自分なりのイメージをつくって生きてゆく人間だということだ。一つは生まれると同時に私のところにやってきた。もう一つはおとなになってから自分で訪ねていった。二つの言語を行き来することから来るインスピレーションを大切にしたい。そして今生(こんじょう)が終わるまで二つの言語を両手に、何か
楽しいことをしよう。そう決めた。
 言語には一種のマジックがある。心地よい言葉は私たちを心地よいところに連れていってくれるし、美しい言葉は美しいところに連れていってくれる。地獄を盛り込んだ言葉は地獄のようなところに連れてゆく。말(マル)(言葉)は人間の乗る말(マル)(馬)だ。私たちは自分の言葉が進む方向に行く。これは真理だと思う。
 世のすべての古典は人類が言語で育てた森だとすれば、この本は列島に生い茂った森の木を移植した小さな植物園だ。異国の和歌六十五首をここに植える。この小さな和歌植物園で、ちょっと休んでいってください。その時、私のエッセイが優しい話し相手になれればうれしく思います。もちろん、うるさいと思われるなら、黙って一粒のドングリになるつもりです。


二〇二〇年 大きな木の下で
チョン・スユン

 

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〈著者〉チョン・スユン(鄭修阭)
1979 年ソウルに生まれる。作家、翻訳家。大学卒業後いくつかの職を経た後、早稲田大学大学院文学研究科で修士号を取得した。訳書に太宰治全集、茨木のり子詩集、宮沢賢治『春と修羅』、大江健三郎『読む人間』、井上ひさし『父と暮せば』、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』、崔実『ジニのパズル』、最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、凪良ゆう『流浪の月』など、著書に長篇童話『蚊の少女』がある。


〈訳者〉吉川 凪(よしかわ・なぎ)
大阪市生まれ。新聞社勤務を経て韓国に留学し、仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学を専攻。文学博士。キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』(クオン)の翻訳で、第4 回日本翻訳大賞を受賞。著書に『京城のダダ、東京のダダ―高漢容と仲間たち』(平凡社)、訳書にチョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』、崔仁勲『広場』、朴景利『土地』(以上クオン)、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』(集英社)など多数ある。

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《『言の葉の森』試し読み》
君の名は
本の輪