亜紀書房の本 試し読み あき地編集部

2023.6.26

53GIベビー、ベルさんの物語〈6〉

 

 

202312月頃の出版をめざして執筆・製作中の岡部えつさんによるノンフィクション『GIベビー、ベルさんの物語』(仮)の前半を公開します。

また、ベルさんをアメリカに連れて行き、肉親に対面してもらうため、クラウドファンディングを実施中です。ぜひプロジェクトの詳細をご覧ください。

https://camp-fire.jp/projects/view/677532?utm_campaign=cp_share_c_msg_projects_show

 

 


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『GIベビー、ベルさんの物語』(仮)〈6〉

前話はこちら

 

報告

 ベルさん。電話で話したとおり、お母さんが見つかったよ。でも、残念ながら亡くなってた。
 これが、写真。インターネットからコピーしてプリントアウトしたものだから、あまり鮮明じゃないけど。
 ベルさんの面影があるでしょう? これを見つけたとき、鳥肌が立ったよ。あっ幸子さんだって、すぐにわかった。とても若いから、ベルさんに会いにきたときと、変わらない年頃の写真じゃないかな。

 今の時点でわかってることを話すね。
 幸子さんの夫、ルイス・XXX・XXXさんは、黒人だった。二人の間には子供が四人いて、家族はアメリカのノースカロライナ州というところで暮らしてた。
 ルイスさんは、1989年に60歳で亡くなってる。その9年後、1998年に、幸子さんは67歳で亡くなった。二人は、死ぬまで添い遂げた夫婦だったの。

 四人のきょうだいのことを話すね。上からXXさん男性、XXさん女性、XXさん男性、XXさん女性。
 残念ながら、長男と次男の二人は、ここ数年の間に立て続けに亡くなってしまったの。女性二人は健在だよ。これが写真。下の妹さん、ベルさんに似てるよね、肩の辺りの骨格がそっくり。
 ベルさんがパパに連れて行ってもらった、埼玉の家があったでしょ? 幸子さんが住んでいたっていう。そこで大家さんに見せてもらった写真に、黒人の男の子が写っていた気がするって言ってたけど、この兄弟のどちらかかもしれないね。

 どうやってお母さんを見つけたか、説明するね。
 まず、アメリカの退役軍人のデータベースらしきウェブサイトを見つけたので、ルイス・XXX・XXXさんを検索してみたの。戸籍謄本の名前の表記はカタカナだから、なかなか大変だった。結局、見つからなかった。
 つぎに、ルイスさんと幸子さんの名前でグーグル検索してみたの、いろんなパターンでね。なかなかヒットしなかったんだけど、あるとき、一見関係なさそうなのに、何度も引っかかってくるサイトがあることに気がついて。
 それは、彼らと同じ名字の、黒人男性のメモリアル・サイトだった。亡くなった人を偲んで作ったホームページ。XXXって名字は珍しくないから、検索すると山ほどヒットしたんだけど、このページだけ、何度も何度も出てきたの。
 それで、腰を据えてくまなく読んでみたら、彼の両親を紹介するところに、Louis《ルイス》 XXX XXXとSachiko《サチコ》 T XXXという名前が併記されていたの。「TはTSUTSUMI《ツツミ》のTだ!」って、心臓がバクバクしたよ。彼は、この夫婦の3番目の子どもだった。
 そこから、夫婦が眠っている共同墓地の、ホームページに辿り着けたの。幸子さんの生年月日と、生誕地が書かれてた。戸籍謄本とぴったり一致したから、もう間違いないってわかった。
 メモリアル・サイトの息子さんは、生前フェイスブックをやっていて、そこから彼のきょうだいと甥に繋がった。彼のお兄さん、お姉さん、妹さん。一番下の妹さんの息子さん。全員、フェイスブックをやってた。
 特に、今も健在のお姉さんと妹さんは、記事を多く上げていて、画像もたくさんアップしていたの。だから、全部チェックしてみた。そしたら、家族の写真が出てきたの。さっき渡したお母さんの写真も、そこにあった。
 たくさんの画像の中からあの一枚を見つけたときは、胸がいっぱいになったよ。思わず「幸子さん!」て叫んじゃった。

 お母さんがベルさんに会いに来たとき、抱っこしていた赤ちゃんは、たぶん上のお嬢さんだと思う。彼女が生まれたのは、ベルさんが小学3年生のときの1月だから。
 ベルさん、一度妹に会っていたんだよ。

 あのね、ベルさん。わたし、この姉妹のフェイスブックを、読めるだけ読んでみたの。二人とも、家族のことをたくさん書いてる。誕生日、結婚記念日、命日のたびに、愛情溢れる言葉と一緒に、家族の写真をアップしてるの。
 とても仲がいい家族だったんだと思う。今でも、姉妹と甥はとても仲がいい。きょうだいはみんな両親をとても愛していたし、愛されていたのがよくわかる。幸子さんは、きっと幸せだった。
 ここからは、わたしの推測だよ。こんな家族を作った幸子さんは、とっても愛情深い人だったと思う。そんな人だから、ベルさんとジニヤさんのことを、忘れたことはなかったと思う。家族の愛情に包まれながら、苦しい思いを抱え続けて生きた人生だったと思う。亡くなる瞬間まで、ベルさんとジニヤさんのことを想っていたに違いないって、わたしはそう思うよ。



家族

 ベルさんは、よかった、よかった、お母さんが幸せで本当によかった、と言って、写真を見つめてむせび泣いていた。
 その姿を見て、一緒に泣きながら、わたしは全身の力が抜けるような思いだった。

 前日悩んでいたのは、幸子さんが四人の子供を生み育て、幸福な家庭を築いていたことを、伝えるべきかどうかだった。
 かつては「どうして約束を破ったの」と詰め寄るために会いたかった母への思いが、いつしか「幸せでいるかどうか確かめたい」に変わっていたベルさんだったが、自分と血を分けたきょうだいたちが、両親の愛情を存分に受けて育っていたことを知って、平常心でいられるだろうか。それが心配だったのだ。杞憂だった。
 ベルさんは、アメリカ人と結婚してアメリカに渡ったものの、そこで厳しい生活に晒され、孤独で寂しい人生を送る母を想像し、胸を痛めていた。実際、「戦争花嫁」と呼ばれ、戦後アメリカ兵と結婚して渡米した女性たちには、偏見や差別で大変な苦労をした人が多かった。
 だから、笑顔ばかりの家族の写真を見て、ベルさんは心底嬉しかったのだ。

「お母さんは、わたしとジニヤのこと、家族に秘密にしてたよね。だけど、お父さんには話してたんじゃないかって、思うんだ」

「お父さんて?」

「ルイスさん。この人、わたしの義理のお父さんでしょ?」

 ベルさんは、その日からルイスさんを「お父さん」と呼び、彼の写真も欲しがった。わたしは、次に会うときプリントアウトして持ってくると、約束した。

 そのあと、わたしたちはこれからのことを話し合った。
 ベルさんは一刻も早く妹たちと繋がりたいだろうが、彼女たちは母親の秘密を知らない。連絡のとり方には慎重になったほうがいい、とわたしは言い、ベルさんも賛成した。

「あとは、ジニヤさんだね」

 弟のジニヤさんについては、まるっきり空振りで、何も手掛かりを掴めなかった。別の手を考えるべきだが、その方法も思いつけないでいた。

「いいよ、ゆっくりで。わたしは焦ってない。お母さんのことがわかって、妹たちのこともわかったんだもの」

 これほど嬉しそうなベルさんを見るのは、はじめてだった。幸子さんに伝えたい気持ちにかられた。もしも彼女が生きていたら、互いに失った73年間という時間を、どう埋めようとしただろうか。考えても仕方のないことが、頭をもたげてくる。

 戸籍謄本によると、幸子さんは昭和6(1931)年、札幌にある豊羽鉱山で生まれていた。主に亜鉛を産出していた山だ。半導体の原料であるインジウムが採れたこともあり、2006年まで操業していた金属鉱山。
 そうした土地で生まれ、14歳で終戦を迎えた少女が、17歳で米兵との子を産むまで、どんなことがあったのだろう。麗子と名づけたその子供を、いつ、どうして、横浜の児童養護施設に預けることになったのだろう。
 鬼でも人でなしでもなかった一人の女性に、娘と息子を手放させたものは、何だったのだろうか?


お読みいただき、ありがとうございました。
この続きは、2023年12月頃、亜紀書房より出版される単行本でお読みくださいますよう、お願いいたします。


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