亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2023.6.10

51GIベビー、ベルさんの物語〈4〉

 

 

202312月頃の出版をめざして執筆・製作中の岡部えつさんによるノンフィクション『GIベビー、ベルさんの物語』(仮)の前半を公開します。

また、ベルさんをアメリカに連れて行き、肉親に対面してもらうため、クラウドファンディングを実施中です。ぜひプロジェクトの詳細をご覧ください。

https://camp-fire.jp/projects/view/677532?utm_campaign=cp_share_c_msg_projects_show

 

 


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『GIベビー、ベルさんの物語』(仮)〈4〉

前話はこちら

 

ベルさんの話 《夜間中学校》

 あんなに楽しいことって、今までの人生でなかった。卒業したくなかったよ。もう一回行けるものなら行きたい。もっと勉強したいもの。高校にも挑戦してみたけど、わたしには無理だったの、難しくて。だから、本当はもう一回中学に行きたい。そしてもっと勉強したい。
 先生たちは、みんな優しかった。親切だった。すごく丁寧に教えてくれた。しんどくなっちゃって、何度か行かなくなっちゃったことがあるんだけど、必ず先生が電話をくれて、
「頑張っていらっしゃい。待ってるから」
 って言ってくれてね。それでまた通いはじめて、おかげで卒業できたの。
 行事も楽しかった。移動教室、遠足、それに修学旅行。本当に楽しかった。もう一回行きたい。
 中でもA先生ね。教頭先生。大好きだったの。わたしと同い年。

「麗子、お前はやればできる、やればできる」

 って、A先生はいつも言ってくれた。あと、これもよく言われたよ。

「麗子はすぐにカーッとなるから、落ち着きなさい。怒る前に、落ち着いてよく考えなさい。落ち着け、落ち着けって、自分に言い聞かせなさい」

 それから、ウッときたら、自分に「落ち着け、落ち着け、できる、できる」って言うの。今でもそうよ。そうすると落ち着いてきて、ちゃんと考えられる。

 今こうして、人と会話ができるのも、中学校で勉強したおかげなの。昔のわたしはいつもいらいらしてて、何かって言えば怒ってばっかりいたから、すぐ喧嘩になったし、人と普通に話ができなかったの。
 どうしていらいらしてたかって? 理解できなかったからよ。横で人が会話してても、何を話しているのか理解ができないから、相手のことなんか考えないで、勝手に自分の言いたいことだけわーっと言ってさ。
 そんなの不愉快でしょう? あの頃、わたしのせいで不愉快な思いをした人、たくさんいたと思うよ。でも、そんなこともわかんなかった。「何わたしにわかんない話ばっかりしてんだ」って、頭にくるばっかりで。
 字が読めて書けるようになって、人の話もわかるようになって、もしわからなくても「落ち着いて、落ち着いて」って唱えたら、カーッとしないで聞けるようになって。それからだよ、こうして人と普通に話ができるようになったのって。

 人の話がわからないってさ、人の気持ちもわからないってことなの。たとえばさ、みんなで映画を観てて、悲しい場面とか感動する場面があるでしょ? それで友達が泣いてても、わたし一人だけ泣けないの。きょとんとして「何泣いてんの?」って感じよ。昔のわたしは、そうだったの。
 今は違うでしょ? この前も一緒に映画観て、一緒に泣いたでしょ? 今はわかるから。悲しい場面を見たら、悲しいって感じられるから。涙出てくるから。

 子供の頃も、新星中学の先生みたいな先生に教わりたかった。あんな先生たちがいてくれてたら、ちゃんと勉強したと思う。「お前はできない、できない」じゃなくて、「やればできる」って励まして欲しかった。

 一年生のとき、作文の授業で、自分の生い立ちのことを書いたの。そしたら先生から、人の前で発表してみないかって言われて。やったんだよ。自分で原稿を書いて、先生に直してもらって、大きな会場でたくさんの人の前で、発表したの(2000年12月7日、第46回全国夜間中学校研究大会における「生徒体験発表」のこと。ベルさんの作文のタイトルは「夢に向かって」)
 施設のことも、ストリッパー時代のことも、全部書いた。全部発表した。途中で泣いちゃうんじゃないかって、みんな心配してたけど、一回詰まっただけで、泣かずにこらえて最後まで読んだよ。

 それから、国語のF先生が、一緒にお母さん探しをしてくれたの。最初にエリザベス・サンダーズ・ホームに行った。そのときはわたし「横浜にいた」っていうことしか覚えてなかったから、先生がたぶんそこだろうって、思ったんだろうね(エリザベス・サンダーズ・ホームの所在地は神奈川県大磯町だが、混血孤児の収容施設として度々メディアに取り上げられ、全国的に知られた有名な施設だった。一方で、他の施設はほとんど知られていなかった)。
 でも、名簿にわたしの名前がなくて。それで、もうひとつ横浜に『聖母愛児園』て施設があるよって、教えてもらったんだと思う。行ってみたら、そこにわたしの名前がちゃんとあったの。でも、そこまでだった。それ以上は何も、お母さんのこともわからなかった。



孤児

 F先生とベルさんが聖母愛児園を訪ねたのは、エリザベス・サンダーズ・ホームの前で撮影されたスナップ写真の日付から、200110月だとわかる。ベルさんが全国夜間中学校研究大会の壇上で作文を発表してから、十か月後のことだ。
 同じ200110月の消印が入った封筒が、ベルさんの手元にある。差出人はベルさん。宛名には《堤カヨ(仮名)様》とあり、住所は埼玉県の所沢市になっている。中には何も入っていない。

「カヨさんて、わたしのお祖母さん。一度、手紙を出したことがあるの。出してからしばらくしたら、返事が来た。でも、中にはわたしが出した手紙が、封をしたままで入ってた。それが、これ。一緒に手紙が一枚入ってて、確か《放っておいてくれ》みたいなことが書いてあったと思う。自分が出した手紙の中身? 頭にきて、その紙と一緒に破いて捨てちゃったから、わからない。どうして封筒だけとっておいたのかも、わからない。お祖母さんの住所をどこで知ったか? うーん、覚えてないなあ」

 いきさつは忘れてしまったというが、日付から考えて、F先生との調査の中で、カヨさんの住所を探り当てた可能性は高い。字が書けるようになり、人前で作文を発表するまでになったベルさんが、先生に励まされながら、一度だけ会ったことのある祖母に宛てて、一生懸命手紙を書く様子が目に浮かぶ。
 いったい、どんなことを書いたのだろう。ベルさんの拙い筆致の宛名書きを見て、カヨさんは何を思っただろう。なぜ、あのような冷たい返信を寄越したのだろう。

 ここまで読んで気づかれたかもしれないが、ベルさんは、施設時代の人の名前をフルネームで覚えているなど、抜群の記憶力を持つ(後の調査で、これらの氏名はすべて正しかったことがわかる)一方で、折々のできごとの経緯などはあまり覚えていない。大事なお母さんの調査に関することも、ほぼ覚えておらず、どのタイミングで何を知ったか、どう知ったかも忘れてしまっている。
 これには何か理由があるのではないかと、ずっと考えていて、思い当たったことがある。家族のいない彼女には、思い出を共有し、一緒に振り返る時間を持つ相手がいなかったからではないか、ということだ。
 人の記憶は、繰り返し思い出すことで定着する。過去のできごとを誰かに語って聞かせたり、誰かから聞かされたり、一度語った話を何度も語り直して、その度に一緒に笑ったり泣いたり怒ったりすることは、大きな記憶の強化になる。幼児期のことなどは、自分ではまったく覚えていなくても、家族間で何度も語られるうちに、立派な思い出のひとつとなって記憶される。
 ベルさんには、そういう相手がいなかった。家族ははじめからいなかったし、心を許した友人も、夜間中学に入学する50歳くらいまでいなかった。人を信用していなかったから、親しくなっても関係は希薄で、期間も短い。どれほど重要なことであっても、誰とも共有せず、ほとんど語らぬまま、些末なことに追われる日々を送っていれば、記憶はすぐに薄れてしまうのではないだろうか。

 「孤児」を題材にした文芸作品は多い。小説や漫画、映画には、多くの孤児が登場して活躍する。そういう意味では、孤児は馴染みのない存在ではない。しかし、わたしは個人的にその実態に迫ったことはないし、現実の彼らに思いを馳せたこともなかった。家族がいないこと、その寄る辺なさは、大人になった今も想像しきれない。
 ある時期ベルさんは、自分の身の上を嘆いて、生活が荒れた時期があった。見かねた水島さんが、彼女に声をかけた。

「どんなことがあっても、僕はベルのそばにいるから、これからはもう、天涯孤独だ何だと言って、自棄になるのはやめなよ」

 彼は実際、親身になってベルさんに接した。彼女の誕生日には自宅に友人たちを呼んで一緒に祝い、一緒に旅行もし、年越しには、自身の大家族が集まる実家に彼女を招待するほどに。
 そんな二人を、わたしが「同い年だけれど親子のような、兄妹のような関係」と評したときのことだ。ベルさんが、真顔で迫るようにして言ってきた。

「それは違う。水島さんには本当によくしてもらって、感謝してるよ。でも、親子とか兄妹とか、そういう感覚じゃない。だって、わたしは親もきょうだいもいないんだから、その感覚はわからないからね」

 見つめてくる力のこもった眼差しに、わたしは、自分の軽率さをビシッと指差された気がした。
 孤児とは、そういう人たちだったのだ。そんな当たり前のことに、思い至らなかった。愕然とした。ベルさんは、この世に生まれてきた限り必ず存在するはずの親と、家族になれなかった人なのだ。家族のいいところも悪いところも、感覚したことのない人なのだ。

「外で親子連れなんかを見かけると、いいなあ、どういうもんなのかなあ、って思ってた。羨ましかった」

 ベルさんのこの「羨ましい」は、ないものねだりではない。あるべきもの、なければならなかったものを、求めた言葉なのだ。


GIベビー、ベルさんの物語〈5〉に続く。


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